返信6:ビッグ便について(最首悟、2018/12/13)

序列をこえた社会に向けて

昆虫・動物の糞について三つばかり話します。蚕の糞は蚕沙(さんさ)と言われ、古くから肥料や家畜の飼料に使われてきました。糞のほかに食べ残しの桑の葉も混じっています。漢方薬にも用いられてきました。今の私たちの暮らしにかかわる利用としては、抹茶アイスクリームなどの着色があります。葉緑素の鮮やかな緑です。最近、着色だけでなく、ヘルシーを兼ねた蚕沙クッキーのことが話題になりました。熱を吸収する効果があるという、蚕沙を2キロ近くも詰めた快眠枕という商品もあります。

ウサギは自分の肛門に口をつけて軟便を食べます。生きてゆくために不可欠です。軟便は食物が盲腸で発酵したもので、ビタミンやたんぱく質を多く含みます。もう一つ、ポロポロした硬便も出しますが、これも食べます。もう1回かみ砕いて盲腸で発酵できるようにするためと言われます。金魚は餌を多く与えると未消化な糞を出し、餌がなくなるとその糞を食べるということもあります。

コアラはユーカリの葉しか食べないのですが、子どもにはユーカリの葉を消化し毒性物質を分解する微生物が棲んでいません。それで母親がウサギと同じように盲腸で発酵した軟便を離乳食として与えます。ビタミンを含む栄養や分解酵素を出す微生物を与え、移植するのと同時に、ユーカリの味を覚えさせるのだと言われます。

ヒトでは煮炊きの処理が加わるため、食物は格段に消化しやすくなっているため、雑食であることも含めて、微生物・細菌の棲み場所である盲腸が退化したことで、腸全体の細菌叢(そう)の分布や役割、効果が問題になります。近年その実態の解明は大きく進んだと言えますが、まだ端緒の段階とも言えます。しかし今までの考え方が大きく変わるのは必定で、それはヒトは40~60兆の細胞と千兆に及ぶ腸内細菌フローラ(叢)との共生体だということです。ヒトの寿命や肥満、精神状態に腸内細菌のあり方が大きく関わっているのです。 まだ原始的ですが、健康な人のビッグ便を生理的食塩水に溶かして、繊維などをろ過した後、鼻や口、そして肛門からチューブで腸内に注入します。すると末期状態の人の生存期間が延びたり、鬱状態が治ったりします。いまはいろいろと良好な結果が積み重なってゆく真っ最中です。便移植療法と言われますが、臓器移植で、比喩的であれ、栄養物の摂取という言い方の関連で、臓器の取り入れ、摂取という言い方がされたりします。そして摂取は意味合いと連想から摂食につながり、ひと様の臓器を頂く、摂食すると言い方も登場します。便移植療法でも、健康な人のビッグ便を食べるという思いが湧いてきます。

私たち、とりわけ日本列島人の場合、水に恵まれた環境のなかで、潔癖な性分を育ててきたこともあって、ビッグ便はまず汚いという思いがします。ただ、その思いは教育によって強化されるということが大いにあります。もちろん、日本列島人特有のケガレ感という下地があって、自分の箸、茶碗にこだわり、家族であればよけいに自分以外の物は使わない強い風習、習慣があります。

そのようなケガレ感とあいまって、子どもにビッグ便は汚い、触ってはいけないということが躾けられます。そしてその不潔感は、ここ数十年の水洗トイレの普及や消毒・殺菌剤の常備につながり、無菌で暮らすというありえない過剰な衛生思想にとりつかれるという事態にまでなっています。

ところが、子どもはあいかわらず、うんち・うんこが大好きです。自分から出たもの、自分がつくったものとして、不思議がると同時に、大事にするという思いが深層で働いているのではないかと言われます。「ばっちい」と言います。「ばばっちい」の短縮と言われますが、「ばば」はビッグ便のことです。子どもは臭い、嫌な匂いということと併せて、大人の教えを受け入れていきます。大人の言うことには歴史を重ねた知恵が含まれているという、これも深層の無意識の働き掛けもあってのことです。

その裏返しというか、密接に関連して、子どもはうんち・うんこが好き、興奮もするという深層意識も、元の場所に抑えられ押し込まれ、蓋をされますが、消えはしないということがあります。

認知症は病気なのかという議論があります。加齢に伴うさまざまな現象は不可抗力的な自然現象だという見方があるからです。さまざまな現象のなかに退行があります。子どもに還ってゆくのではないかという指摘です。その帰還現象のなかに塗便や弄便があります。塗便は自分のビッグ便をペンキや絵の具のようにして壁に塗ります。弄便は玩具や宝物のように扱うことです。塗便や弄便は後始末がたいへんという意味を込めた介護用語ですが、その行為を受け入れて、褒めたりすると、当人は無邪気に喜ぶということが起こります。

次回は、自分では意識できない無意識や深層意識について書きます。