教育における自立と依存

岩波講座・現代社会学第12巻『こどもと教育の社会学』所収

日本の公教育は伝統的に教化であり、調教である。特殊教育といわれる障害児教育では、そのことがより露わになる。しかしそのような教育のあり方を不徹底に反省し改めようとすると、子どもは踏み出そうとして踏み出せず、ダプルバインド的ヒステリー症に落ち込んで行く。ただ教育の矛盾のしわ寄せであるような特殊教育の場では、大人の働きかけに対してテコでも動かない子どもたちがいる。そのような子どもをどう捉え、どう関わるかが、教育ひいては社会の疲弊を癒す道だろう、というような文脈にこの小文はある。キーワードは「人間の本質としての依存」である。

まず教育に対する不徹底の反省という場合の例を、高史明の最近のエッセーに求めよう。

「ところで、この私は、この苦しみを生きる子に何といっていたか。その子が中学生になったときである。私は自立を励ますつもりで、つぎの言葉を子に送った(ママ)のであった。他人に迷惑をかけないこと/自分のことは自分で責任をとること/その二つができるなら、お父さんはこれから、いっさい君に干渉しないことにする」(高、一九九六)。

在日朝鮮人の立場も加え、高史明は皇民教化教育を排して西欧民主主義の根幹をなす「自立と責任」教育に赴く一人となった。その集約がここにある。そしてわが子の自殺を経て、自らこの反省的帰結が不徹底であったとして、今なら、数知れない人々の働きのお陰を自覚し、「載いてきた無数の『いのち』を、いのちの大地に返してゆくことも願われてこよう。その自分こそが、本当に自分のことを、自分で責任をとってゆこうとする自分なんだよね」と言いたいという。高史明は「いのちへの深い依存」に行き着いたが、それはやはり「責任」と同じような強い抽象であるように思われる。「依存」は「弱さ」であることが少なくともここでは語られていない。

私の娘の星子は二○歳になる。ロはきかず、ごはんは丸のみで、おむつをし、目が見えない。ひたすら音楽を聴く。童謡から演歌、クラシックからジャズ、ロック、ほとんどあらゆるジャンルの音楽を、一日の大半聴いて過ごす。養護学校高等部三年に在籍するものの、深夜起きているので、きちんと学校に行くことは少ない。テープからCDになって、そしてCDチェンジャーが出て、親は夜、まずは寝ることができるようになった。一晩の枚数はほば六枚、うまく親が選ぶことができて、星子がある程度妥協し、我慢してくれると、一晩は無事に終わる。スピーカーが頭の左右にあるような配置で寝て聴いている。朝まで起きていれば家の近くで停まるスクールバスに乗せる。寝ていれば学校まで連れて行くか、休むことになる。

何はともあれ、星子がいて、星子がほどほどの快不快の範囲で、一日一日を過ごすことができればよしとしたい。そうでない日が今までもなくはなかったし、これから歳をとれば、確実にやってくるからだ。病気になると、痛みや気持ちの悪さを訴えないし、治療にしろ世話にしろ、見知らぬ人の介入を拒否するから、それは大変なことになるのである。

星子次第の生活は赤ん坊がやってきた日常と似ている。ただ先の見通しがあまり立たないところがちがう。しかし順序ということを言えば、五里霧中状態になったところに星子がやってきて、星子に「しがみついた」と言う方があっている。どうしてそうなのか、全般的事情説明をウディ・アレンに托すると、次のようになる。

「我々は確固たる目的を持たない人間です。愛することを知りません。我々には指導者もなく、統一のとれた展望もありません。我々には魂の拠りどころとなる心の支えがないのです。我々は、満たされぬ気待ちと心の痛みから互いにとてつもない暴力を振るい合い、この宇宙を孤独にさまよっているのです。幸いにして我々は物事の調和の感覚をなくしてしまったわけではありません。最後に要約しますれば、・・・たいせつなのは、・・・タ方六時にはキチンと家に掃っているということです。(アレン、一九八一)

家が出撃拠点であった時代から、自己閉鎖したマイホームを経て、解体しつつ母港となる契機が日本の七○年代には双方向的に存したのであり、星子はそのような契機となりえた、と同時に、核家族の閉集合には収まりきれない者として、新たに家を開く契機をはらむ存在でもあった。さしあたり「六時に家に帰っていること」は「星子がいる」ということと等価であったのである。

星子が、ある人間のまとまり、すなわち家の軸になりえることの意味をずっと考えている。出発点は、すくなくとも私が星子の存在に「すがりついた」ということにある。「すがる」ことは「さびしさ」や「よるべなさ」などが高じたある種の病的状態、たとえば「連帯を求めて孤立を恐れず」とか「自己否定」というしなやかさが次第に硬直化してゆくことからの癒しのきざしであるのだが、ただに「すがる」のではなく、「人にすがる」ことが不可避であり、しか、「人」がどのような「人」であるがが問題なのであった。

