そばに居ることから
最首悟
『人権読本』(鎌田 慧編著)
岩波ジュニア新書
2001年11月20日
 

 「いのち」を助け「いのち」を捨てる

動物に医療はない。これはたいへん大きな意味を持っている。けがをしたり病気になったら、まず死を覚悟しなければならないということである。死は他の動物に食われるか、自分だけで迎えなければならない。動物にもケアはある。しかし、病気や大きなけがについて、ケアはまったくない。医療(ヘルス・ケア)という点で、人間と動物はまったくちがっているのだ。

人間と動物はもちろん似ている。同じ生き物だからだ。身を守り、食ってゆくこと、子孫を残すという点で変わることはない。もしこの基本条件が満たされなければ、人間も「いのち」の選別をしなければならなくなる。

アフガニスタンとの国境にあるパキスタンのペシャワールで、一七年間医療活動をつづけている中村哲医師は、「地雷で両足を吹き飛ばされた人を、私は助けなかった。山岳地帯で車椅子では暮らせないし、家族は共倒れになる」という。戦火を逃れてきた難民の家族が何百人と一晩で凍死する。朝、まだ動いている人のなかから生きのびそうな人を選別する。「そういう罰当たりなことをしている私は地獄に落ちるでしょうな」と、中村医師は切なさのきわみを淡々と語る。毎日毎日身を削るような医療活動をしながら、なお中村医師は、「いのち」を見捨て、選別することで、自分は救われないというのである。

中村医師に人間の大きな特徴が二つ表れている、一つは医療という営みである。そしてもう一つは「いのち」についての罪意識である。「いのち」を助け、「いのち」を見捨てる、この二つをめぐって、人間は人間にしかない特質を育て、その特質をめぐって人間とは何か考えつづけるように、自らを規定した。言いかえると、病と罪を考えることは人間の本質を考えることを意味するのである。

障害者は、病と関係していることが多い。そして、ある種の病は罪と結びつく。現代の病である水俣病は、漁民に多く現れた。そして罪ある病とされた。そのことをふくめて、水俣病にかかった人たちは差別された。人間の特質である罪意識が、自分には罪がないが、他の、ある人には罪があるという意識に変わると、差別を引き起こす根深い原因の一つになるのだ。

障害者もまた、直接間接に罪ある者として差別される、間接にといったのは、障害をもって生まれてきた子どもは、先祖の罪を背負って生まれてきたという考えがあるからだ。

そのような宗教と結びついた古い俗信と現代の障害者の問題は関係ないのではないか、あるいは関係づけてはいけないのではないかという意見があることは十分わかっている。しかし私の体験からは、むしろこのような意識が自分にもあるにちがいないと思って、自分の心を見つめて、そういう意識にぶつかったら、さらに自分の心を掘り下げて、そういう意識が出てくる源に行き着こうとすることが大切だと思われるのだ。私の体験とは、私の四番目の子どもがダウン症であることと、この娘が生まれたあと、水俣病の調査に加わって、九州の八代海の海辺や島に通ったということである。

娘、星子はそのあと目が見えなくなって、ついに言葉を出さなかった。ご飯やおかずは丸のみにして、おしっこやうんこはオムツがとれない赤ん坊のまま、二五歳にいたっている。障害者の親こそ、子どもの自立を妨げ、障害者にたいして偏見を持ったり差別したりしているといわれる。そのことをあえて否定はしないが、障害者問題については考えないわけにはゆかない。そういう立場にいる者の考えとして読んでもらいたいと思う。

 いたわりや慈しみは何のため

人間は一人とか数人だと、自然のなかではほとんど生きてゆくことができない。そういう面で人間はまことに弱い。だからこそ人間は言葉で意志をこまかく伝え合うようになり、道具を作り、火を使って、集団で自然に立ち向かうようになった。あるいは逆に道具を作り、火を使うようになったために毛皮がなくなり、身体能力全般が極端に弱くなってしまったとも言える。

この弱さが人間のきめこまやかな情と医療にいたるケアを生み出した。いたわりと思いやりと、それに対応する感謝と笑顔は人間に染みついている。胎児のときから、もう笑う練習を始めているくらいだ。

いたわりや思いやりや慈しみは弱いものに向けられる。いたわりや怒しみの情なしに、人間はたぶん生きてゆけない。生きても味気なくて、何かとてつもない替わりのものに執着して、その寂しさを埋めようとする。でもなかなか埋められない。

