返信7:無意識について(最首悟、2019/1/13)

序列をこえた社会に向けて

私たちは明快なことを好むといいます。七面倒くさいことは避けるのです。例えば、生きているか?と問われたとき、「えっ」という答えが単純明快です。答えや身振りがないときでも、息をしていれば、生きているとみなします。それ以上はあまり深入りしたくないのです。でも身体に不調を感じたり、痛んだり苦しくなると、なぜ?という思いがやってきます。単純明快なことでないことがやってきたのですが、でも、やっぱり単純明快に対応処理したい。これは何々のせいなのだ。そしてその原因への対処に効き目があると、それが受け継がれていくということになります。

医療について、中国四千年の歴史と言われますが、科学によってその機作(生物学では機械のメカニズム、作動の仕組みを機作といいます)が証明された薬や治療法も少なくありませんが、依然としてわからないものは多々あります。針や灸のツボ(経絡)はその代表ともいえます。

ほかに、わからないけれど効き目があるという療法を二つ取り上げます。一つはヨーロッパのホメオパシー、一つはアメリカのプラセボ効果です。ホメオパシーは同質(同種)療法と訳されますが、病気を治す薬(物質)が、多量に用いると、その病気を起こすという物質があり、その物質を薄めて飲むと病気が治るという療法です。その希釈度がすごく、もうその物質の分子さえ残っていないくらいに薄めます。病気ごとのその物質をレメディと言います。ドイツでは薬局を二つに分け、その一方でレメデイを扱うという薬局があり、常備薬セットを備えている家庭もあります。科学上と言わず、ただの水ですから効くはずがないのです。それでも効くのです。そうすると、それは偽薬効果だという他なくなります。そして偽薬とはプラセボのことです。

偽薬とは、薬としては何の効果もない砂糖のような物質で、ただ、特効薬だと言われて飲むと効く物質を言います。最初は、効き目があるという人の問題だとされました。信頼するお医者さんにそういわれると効くのです。そのうちに権威とか忖度も問題になってきました。医学部のある教授が二日酔いの薬をつくって、自分が教える医学生にその効果を確かめところ、確かに効きました。でもその薬は認められませんでした。その医学生に効いたほどの効果が再現できなかったからです。その医学生たちには、教授の権威への信頼と、その権威を失墜させてはならないという思いと、利かなかったと言ったら教授に睨まれて、自分の将来が危ないという保身などが働いたのです。

こういうことが重なって、二重盲検テストという新薬を承認する際の審査方法が制定されました。被験者に薬を渡す人がそれが新薬か偽薬かわからないようにしたのです。ただ、ガン末期の患者にこういうテストをするのは、倫理上問題があるということで、このようなテストを一律に行うことはしなくなりました。新薬が有効なとき、偽薬に当たった人は見殺しにされたともいえるからです。

しかし、偽薬が効くとはどういうことか、という問題は残っています。それで、アメリカで、一歩踏み込んだ試みがなされました。これは偽薬ですといってしまうのです。そして、そのようにして服用してもらった結果のデータを示します。それは統計的に効いたという嘘ではない結果なのです。そして患者が同意して服用すると効くのです。

病は気からといわれますが、回復も気からといえそうです。プラセボ効果は、さらに、「傍に居る」療法へ発展します。例えば、初めて出産する初産婦は出産日が近づくと精神が不安定になります。そこで、子どもを産んだことのある経産婦を派遣して、同じ部屋に居るようにすると、初産婦になる女性の気が落ち着くというのです。経産婦の女性はただ傍に居るだけでよく、勝手に編み物などして、話しかけたりしなくともよいのです。

西欧医学では、打つ手がなくなった、匙を投げた患者に医師はどうするか、という問いに応えて、医師自身を治療と化すのだという言い方があります。どういうことかというと、患者のベッドサイドに、ただ座っているだけだというのです。

一つ、1996年のミラー・ニューロンの発見を付け加えておきます。何かしようとするとき、脳のある場所の神経細胞が活性化します。そしてそれを見ていた者のちょうど同じ場所の神経細胞が活性化するというのです。鏡に映った場所のような神経細胞です。何かしようとしているその動作の理解や、共感に関係するのではといわれています。ベンチに並んで座って、同じ方向をぼおーっと眺めている、そのときの穏やかな安らぎを連想します。

無意識を書こうとして、そこまで至りませんでした。次回も無意識について続けます。