共同性へのシンボル

「動かぬ海」1994年所収

東京水俣展では、いわゆる「お地蔵さん」問題を避けて通れないだろう。賛成か反対かの態度選択が迫られるという意味でなく、「お地蔵さん」がどんな意味をもつのかについて、討議し、意味のゆるやかな共有をはかることが、要求されているということである。「お地蔵さん」が認定運勤にマイナスという見方は、運動の現状認識にかかわる。もし運動が膠着していて打開の道が見出せないという現状であれば、マイナスという評価は下せない。プラスにはならないというここと、マイナスになるということは同義ではない。国との「和解」ははっきりマイナスである。なぜなら「和解」は国に責任あることを国が認め、その上で国の責任を棚上げにし、次に国が責任がないことの行政的表明として打ち出した、水俣病でない水俣病があるというようなグレイゾーンを認めることが前提になるからである。「和解」の第1条件が国の責任であるとすれば、それはそれと追究すればよい。「和解」などというまわりくどい、しかも支援として腰が引けていることが明瞭な目的を打ち出す必然性はない。

「お地蔵さん」は行政との別の形での「和解」ではないかという指摘がある。これは国と行政を一体化させ、中央行政と地方行政を一体化させる立場が背景にある。行政は人びとから依託された公的サービス機関であるという規定は成り立つ。その規定の実現をはかり、行政の顔を人びとの方へ向けさせることは可能である。国、国家の成立はいまだ解けない問題があることは事実であり、国が機関に収り切らないという立場が可能である。行政がそのような国家と一体であるという立場は崩せる。国家と行政の対立こそ国家の廃絶の条件と言ってもよいのだ。歴史的に行政が天皇の行政であり、国家の行政であったとしても、それは固定されない。しかも流動情況を生み出すためには、積極的に国家と行政の間にクサビをうちこむことが必要であり、具体的には、まず地方行政と国家行政の離反を測ることが重要である。水俣市と熊本県が対立したら、水俣市を、熊本県と国が対立したら熊本県を支持することが求められる。「お地蔵さん」はそのようなクサビとして見ることが可能である。市や県が「お地蔵さん」を受け入れる過程で、贖罪の意を表明せざるを得ないとすれば、それほトゲとなって国を刺し続けるだろう。

「お地蔵さん」はすぐれて当事者性を帯びており、支援の介入する余地がない、患者運動は支援なしには進まない、したがって、支援できる課題を掲げることがそもそも患者運動の本質であるという正論がある。どんな運動でもそうである。支援は従であり、場合によって支援は邪魔だという運動はそもそも運動として浮上しないのである。問題は「支援の成り立つ余地」とは何であるかである。「お地蔵さん」ははたして支援の介入できない課題であるのか。

「お地蔵さん」は仏教における形象から、子どもを守るというシンボルというレベルから1段遡れぱ、風化しないものに託す人問の意志の表象というレベルでの原像であり、さらに1段遡れぱ、共同性希求の表象とみなすことができるだろう。まわりにある石の姿に何かを託すことから、石に1つの印をつけることに進む、その段階の人間の思いを現在のお地蔵さんはいまだとどめているように思われる。共同性の表象が宗教と民俗に振り分けられる、その分岐の地点にお地蔵さんは立っているようである。

現実には、共同性は権力の強いる滅私とその反動であるエゴイズムの揺れ動きのなかに遠望されてきた。そしてその中から誕生した独立人格の市民の共同性について人びとは確固とした手ごたえをもっていない。水俣病が文明病として、共同性の危機としてとして出現したことの意義は大きい。

水俣病患者運動は、共同性への回復の模索であるといえる。あるいはその模索を秘めている。「患者と地獄までつきあう」という熊本告発のスローガンは、まさにその端的な表現であった。水俣病患者運動支援とは、関わるものが、共同性に向って石を1つ1つ積んで行くことである。カンパも集会も坐り込みも作品群も、それぞれの石であった。今私たちは、それぞれがどのような石を積んでいるのか、積もうとするのか。私は比喩でなく、水俣の地に1つ石を置いてみようかと思う。そんな石やたらに置いてはだめと現地から断られても。


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