それにくらべると弱いものをかばうという行為は、それだけで深い満足が得られる。いたわりや慈しみの情を投げかけるには弱いものがいなければならない。弱いものにたいするもろもろの情は、一口に愛という心のあり方に結晶してゆく。愛はいろいろやっかいであるが、根本は弱いものを必要とすることから出発する。そして、そのものが亡くなったりすると、自分が生きてゆけないばどの深い悲しみが起こったりする。

 代償作用と罪の意識

ニューギニアのダニ族には、指がないおばあさんがつい最近までいた。愛する者を失った悲しみをそらすために、指を一関節ずつ切り落として、その痛さで悲しみをまぎらわすのだ。長生きして死に目にあうことが多くなると、指はだんだんなくなってゆく。悲しみで心が張り裂けてしまう。それよりは指の痛さに気を取られるほうを選ぶ。そういう心の動きを私たちもまだ秘めているのか、じっと自分の心をのぞいてみたい。

耐えがたいことを何かに振り替えて耐えることを、代償作用という。悲しみのほかにも、寂しさや怒りや憎しみ、恨みや嫉妬、挫折なども代償行為を必要とする。やけ食いなどもそうである。代償作用のもっとも昇華したかたちが宗教的な「救い」である。昇華とは蒸留してエッセンスにするという意昧だと思ってほしい。「救い」には、正当化や納得がふくまれる。この子が死んだのは理由があってのことで、召されたということもあるというような受け入れである。

人間は弱い。弱いから諸能力を発達させた。そして諸能力を発達させることで人間は弱くなった。人間は自分より弱い者を慈しみ、かばうことで情をこまやかにした。こまやかな情を保持して、生きる喜び、充足を得るために弱い者がいる必要がある。

そして人間は生きのびるために弱い者を見捨てる。切り捨て見殺しにして、ときには殺す。何ということだろう。生きるために弱い者が必要で、生きるために弱い者を見捨てる。罪の意識は必然的にやってくる。

免れない罪の代償は何か。一つは宗数的な救いである。一つは、恐ろしいことに、転嫁という代償作用である。罪は自分ではなく誰かにある。そう思わないと身がもたない。見捨てられて死んでゆく当人に罪があった。あるいは誰かの罪を肩代わりしたのだ。それはやがて罪ある者という烙印(スティグマ)にまでいたる。

もう一つ述べなければいけないことがある。それは死体が汚く臭く崩れてゆくということである。汚穢を、恐怖もともなって、どれほど嫌うかは人びとが住み着いた気候風土にもよる。そして人によっては、自分が生きてゆくための食物に死体(魚肉や獣肉)があることに気づいて耐えがたくなり、その思いを転嫁したいということも起こってくるだろう。この場合の転嫁とは、漁をしたり、死体を扱う人に汚穢を負わせ、その手を離れたものはもう汚くないとする意識である。この意識の起源もはるかに古く、そして今でもつづいている。日本ではどうして死者をかくまで一律に火葬してしまうのだろう。深層意識を探ってゆくと、この問題にぶつかるかもしれない。

人間は、ずっとずーっと長い間、小さい集団で暮らしてきて、その住む場所をムラとかクニと呼んできた。漢字では村とか故郷で、今では地域というとわかりやすい。そこでは圧倒的な自然の力、すなわち自然の恵みと暴威のもとで、人間はかつかつに暮らしてきたのだ。

そしてこのほんの数百年間、人間は知力と金力と権力を急速に発達させて、自然の力に挑み、人間を機能単子とみなす社会を育ててきた。人間全体が何かの目的、たとえば進歩というような目的をめざしていて、人ひとりはそのはたらきを担う最終単位であり、自発性と誇りをもってそのはたらきをしている。そのような人間を個人という。機能単子というとずいぶん非情のようだが、個人がつくりあげている社会は近代社会といい、法や公正さや平等という、いずれも情におぼれない非情な原理に貫かれているのだ。非情とは情を越えるという意味で無情ではない。非情さは規格化、効率、能率に言いかえることができる。

 近代社会、地球エリアで障害者問題を考える

私たちは現在、情が通い合う親密な生活エリアと近代社会で生きている。地域を親密な生活エリアと近代社会がオーバーラップしている生活圏とすれば、地域で暮らしていると言ってもいい。障害者もそうである。障害者の問題を、親密な生活エリアで考えるか、近代社会で考えるか、地域で考えるかで、問題の所在や解決の展望はずいぶんちがってくる。

