返信27:社会について(最首悟、2020/9/13)

序列をこえた社会に向けて

「社会」とはなにかと言われると、もやもやして、答えにつまってしまいそうです。世間という言葉を思いついて、世間じゃないかなあ、と答えるかというと、実際には答えません。社会と世間はちがうことは常識みたいになっているからです。社会は新しいネーミングだけれど、世間は古い言い方だ、だいたい直感的に思っています。「渡る世間は鬼ばかり」はテレビ20年近く続きました。

タイトルは「渡る世間に鬼はなし」をすぐ思い出すようになっていて、そして「家を出れば七人の敵」だよなあと、うなづくようタイトルになっていると言えます。製作意図はネットを見ると「相手のことを鬼だと思う自分がすでに鬼なんだと、自分が鬼でなかったら相手のことも鬼だと思わない、という意味を込めたんですよ」(石井ふく子プロデューサー)と出てきます。でも自分を鬼だとは思いたくありません。そして自分は鬼じゃないけれど、出会う相手に鬼がいる、とは思うでしょう。

世間は暖かい、捨てたものじゃないと思う一方で、世間は冷たく、非情で、甘えていては生きられないと思います。世間はだいぶ情に絡んだ言い方で、出世も世を捨てることも可能です。出世は出家を思わせますが、ふつうは庶民の世の中から上の方に飛び出して権威を身に着けたエリートを意味します。末は博士か大臣か。世間は人の世で、情に棹させば流されるし、血も涙もないという嘆きも思わず出てきます。

そうした世間にくらべて、社会はどうでしょうか。冷徹な感じがするでしょうか。冷徹とは、争いは常の事で、それをどう収めるか、きちんとしたルールが必要で、争いのもとは根本的には個人の自由は譲れないというところにある、という見かたです。明治時代にソサイティーの訳語をどうするか、仲間とか社中とか会社とか、それは多くの候補の中から、会社をひっくり返して社会とし、それを当てた、という話をしました。語源事典を見ますと、福地源一郎が『東京日日新聞』に「ソサイエチー」のルビ付きで「社會(社会)」の語を使用したことで、「社会」という訳語が定着した、とあります。福沢諭吉は「学問のすすめ」で、世間は悪い意味、社会はいい意味としました。

明治時代に私たち日本列島に住む者が接した社会の概念、考えに、日本にはない考えが含まれていたことは確かです。その根本はといえば、「自由」だと思います。それにいわゆる庶民が主という考えを足すと、自由民主になり、それはまことに斬新な考えでありました。現在、日本は自由民主党が政権を維持しています。

自由の考えを社会の根本としたのは、ルネッサンス後期のピコ・デッラ・ミランドラです。1486年に、のちに「人間の尊厳宣言」と言われる、自由の考えを出しました。「神は、人を世界の中心に据え、自由のみを与えた。人が獣に堕するのも神を目指すのも人の自由である」というのです。人は世界の主役であるとし、自由の行使について、不都合が起こっても決して神に助けを求めない、というのです。あくまでも人の間で決着をつける。決着がつかず獣のようになる、なんだか獣の見方がおかしいようですが、争いが高じて殺し合いの末、力ある者だけが生き残る、そういうことは決してしないと言いたいのでしょう。

神に助けを求めず、自由をなんとしても守って見せる、これが人の尊厳なのです。

もう一つ、人の尊厳があります。それは人格はその都度新しい、というふうに表現されます。人格は神が与えるのですが、その人格は日々に新しく、一つとして同じものはありません。私の人格は過去未来にわたって、たった一つしかないということが、人の尊厳であり、私という個人の尊厳です。人格において、個人は本当にたった一人なのです。このことを踏まえると、個人の自由とは、ものすごい重みをもってきます。
ところが、かけがえのない個人の自由は、二人の間ではということになると、途端に軋んできます。例えば二人の暮らしということを考えると、暮らしに差し障る自由は一切しまい込んで、自由は心、あるいは精神上のこと、具体的なことについては、折り合いをつける、妥協するということになります。しかし社会となるとそうはいきません。集団と集団が自由をめぐってぶつかるとき、容易に妥協はできません。

ここでルールが登場してきます。そしてルールを破ったら罰を与える、罰を覚悟するという取り決めがなされるということになります。でもどんな罰であろうとオレは応えない、あくまで自由をつらぬくとなったら、どうでしょう。どのようにしても免れられない永劫の罰の設定、それに対する同意が必要になってきます。この同意を神との原契約と言います。次回、契約について書きます。