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ひとり芝居「天の魚」

原爆の図 丸木美術館 公演(2009年11月7日)チラシより

最首悟

広島・長崎について、「過ちはニ度と犯しませんから」と私たちは誓った。軍部と国家権力にうかうかと騙され、朝鮮半島・中国からニューギニアに至るまで侵略した民族として、二度と愚かな残虐な戦争は起こさないと誓ったのである。その誓いには当然にも、この戦争による被害者への償いを可能な限り早期にそして十分に行うという責務も込められてる。戦後は六十五年になろうとしている。しかるに政府は、原爆症認定について、いまだに積極的ではない。どうしてそのようにしぶるか、誰もが疑問に思う。しかしそのような政府を選んできたのは私たち自身なのだ。戦後生まれた人たちは戦争に罪はない、しかし責任はあるとト゛イツ大統領のヴァイツゼッカーは言った。戦争責任について、日々の暮らしのなかで、どのような位置を占めているか、心を引き締めてゆかねばならないと思う。

そして水俣である。侵略の一半を担った野口コンツェルンすなわち朝鮮チッソは、戦後水俣に引き上げて植民地支配のやり方をそのまま続けた。そして日本の復興に大きく寄与したと自負している。水俣は広島・長崎と同じく、私たちの戦争責任の問題であるのだ。水俣には在日朝鮮人として迫害を受け、原爆症にかかり水俣病になった人がいる。そのような人達の苦しみについて、ほんとうに少なくとも心を閉ざしてはならないのだ。戦争は終わっていない。広島・長崎は終わっていない。水俣は終わっていない。

水俣病は脳を冒す。脳は全身の生理機能の連絡調整器官であって、その不調はさまざまな全身症状を引き起こす。劇症の悲惨さはハンセン病と同じ差別をもたらした。ゆるやかな波がある症状は金欲しさのニセ患者として差別された。働くにも働けない、死ぬに死ねない、頭痛とカラス曲がり(筋がつる)の慢性症状の広がりがどれくらいあるかわからない。水俣病の幕引きなどあるわけがないのだ。

水俣病はその悲惨さにおいて、原爆症と同じく目をそむけがちである。しかし人は悲惨さのみのなかで暮らすわけではない。人は誰もが哀歓に生きる。悲惨さはその哀歓を細やかにし、光輝かせることもある。石牟礼道子は水俣のそのような人間像を営々と書き続けてきた。

一人芝居「天の魚」の漁夫、江津野老はその代表、その結晶ともいうべき人間像で、悲惨さが哀歓によって、哀歓が悲惨さによって強められ、その相互作用の中から愛しかるべき〈いのち〉、はかなき〈いのち〉、たくましい〈いのち〉、おおらかな〈いのち〉が輝き出てくる。

石牟礼道子は、一日一日もう間がわるくて、かろうじて言葉を紡ぎ、言葉がなくなると自分を焚いたと言う。揉み出されたようにして形をなした『苦海浄土』三部作の中でも、胎児性水俣病の孫の杢太郎少年を語る江津野老に水俣は、ひいては人間なるものが凝縮されている。

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