返信19:風土 ― その三(最首悟、2020/1/13)

序列をこえた社会に向けて

迂遠な蚊取り線香のように周辺から中心に向かう手紙を続けます。

風土は、人の心や性格や人と人との関係のあり方に密接にかかわっています。例えば、自分のしたこと、その責任の小ささ大きさ、軽さ重さ、それに応じた責任の取り方は、人が集まって暮らす共同体や社会の存続にとって、重大な役割を果たしています。責任をめぐる処理の仕方には、風土にもとづく人の知恵が詰まっているのです。そしてその知恵は人が使う言葉に表れていると考えられます。

砂漠の風土では「目には目を歯には歯を」の掟が生まれました。まずはやられたらやり返さねばならない、泣き寝入りや長いものには巻かれろでは済まされない、ということです。ただ過剰な報復は許されないとします。応分、ふさわしい、過不足のない仕返しが超越絶対神の望み、お達しということになります。他の人によって自分になされたことが悪と見做される場合、悪を放置しては社会は成り立たない、法にゆだねる前に自分できちんと落とし前をつけることが肝心ということです。

ただ、殺された場合どうするかという思いというか、疑問が湧いてきます。砂漠の戒律に疎い者として、ハムラビ法典に触れたことのない者として、勝手な想像をします。殺された者は応分の仕返し、すなわち相手を殺すことができません。すると、殺された者の意を汲んで、代わりに主として身内が相手を殺すということになります。はたして掟として代役になることができるのでしょうか。もし代わりに実行することが許されるとしたら、一心同体であるような関係性が前提とされているのでしょうか。そして、汝殺すなかれという戒律は、不文律としてすでにあるとすれば、直接的な殺人はやはりタブーと思われます。

「眼には眼を」という1957年の映画があります。カイヤット監督、クルト・ユーゲンス主演で、砂漠を舞台とした、白人の医師に対するアラビア人の復讐の物語です。妻が診察を断られて死にます。代診でなく、その医師に診てもらえれば助かっただろうという夫の思い込みが発端です。医師は直接手を下したわけではありません。それで同害報復として夫も医師を直接殺すというわけでなく、また、殺人はタブーを踏まえてか、砂漠に放置するのです。

松本清張に「霧の旗」という1961年の作品があって、この映画にヒントを得たといわれ、複数の映画化、テレビドラマ化がなされます。いまのところ最後のドラマ化は、知恵遅れの弟にかけられた殺人の冤罪の弁護を断った高名な弁護士に対する姉の復讐という設定です。

ただ、「霧の旗」にあっては、義務としての復讐という考えはありません。日本の風土では義務としての復讐は、殺された武士の身内の仇討に限られ、それも仇討を果たさない限り帰参はかなわず、流浪の身であるしかないという現世の罰です。同害報復をしないとその義務違反はあの世までついてまわるというのとは違うのです。ただ、やはり、同害報復という考えは日本の風土にもあると思われます。

わたしには星子という重度複合障害の娘が居ます。もしこの子が殺されたら、わたしはその殺害者を八つ裂きにしてやりたいと思うかもしれません。そして娘がナイフで殺されたとして、その殺害者が八つ裂きは残虐過ぎると言ったとしたら、そこには同害報復の考えが顔を出していると言えなくもありません。

逆にいうと、過剰な復讐のやり返しが続くと社会は成り立たなくなるということです。その是正が契約に基づく社会の構築の一端になったと考えられます。契約に基づく近代社会は過剰な情念の抑制に意を払っていると言えます。

ひるがえって、日本の風土で、明治150年、脱亜入欧をかかげ、近代社会化を進めてきた現状はどうでしょうか。率直に言って社会というよりは、広い・狭い世間、冷たい・温かい世間、村のまとまり、が一枚めくった意識の層では有力であるように思われます。なんとしても、理性的であらねばならないという根拠、信念が日本列島人には希薄です。それゆえに、過剰な情念の激発は、共に生きるという古層から立ち上ってくる、本能に近い意識で抑えられていると言えます。でも、そのことは共に生きることが侵害されると感じたときの激情の爆発ともつながっているのです。

和辻哲郎は「風土」という著作の中で、日本人の特徴を「雪に耐える竹」であり、「しめやかな激情」であるとしました。湿潤が温和や隠忍、堪忍に通じるのですが、その堪忍袋の緒が切れるときがあるのです。いずれにしても、ウエットが情であり、ドライが割り切りであるとき、日本列島人の心は情に傾いているのです。次回も風土と心のあり方について述べていきます。