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蛇から竜へ……

「遊歩人」2004.4月号 所収

近所に白根不動という古いお寺がある。11世紀の中頃、源義家が弘法大師伝といわれる不動明王座像を納めた。義家が兜の中に入れて戦った、というお守りだからまことに小さい。そのお寺の脇に白糸の滝という、幅八メートルくらい、落差四メートルくらいのかわいい滝がある。この川はじきにタマちゃんのいた帷子川に流れ込む。この白糸の沌の滝壷、というと大げさだが、そこへ降りる、石段の始まりの所に、これまた小さなかわいい竜が立っている。大きめの菜箸を一本立てて、それに小さいウナギか穴子が巻き付いているような格好で、近くに寄らないと、竜だということがわからない。小とはいえ、れっきとした水神さまにウナギだとか穴子だとかと形容しては申し訳ない、まずは蛇といわなければならないのだが、蛇という感じよりもかわいらしい。ただしからみついているので、その点は蛇らしい様子である。

からみつくことを別にすれば、竜のこの立つ姿は竜巻から来ている、ということはだいたいわかる。ところが蛇の立つ姿はそうお目にかかれないので、案山子は蛇です、といわれてもすぐには連想がはたらかない。カガシは蛇のことですと言われると、ああ、そうかと思う。豊穣をあらわし、水神でもある田の神が蛇なのか竜なのか、どっちが先なのか興味がわくが、一本足の神への畏敬が一本足の人間に対する差別と関係があることはたしかである。ふつうは、からみつくと言えば蛇、その交尾のサマといえば、虹であり、しめ縄であり、大網の網引きになる。とぐろをまいている鏡餅(カガミ餅=ヘビ餅)はあるけれど、ふつう蛇といえば、横にのびていて、サン・テグジュペリの『星の王子さま』も一閃のひらめきの横のイメージである。

白糸の滝の小さい竜神さまにもどる。この空を目指す竜を見ていると、変身とか閉じ込めという思いがわいてくる。この地は横浜から電車で二十分くらいの所に位置して、最寄り駅は相鉄線鶴ケ峰駅なのだが、至る所斜面だらけでそこに家がびつしりつらなつていて、巨大なテラスガーデンハウス群もある。まことにコンクリートの固まりというにふさわしく、夕日を浴びたりすると、白亜の豪華客船がしずしずと進んでいるように見えたりする。暗くなつてくると、ジャン・ギヤバンの『望郷』など、あの迷路の石の街を思わせるように変わってゆく。

斜面だらけでコンクリートで固めるとなれば、雨は行き所を失って川に殺到する。それで中くらいの雨降りでも、白糸の滝はすさまじい変貌をみせるのである。まさにそれは蛇から竜への変身で、小なる川といえど、水平的には大河の洪水、垂直的には家や牛を巻き上げる竜巻を思わせるのである。

柴田よしきの『蛇(ジャー)』は琵琶湖を舞台にした空想はばたく物語で、桃色の竜、ピンク・ドラゴンが登場してくる。人間が琵琶湖を汚染して、瀕死状態にしているせいで、ピンク・ドラゴンの子どもが死んでしまう。それで彼女は人間の赤ん坊をさらう。片時も離さず抱いて育てている。この竜が変身するのだ。そしてごくごく小さくなって行くときは人問の赤ん坊もそれにつれて小さくなって行く。しかし巨大になつて雷雨をもたらすとき、赤ん坊も大きくなって行くかはさだかではない、というよりたぷん大きくならない。この作品はタイムトラベルも含んでいて、賤ケ岳で人々が 無垢の心で雨乞いをしてトランス状態に入ってゆく、すると、竜が巨大化して、柿然と雨が降って来る、その儀式に、現代の若い男女が居合わせる場面が出てくる。人々は常日頃は竜がおとなしくかわいい蛇的であることを望み、そして必要ある時は竜に変身してほしいのだ。

わが白糸の滝の竜神さまにも、人々の勝手といえば勝手だが、せつない気持ちが込められているのだと思う。竜は人々の気持ちを汲んで小さい蛇に閉じ込められている。その気持ちにまた私たちも応えなければいけないと、供えられた一円アルミ貨を見ながら反省するのである。しかし同時に、私たちもまた伸縮する竜巻型世界に住んでいるのではないかという思いがやってくる。竜巻という類推に樹木のイメージを加え、下も上も広がってゆく動的な静的な竜巻型世界で、むしろ筒型世界という方がいいのかも知れない。タツとツツは関係があるのか、などと思う。この世界は、「井の中の蛙大海を知らず」なのであるが、「されど天の高きを知る」のであって、同時に底なしでもあるのだ。つまり始めなく、終わりなき世である。この世界では横方向が大問題で、横暴、横車、横死など横はよこしまでまがまがしい。周囲を囲む見えざる壁を横断突破するのは大事件である。であるからこそ親書の「横超」が出てくる。そのような世界の典型を、私がいささか関わっている水俣の海辺に見ることができるのではないか、もちろん竜神さまも凄む石牟礼道子の『苦海浄土』の世界をこの視点から見られないか、という思いをいま抱えているところである。

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