<いのち>のひびきあい〜緒方正人『チッソは私であった』を読む〜
無量という思い――直命、直魂に触れた緒方正人

「図書新聞」2002.2.23号

森有正は、中国が対日賠償請求権を放棄したとき、日本は「はあ、そうですか」と言ってそれっきり払わないようだが、それで済むのかと述べた(『土の器に』)。中国が何と言おうと百兆なら百兆、払うと申し込む。「自分がやった悪いことを相手がいらないと言えばなくなってしまったように考えることが非常に危ない」。すなわち、責任を形あるものにしない限り、政治上、中国に永久に首根っこを押えられることを示唆したのである。責任は道義に行き着き、道義的優位性をこえるものはないからだ。

東京裁判を考える。その当時の日本国民は被告に連なっていたのであるか。少なくとも原告でないことは確かだ。子どもであった私には罪はない、しかし責任はあると、ヴァイツゼッカーは述べた(『荒野の四十年』)。

戦争は継続した。企業間、国家間の経済戦争を平時の戦争という。水俣病被害は戦争被害である。敗戦によってすべてを失った朝鮮窒素が水俣で起こした平時の戦争被害である。その被害者が損害賠償請求を取り下げた。チッソは、ああ、そうですか、で済まされるのであるか。日本国民はチッソとどのような関係にあるのか。被害者とどのような関係にあるのか。私はこの国家ぐるみの戦争において日本国民である。関係いかんによっては、私は罪があり、責任がある。そして、水俣病被害者が「チッソは私であった」と規定するとき、私の罪や責任はより重くなるのであるか、それとも軽くなるのであろうか。

わたしは、ほんとうのところどうなんだと、私に聞いてみなければならなくなる。そしてあれこれの果てに無量という思いが返ってくる。無量とは量られないことであり、不可知であり沈黙であり、フッサールの、逆側からのエポケー(カッコに入れる)である。では無量の思いはわたしのくらしぶりにどう反映するのであるか。ここのところが大問題である。

緒方正人(敬称を略す)は水俣病被害の賠償を求めた。求めるには被害者であることの認許が必要である。認許は、とどのつまり医学者が担って、早々とその認許基準を打ち出した。医学からすれば水俣病の定義の試みは水俣病患者が一人もいなくなるまで続く。認許基準が医学ではないことは明白だった。それを厳密な医学に基づくと医学者は言い張った。そこに医学者という人間は居るのか。居ない。居るのは、制度やシステムに絡め取られた人間の幽霊、透明人間である。

緒方正人は企業、行政、政治、いたるところに、透明人間を見出した。そして、のれんに腕押しの透明人間による認許いじりにケリをつけた。水俣病申請をただ一人取り下げたのである。それは申請運動の若きリーダートしてのくらしぶりにもケリをつけることだった。

緒方正人は狂った、と言う。裏山に分け入り、感覚は千倍くらいに尖った。それは禁断症状だったと振り返って言う。何の禁断症状か。気がついてみれば自分も透明人間化していたのであり、その透明人間を絶とうとして起こった禁断症状だったのだ。禁断症状をくぐり抜けなければ、くらしぶりは変わらない。

ただならぬことである。頭で考えたって、苦しむばかりだって、思想やくらしぶりは変わらないのだ。一人きりになることを辞さない覚悟と、それに何か、プラスアルファがなければいけない。緒方正人にやってきた体験を誰もがするわけにはいかない。でも一人きりになろうとする度合い、自分を変えようとする度合いに応じて、緒方正人の得たものにすこし触れることができそうである。

緒方正人が得たものは、直、ジカ、じきである。安藤昌益が直耕といい、思想はいらないと言ったように、ルソーが神と私の間に人が多すぎるとして市民直宗教を求めたように、シモーヌ・ヴェイユがただ一人立つことで直義務をはらんだように、緒方正人は直命、直魂に触れたのである。魂とは命の言い換えであり、命とは見えないもの、名づけられないもの、根源なるものの言いである。緒方正人は私即命とは言わない。そのゆえに、「自分には仏教的信仰感覚はあるが」と言うのである。  

即は一切の言明を許さないはずである。緒方正人はあくまで個なる私がジカに命に触れた体験と、その体験が言葉で表せない領域を含むことを語ろうとするのである。

緒方正人は、その体験から「じゅしくゎんじん」に向かい合う。緒方正人の地、九州芦北女島では、漁師を「じゅし」という。泥棒を意味する。「くゎんじん」は乞食である。江戸時代、漁師は士農工商の下に置かれた。芦北から水俣まで、漁師は流罪の天領地、天草からの流民が多く、殺生の生業から、泥棒まで何重もの偏見・差別におおわれた。

緒方正人は、互いに命につながった生きものどうしの食う食われることの正当性をふまえて、殺して食うのみで食われることのない自分の罪をみつめる。そして自分が命とへだてられて幽霊化したとき、その罪を、いわば、処理できないままに抱え込んでいるのだと言う。差別・蔑視成立の一面は、被差別・蔑視者がそのような罪を抱え込み、認めながら拒否しているところにある。緒方正人は、直命に触れる体験を通して、殺して食う罪を罪としてはっきりとららえた。自分を「じゅし」として認めた。そのことで、また、命に直につながる自分をいっそう実感できたのである。

人は人と直接触れ合うことができない。人は社会をつくってくらす。社会のものが媒介であり、社会は制度という媒介を無数に作り出して行く。その究極の抽象表現が貨幣である。一切の媒介の否定は社会そのものの否定であるだろう。媒介(制度)の必要を認めながら、媒介が自己増殖することを防ぎ、媒介に絡め取られて、人間が透けてしまうことをどう阻止するのか。緒方正人はその稀有な体験を通して、この大問題を解く道を切り開いたといえる。その切り開き方は古くて新しく、そして何度も何度も個人によって切り開かれねばならない。

その切り開き方とは、<いのち>を普遍とすることである。「語らず言わず/その声きこえざるに/そのひびきは全地にあまねく」(旧約詩編一九)。創造主も神も仏も、そのひびきにおいて<いのち>と密接不可分であり、いな、むしろ、<いのち>のひびきにおいて創造主も神も仏もひそむとすべきであり、<いのち>のひびきに共鳴するとき、わたしはわたしの内奥に大いなる道義と、それに伴う義務をはらむと。

緒方正人は、教団も教義もいらないという。しかし洗礼を受けなかったシモーヌ・ヴェイユがそうであったように、じゅうぶんに信心している。その本願は、人と共に「生まれて、生かされて、生きて、生きぬいて、見事に死に切りたい」ということである。すなわち<いのち>が響き合うことだ。この私が、そのように、自分を突き詰めることなのである。


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