FHS構想とは
                         最首悟(カプカプパンフレットより)

 FHSは私たちのスローガンです。フリーアンドホット・スペースと言いますと、どうして英語かというと、私たちの思いをなかなかうまく言い表せないからです。

フリーは「自由」ですが、しばられたくない、自分の流儀でやりたい、気のすむようにしたい、ほっといていてほしい、というような意味を表しています。ホットは「熱い」ですが、熱中する、目指したい、役に立ちたい、生きる張り合いがある、ごはんがおいしい、というような意味を表しています。 スペースは「広がり」ですが、広場、遊び場、作業場、暮らしの場、町、地域、というような意味を表しています。英語は、ほんとうのところ、よくわかりません。それでいろんな思いをのせで使うのに便利なのです。

 FHSは、それぞれの人がそれぞれにフリーにホットに生きる場を確保し、その場を広げて行きたいという希望です。

 勝手気ままに、好き勝手に、したい放題で、暮らせないのはよくわかっています。でもあまりに制約され、監視され、干渉されるのはやり切れません。今のフリーを続けるために、フリーを目指して今を変えるために、私たちはホットである必要があります。今の暮らしの流儀が妨げられるなら、ホットに抵抗し、今の暮らしを変えるためにホットに働きかけます。

 FHSは、人はみんな弱いということから出発します。人はだれでも人に頼らなくては生きていけません。頼るなら強い人にと思うのですが、強く見える人はいますが、人はみんな弱いのです。そして、ほんとうの強さがあるとすれば、それは弱さのなかにひそんでいるのです。弱い人が弱い人を頼りにする。それがおたがい、相身互いのこととなるためには、おたがい相手の弱さを認め、受け入れねばなりません。

 弱さを認め、受け入れるとは、割り切った能率的な考え方やそれに基づいた暮らしが、サバサバとできないということです。弱さ優柔不断や矛盾やこだわり、頑固を含むからです。弱さを認め・受け入れるとは、生身の人とつきあうということです。そうすると、人と人の関係、人の輪はなかなか広がりません。

 社会は基本的に見ず知らずの人どうしの生活の場だとすると、見ず知らずの人びとに共通のこと、大多数の人にあてはまることを抜き出して、それに基づいて画一的なルールをつくってゆくことになります。全部の人に共通なこととしては平等や人権があります。具体的なことを全部はぎとって人間を規定しようとすることから生まれた貴重な考えです。

 でも、弱さを共通のこととしても、そのままでは漠然としているので、具体的なことにしぼると、どうしても少数の人は無視されてしまいます。具体的なことになると、大多数にあてはまることが優先されます。特に能率(時間を節約するためにエネルギーをジャブジャブ使うやり方)が重んじられる社会では、少数の人を考慮すると能率は下がります。少数の人は脇に押しやられ、あるいは押し出されてしまいます。

 社会で暮らすことは大事です。でも社会だけでは生きられません。私たちは生身の人間としてふるまえる場が必要です。普通そういう場を家(ホーム)というのですが、家はだいた血縁の関係を含んで成り立っているので、狭すぎるところがあります。 それで、生身の人間がつきあい暮らすためには、家を含みながら、社会とつながり、そして地域よりも狭い、協同の親しい場が必要になってきます。そしてそういう場をFHSと呼びたいのです。

 すこしずつ、ゆっくりと、バトンタッチしながら、そういう場をつくって行きましょう。

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