星子はどのような「人」であるか。星子は「精薄」で「白痴」で「障害者」であろうか。「精薄」の呼び方は法律の文言からも消えることになったが、そうでなくとも、星子はクプラ・ラサ(白紙)とはとうてい言えない。では「精神遅滞」か。いろいろと弁えることは少ないが、心が止まってしまったとはとうてい言えない。中島みゆきに聴き入っている様子は、不可解ではあるけれど、それはこちらの心が狭いだけのことで、星子の心は子どもの状態だとか、二○歳にふさわしくないと言いきることはできない。

「障害者」の「障害」とは、「障害物競争」というように、第一に乗り越えるべき何かであって、第二に何かが機能を果たさず、あるいは「欠けている五体」を表す言葉の代替えなのである。五体満足の日本仏教的呪縛は意想外に大きい。この二つを合わせると、障害者とは「克服しなければならない欠陥をもつ人間」ということになる。この規定を、障音をもつ本人が自分で引き受ける場合は、けなげな障害者ということになるが、本人が承服できないときは、勝手にすれば、という排除が始まる。排除される身としては、「障害も個性」などと悠長なことは言っていられない。

星子の場合は、どう考えているのかわからないので、もっぱらまわりの意識のあり方の問題になるが、わが家では「障害=欠陥は、先祖の罪業の表われ」というのは、だいぶ卑怯な「せこい」宗教感覚ではないか、から始まって、不便を欠陥と見做すのは社会のあり方だという意見におおむね同意しているので、「障害」という言葉を使いたくない。「克服」については、星子をその気にさせる方法手段がないから無理ということに尽きる。どうしてないと言うのか、それは結局は教育という営みに対する考え方になってくる。

星子を障害児とか障害者と呼びたくない。けれど星子はふつうでなく、大いに変わっていることは認める。だから略して紹介するときは、「スケールアウトしたダウン症です」というようなことを言う。単純に「害」という言葉を発音したくないのである。傷害、加害、災書、危害、妨害、というようなイメージがどうしてもついて回って、星子は社会的に危険で、よからぬことをもたらす人物という感じがしてしまう。もうすこし柔らかく言えば、世間にもたれかかるばかりで、みんなわが身のことで精いっばいなのだから、迷惑なんだよ、ということになる。

生産力が低く、政治が苛斂誅求を極めるとき「迷惑」は切実である。しかし人々が「より多く、より良いパイの分けまえ」を、人を押しのけて求めているときは、「迷惑」の意味がちがっているのだから、「迷惑大いにけっこう」とも言いたくなる。ただこのことは、人に迷惑をかけるからと小さく縮こまっている人達へのエ−ルにはなっても、星子には当てはまらないことである。

星子が、生きるについて、私たちを頼っていることは事実である。のどがかわいた、おなかがすいたとは言わないし、そのような素振りもなかなか見せないが、それでもそっと食卓の決まった位置に座りに来ることはある。概して要求は弱々しいので、水をやらないと黙って死んで行く植木鉢の草花を連想したりする。

星子は私たちに「すがって」いる。私(たち)も星子に「すがって」いる。しかしその逆は決定的に違っていて、星子は「すがら」なければ、ただ死ぬ。私(たち)は「すがら」なければ、無気力になったりヒステリ−になるかもしれない。そしてそのほうが厄介なのだ。

そういう星子について、あっちこっちひっくりかえして、仮に倚人(いじん)とか倚児(いじ)と呼んでみようかと思う。倚人はふつう「きじん」と読み、畸人に通じて、心身や挙動などが普通と変わっている人という意味であるが、「倚」の第一義は「依」で、「よりかかる、もたれる」であり、第二義が「たのむ、たよる、すがる、身を寄せる」で、さらにたどってゆくと、「めずらしい、ふしぎな、かたよっている、普通でない」と、意味が変じて続く。そしてここのところがよく判らないのだが、依存しながら依存する相手を大切にするというような、いわば「能動的依存」の意味が出てくるようである。たとえば、「倚愛」と言うと、「頼りにして可愛がる」ことだそうだ。誤解しているのかも知れないが、そうなると、倚児とは、本人はあっけらかんと人に頼っているが、人はその子を頼りにして大切に可愛がるという存在である。

この規定は、人間関係としての、もたれあいに走りがちな「相互依存」に、実に目覚ましい風を吹き込むように思え、同時に懐かしさを喚起するようである。

子育てや子どもの教育が、慢性の病いのごとく、しだいに収拾がつかなくなってきた原因は、私自身の経験やわが家の経営から見る限り、自立した個人へのうながしが、「甘えの抑圧」と化し、「相互依存」の関係を断ち切ることでしかなかったことにあると思われる。現象的には、生半可に自立しえたと思い込む者が、実は支配的信条やシステムに取り込まれた結果の安住にすぎず、そのような者が、本気で自立を考え試行して、その結果途方にくれてしまう者をむち打つことが、いたる所で起こった。子どもの「いじめ」は、安心して寄っかかれる大人がいないことと、自立を目指す子どもの袋小路化を示している。