近代社会での障害者を考えると、アメリカの障害者法(一九九〇年)が典型になる。この法律は障害者に対する差別を明確に包括的に禁止する。アメリカには四三〇〇万人の障害者がおり、不公正で不必要な差別と偏見は、この人たちの「平等な立場で競争する機会と、自由社会が誇る機会を追求する自由」(斉藤明子訳)を否定するものであり、そのために障害者は、依存と非生産性を強いられ、そのことで合衆国に何十億ドルもの浪費をもたらしている(第二項「調査と結果」)。

ただしこの法律の雇用の項では、そしてこの項がこの法律の一番大事な項であるが、障害をもつ人とは、「資格ある障害者」のことだとしている。「資格ある障害者」とは、「適切な設備(配慮)があれば、あるいは適切な設備(配慮)がなくても、現有のまたは希望する職務に伴う本質的な機能を遂行できる障害者」で、仕事のどの機能が本質的かは「雇用主の判断が考慮の対象となる」としている。「考慮の対象」とは、雇用主の判断が公正かどうかチェックされるということで、たとえば、速記者にとって目が見えるかどうかはその仕事の本質ではないので、雇用者が雇用する条件にしてはいけないということである。

すでに明らかと思われるが、アメリカの障害者法では、障害者も社会の機能単子として、障害者が競争に参加する機会を公正・平等に保障し、そのことが国家的利益にもつながるのだとしている。これは機能単子として働くことができ、社会に貢献できるのに、差別や偏見で慟く場をうばわれてきた障害者には画期的なことだった。とはいうものの、機能単子としての資格に欠ける障害者にとっては、公正な競争は無情そのものである。

私の娘、皇子は障害者作業所に通っている。彼女のできることは寝そべっているだけである。でもそれだけで仲間を和ませることがある。また仲間が世話を焼くことができる。彼女は規定の給料をもらう。和ませ料とか世話焼かせ料みたいだ。しかし、いくらみんなの気持ちをやわらげるからといって、寝そべっているだけでは、近代社会の機能単子の機能とは認められない。彼女は情が通い合う地域という枠の中で給料をもらっているのだ。

彼女はあまり作業所に通えない。そして給料はおよその時間割りだから、仲間や家族会も、彼女の月二〇〇〇円に満たない給料を認めている。もし彼女が朝から夕方まで毎日通って規定の給料をもらったら、それは情に甘えすぎになって、たちまち批判が出るだろう。彼女の給料は温情による。そして温情をかけることこそ、アメリカの障害者法の精神は差別だとしているのである。

 どのような生き方をするか

「情けは人のためならず」。情けをかけるとかえってその人のためにならない、情けはかけてはいけない。この解釈はまさに近代社会に即して登場した。機会の平等のもとに、人は公正な競争をし、ひとりで自分の人生を切り開く自由をもつ。温情は自由をうばうしがらみをつくるだけである。こういう解釈を、今、日本人の半数近い人がしている。

本来の意味は、情けは人のためにかけるのでなく、自分のためにかけるのだ、情けをかければ必ずその見返りはある、というのである。見返りとは、情けを受ける反対給付ではなくて、人間は弱いという洞察を深めてゆくことにある。弱いから強くなろうとする、それが強がりでは弱さ丸出しだし、強くなればもろくなる、強さは弱さを徹底することでしか得られない、というような境地への道が開けることである。

人間は、あたたかい情が行きかう小さな人間の輪と、情にほだされない非情、すなわち理性的なルールが行き渡っている大きな集団の双方で暮らしたいと願う。しかし、小さな輪での罪や憎しみの代償としての正当化が、大きな集団での正義をかかげる力と結びつくと、人間はとてつもない殺し合いを始める。

情に生きること。それは少なくとも、何のために生きるかという目的を問わない生き方である。人に向かってあんたはどんな目的を持って生きているのかと迫ったり、人を指して役立たずとか、穀つぶしだとか、生きている意味がないなどと言わない生き方である。

そんな悠長な生き方では踏みつぶされてしまう。はたしてそうだろうか。たとえ踏みつぶされるにしても、いささかの安らぎがあるのではないだろうか。障害者問題も、結局は、自分かどんな生き方をするかになる。私にとっては、星子がいる、私はそのそばにいたい、そこから出発するにつきる。そして星子のそばにいるのは、自分が弱いからだという自覚を深めてゆくことである。

 <参考図書>
『障害児教育――発達の壁をこえる』(シリーズ授業10)稲垣他編(岩波書店)
『娘大音妻ヒロミ』山口平明著(ジャパンマシニスト)
『星子が居る』最首悟著(世織書房)