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「水俣」から「駒場」へ
<いのち>に問われる「一般教育」の追求


「動かぬ海 一人芝居「天の魚」東大駒場2009年公演号」所収
不知火グループ発行・2009年5月

最首悟

「天の魚」は、水俣病になって働けなくなった息子と胎児性水俣病の孫をかかえた老漁師の語りである。役者は仮面をかぶっているが、その仮面のせいもあって、自慢話でもあり繰り言でもあり過去の美化でもある老漁師の語りを聞いていると、しだいに〈いのち〉がそこらじゅうにあるかのような気がしてくる。〈いのち〉は幾重もの階層の厚みをもっていて、そして個別の形と働きをもって充満しており、ヒトはその大分上の階層で特別の働きを持っているなどと自分で定義しているのだが、もし最上層にいると思うならばなおのこと、ヒトは次になってゆくものの下地であり、いつか消えゆく階層であることがわきまえられるはずである。

〈いのち〉は次から次になりゆくもので、どんな形と働きになりゆくか、〈いのち〉にもわからないのである。

大腸菌もある中間層にいる。未来を含めるとヒトもある中間層にいる。細菌からヒトまで、〈いのち〉の共通性を考えると、個別的な〈いのち〉は〈いのち〉の分有で、分有の在り方がとほうもない多様さをもつということになる。〈いのち〉の分有は〈いのち〉の具体的なあり方と言い換えられるが、では〈いのち〉は抽象的な在り方なのか、原理なのかといわれると困ってしまう。それはちょうど神(ゴッド)は抽象的存在か、あるいは原理なのかと問うと困ってしまうのに似ている。神(ゴッド)はあまねく在り臨在するのである。ただし透明で厚みを感じさせない。〈いのち〉は不透明で明るくそこらじゅうに粒状に満ちているので、霧が光っているかのようである。ただし霧の一粒一粒はみんなちがう個性的な〈いのち〉である。ものがみずからを生成し成ってゆく力を持つとは〈いのち〉のことであって、だから原子だろうが水であろうが石であろうが波がしらであろうが、みんな〈いのち〉である。

そのような「天の魚」が駒場寮の跡地で演じられる。となれば思い起こすのは「一般教育」である。新制(新生)大学の「一般教育」の場として注目されたのが東大教養学部である。矢内原忠雄ぬきにそのことは語れないが、「一般教育」の理念に〈いのち〉を盛り込んだのは上原専禄(一橋大学長)だった。上原専禄は「歴史的省察の新対象」(一九四七)で、新しい時代に面して、個体生命の価値を問う思考と行為にわたる限りなき自己試練に一身を投ぜざるを得なく、それは価値の存廃を中心問題とするところの生命感覚の苦悶だとした。そして「大学教育の人文化」(1948)で、「一般教育」のカリキュラムに、アメリカ教育使節団が提示した自然・人文・社会の3系列に生物を加えた。アメリカでも希少なシカゴ大のカリキュラムを参考にしたのだが、これは特筆すべきことで、自然科学の生物学というよりは、生きもの学にふさわしく、「飲・食・住といった生活活動の具体的な在り方が特種ヒト的な有様になっている」(廣松渉の言い方)ことの考究から広がり絞られてくる、おそらくヒトには測りがたい〈いのち〉の価値についての総合学の芽をはらんでいたのである。

しかし現実にはこのような「一般教育」が行われるべくもなく、もう一つの柱の、みずから成ってゆくものへの「解放的配慮」も、専門学部と経団連の圧力によって締め付けられ、「一般教育」はあっという間に基礎教育、入門教育化し、学生は「パンキョウ」と称して馬鹿にするようになる。「一般教育」の場がかろうじて維持されたのは、皮肉なことに旧制高校の寮が学生の貧困を踏まえて存続した大学においてであって、寮も含めてそのままキャンパスに移行した東大教養学部はその典型であった。もとより旧制高校の寮生気質は鼻もちならないものであった。駒場寮生にもそれは引き継がれ、通学生にとっては鼻つまみ的であったけれど、狂と遊と野蛮と反抗をもってみずから成るものの気概を立ち昇らせていた。それは〈いのち〉は統御されないということの表れでもあったのである。

一九九一年、「一般教育」は廃止された。それに伴って東大教学部は駒場寮廃寮の方針をを打ち出した。五年後大学側は駒場寮廃止を宣言、学生は新寮生募集を続けるが、二〇〇一年大学は五七〇名の警備員と教職員で学生を追い出し、寮を打ち壊した。遡れば一九六二年大学管理法の引き下げの条件として、東大が音頭を取って学生の自治と大学の自治を切り離したことが、大学崩壊の一歩だった。二〇〇九年東大の新学長は新産業社会への貢献を謳ったが、ここまで大学が委縮する相面ににおいて、それはかえって、「学」なるものが深奥において、収まりのつかない〈いのち〉から促されていることの気づきにつながりかねないのである。加藤登紀子もその一員であるけれど、駒場寮廃止に抵抗した者として、幻の「一般教育」を追求するものとして、「天の魚」駒場公演にかかわりたいと思う。

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