「自立」は、キリスト教文化圏での「一の超越的権威」との紐帯を前提として、しかもその「一の権威」を無限遠に遠ざけてゆく西欧近代が生み出した概念である。野間宏と対談したG・ステントを思い出す。彼は「西洋科学のよりどころとなる基盤は、本質的に宗教的です。もちろん多くの現代西洋の科学者たちは自分達を無神輪者だと言い張るでしょうし、神を信じていないと主張するでしょう。しかしこれら「無神論者」を自称する人々の大半は自分たちの言っていることがわかっていないのです」(ステント、一九八一)と言った。そして「一なる権威」ヘの依存をついに断ち切ったかに見えたとき、個人はぼやけ、自然科学は何のためにやっているか判らない恐ろしい営みになったのである。

あるいは、個人原理を徹底して純化させようとするシュティルナーにとって、国家は「隷従と愛着の編みなされた織り物だ。それは、一つの共属態であり、結晶態であり、そこでは、共に置かれた人びとは互いに順応しあう、つまり互いに依存しあっている。国家とは、この依存の秩序なのだ」(シュティルナー、一八四五)というふうに見えた。シュティルナーは、個人原理が共同体の産衣を脱ぎ捨てるとき単独者が表われると考えた。しかしそのような観方から近代国家も「依存の体系」として映し出されることが大切である。ただし、この体系にあっては隷従は自ら仕え従うことであり、奴隷根性とは異なる。

近代的個人原理は「一神教原理」をバックボーンとし、かつ人と人との非理性的絆を含んでいることを見逃してはならないのである。ところが「多神教的<無>原理」の世界では超越的バックボーンはなく、人々は地上的により直接に人との絆を強めざるをえず、地上的であるゆえに、見える範囲の具体的な絆として「イエ」あるいは「ムラ」が形成されたと考えることができる。そこでは人は「一人では生きられない」。全能の一なる神の前に一人立ち、かつ社会を契約によって創り出す人とは大きな懸隔がある。しかしその溝を下降して行くと、人の奥深い「依存」に行き当たる。そして「依存」を、全能の神に依存するか、力ある人に依存するか、あるいは無力無能なる人としての<神>に依存するか、の三つに分けるとすると、「大切にする」、「可愛がる」、「愛着」が併存するのはどれかはおのずから明らかであろう。

和辻哲郎(一九三五)が三つに分けた「生が横溢」するモンスーン地帯の、その一番東に位置する「イエ」「ムラ」には「生が横溢する」ゆえに、そしてそれが無方向的であるゆえに、無力無能な「まんまんさま」や「福子」「宝子」が存在しえた。しかし「イエ」は、関曠野(一九八七〉が指摘したように「オイエ」をはね出した。天上的一元的世界観がないゆえに、「イエ」は地上的な暮らしの共同体の単位となるのだが、それゆえに共同体出自の、あるいは共同体外からの目的志向的旗印に収斂しやすい。ウディ・アレンの「家」は、天上的一元的世界観の下で成立した個人という単位が、その世界観が崩壊して行く過程で登場してきた。「イエ」にしろ「家」にしろ個人原埋はぼやけているのである。家とは共同体であり、共同体は目的のない相互依存の体系である。オイエは旗印を立てる。旗印は大義名分を擁し疑似天上的で、その究極は力ある「現人神」である。

六○年代末のベトナム戦争の様相を直接の契機として、「何のためか」という問いの対象の範囲は一挙に拡大した。それからほぼ四○年、その問いを免れる無傷の「目的」や「方向性」はほとんどない状態で、二一世紀を迎えようとしている。「目的」を掲げ、「自由・選択・責任・義務」を骨格とする「自立した個人」の命運はほぽ尽きているのではないだろうか。醒めた「弱さ」の自覚からする、目的を捨象した「倚愛」が教育の士台となるきざしは、否応なくあると言わねばならない。

[引用文献]
アレン、ウディ、一九八一、堤雅久・芹沢のえ訳「<贈る言葉>」『ぼくの副作用』ソニー出版
高史明、一九九六「イカロスの声が聞こえるか」『教育評論』四月号
シュティルナー、一九六七、片岡啓治訳『堆一者とその所有』現代思潮社(原署一八四五)
ステント、G、一九八一『真理と悟り』朝日出版社
関曠野、一九八七『野蛮としてのイエ社会』御茶の水書房
和辻哲郎、一九三五『風士ー人問学的考察』岩波書店(一九七九、岩波文庫)


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