水俣で自らに問う

暑い夏が来ると、営々と運動を続ける水俣現地は忙しくなる。私の関係する面でいえば、水俣病患者センター相思社が全国の初中等教育の先生たちに呼びかけた教育合宿があるし、農作業や漁業の手伝いをスケジュールに組みこんだ水俣実践学校も開かれる。
医者の卵を混えた、水俣病申請の手助けをする自主検診が離島部で行われる。ささやかながら、私たちの夏期調査もある。今年(1984年)は東京支援グループの登呂久・水俣・筑豊ツアーが予定されているし、私のところの「不知火海(水俣病)グループ」や「環境とヒト」ゼミの学生諸君も、三期目に入った水俣生活学校に何泊かする。迎える方は、なにかとたいへんだ。

私もいつもお世話になる天草郡御所浦島の、水俣病申請患者協議会の支部長をしている荒木俊二さんなどは、それこそひきもきらず接待をするという感じになる。
魚をどっさり用意し、焼酎をふるまい、注射をうちながら船を出す。遠方からきた客人に、すこしでも多く見てもらい、すこしでも気持よく帰ってもらいたいのである。そのために金も費し、無理に身体も動かす。

水俣を訪れてみたいという若者が、私に向ってどこを周ってきたらいいでしょうと問う。私は弱ってしまう。そういうとき、いつも荒木さんのような人を思い浮かべるからだ。荒木さんのような人のところに泊めてもらって、人の情というものを感じてくると良いといいたいけれど、迎える方のたいへんさを思うとそうも言えないのである。
別な質問もある。水俣に行ってきたいのだが何を目的としたらいいでしょう。私は、唖然としてむちゃゃくちゃに腹が立って、そして怒鳴ったらさぞいい気持だろうと思う。怒鳴れないのは、ただちに我が身を考えてしまうからなのだ。

何を目的として水俣を調査するかは、大問題であって、しばらく調査をして行くうちに発見するだろうと考えざるを得ない面がある。くだんの若者に対する腹立ちは、そんなことは行ってみなくちゃわからない、行ってみてもわからないという思いがないまぜになって生じてきたのだし、自分に対する腹立ちも半分がたあるものだから、怒鳴るわけに行かないのだ。
ただ、私は、そういう問いを発する若者や自分自身に対して、内心ひそかに発している答はあるのである。しかし、それを言葉にするのはいかにも難しいような気がする。気恥しいようだし、不謹慎なようだし、怒られるようだし。

それは、なんとかいおうとすると、「水俣にしあわせを探しに行こう」、あるいは「水俣でしあわせについて考えよう」というような目的である。
ああ、何ということをいうのだと水俣病に苦しむ人たちからいわれるかも知れない。しかし私は、この何年かの水俣への調査行のなかで、このような<目的>、あるいは言葉が、次第に浮び上ってきたように思う。そして「公害の原点・水俣」とは、人のしあわせについてとことん考えるという意味をもっていると考えるようになってきた。

水俣と、その先に開く不知火海には、自然と共に生きる生活があった。現金取入がほとんどなく米がとれないことで貧しく、海の幸を満喫するということでは豊かだった。
そこへ最新の化学工場がやってきた。お金が落ちはじめ、人々は、経済的豊かさに向っていると信じることができた。つくり出す製品は化学肥料と塩化ビニールで、これらも人間の生活を向上させないはずはなかった。この時代の人々のしあわせ、あるいは期待について、私たちは様々な角度から考えることができる。
しかし、脳細胞を不可逆的におかす広範かつ悲惨な水俣病被害によって、それも人々の希望の的であった化学工場の人間無視の利潤追求のために、測り知れない規模の被害となったときに、水俣はついに「しあわせとは何か」という根本的な問いにさらされた。
患者たちは、長い長い筆舌に尽くせぬ苦闘によって補償金をとった。何百憶という補償金が人々の手に渡りはじめたとき、さらに決定的に「何がしあわせか」に人々は直面したのである。

「しあわせ」は、たぶん定義不能である。穏やかでしみじみしたものから、激しい一瞬の高揚まて、千変万化する。けれどもというのか、しかもというのか、この「しあわせ」の追求こそは、人間の本質である。
ところが、いつの頃からか、私たちは「しあわせ」を、進歩とか、快適さとか、安楽さと同義であるかのようにみなしはじめた。と言って悪ければ、進歩や快適さを、実現できる「しあわせ」の一様相とみなし、そのうちに進歩や快適さこそが「しあわせ」であると錯覚するようになった。
そして、このような「しあわせ」を求めて人々が懸命に働くなかで、平時の最大の人間被害−水俣病がひきおこされた。広島・長崎につぐ悲惨が水俣を襲った。この無残な人間冒涜をふたたびおこさないために、私たちは何をしたらよいのか。
安楽さの追求という土台を、そのままにしておいての公害防止という答では、決定的に不足である。真剣に公害防止策を講ずれば、物質に依拠した安楽さはふきとんでしまうはずだ。
二律背反的な、いい加滅の、欺瞞的な対応を止めて、私たちは原点にかえって「しあわせ」を問わなければならない。その原点的場が、水俣にあると私は信じる。

慢性水俣病に苦しむ人達や、広範に脳細胞を侵襲されて苦しむことすらかなわなくなった最重度の胎児性患者の「しあわせ」を問うことは、私たちの責務である。しかし、誤解をおそれずあえていえば、もっと核心的なことがある。それは「しあわせ」とは、苦難のさなかにもあらわれ、悲惨の極みにも、絶望の果てにも到達できるという真理である。
水俣の酷苦の歴史のなかに、多くのひかり輝く人間像がある。両親や兄弟の愛情を一身に浴びて、「しあわせ」という他ない一生を閉じた胎児性患者もいる。金銭にかきみだされたくないと、絶対に水俣病申請をしない多くの人たちがいる。大自然に心を開いて病を克服した人もいる。そのような事例に接して、私たちは「しあわせとは何か」を問いはじめることができるのである。
「しあわせ」を問うことは、人間の、そして「いのち」の深遠さを認識することである。浅薄な画一的な物質文明の呪縛から解きほぐされる場として、水俣がうけとめられなければ、水俣病の死者たちの鎮魂をはかることはできないのである。


明日もまた今日のごとく・
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