ケア概念の再構築へ向けて〜ターミナルケアの起源への一考察〜

『ターミナルケア』4巻2号(1994)

ケアは、アート・オブ・メディシンというときのアートと同じように、訳しにくい。世話というと、どれほど中身を言い当てているのだろうか。世話と言えば、福田定良さんが対話と比較対照して書いていたのを思い出す。

対話は異質な者同士が異質であることをお互いに確認し含うのであって、もしどちらが正しいかを争うのであれば、これは最後は殺し合いになる,そのくらい厳しいのだ。ところが世話は同質な者がお互いに同じであることを確認し合うのであって、そのためには第三者が必要な話し合いなのであると。

第三者はあまりいい役回りではない。世話をしりお互いが知っていて、自分たちとは違うと思われる人物、つまり威張っていたり、人の気持を解さない,礼儀を知らない、どうかと思われるような人物を取り上げ、この人を扱き下ろすことによって、自分たちはまっとうな同類であることを確認する。だから世話はそどどうしても馴れ合いのベタベタしたものになりがちである。

介助する、介抱するという意味での世話では、この第三者は冷たい世間をぼんやり指すというふうに変化し、その冷たい世間から相手をかばう、守るという意味に転じている。もちろん相手は身内か準身内で気心が知れているのである。そしてその相手すなわち世話される方も、世話されるのは当然などと思ってはいけなく、世話を少しでも減らすように気を配り、感謝の念をもたなければいけない。

ある人が生活上、ある二一ズを満たすのに格別の困難があるとき、社会は当然その困難を解消すべき措置をとる、というのが福祉の原点であると思われるが、日本の世間ではそうはならない。そのような困難は身内がまず解消しなければならないのである。その努力をしないで世間に頼られては迷惑だというのが常識である。とうていその困難の解消は身内では背負い切れないと思っても、世間は触らぬ神にたたりなしと背を向けている。そう感じると世間は冷たく、鬼のように立ち現れてくるし、まず自助をと迫ってくるのである。世話はそういう世間に対する防衛であり、やむをえない措置でもあるのだ。

世話は防衛的であり、しかもお互いが気持ちを通じ合って、気配りしているという前提の下に成り立っている。この前提が崩れるとたいへんである。せっかく世話してやっているのに、その態度はなんだということになるし、社会が面倒を見るのが当然という、世間の中にあっては場違いな主張をすることになる。

このような世話からケアへ、さらには夕一ミナルケアへと歩を進めるには、どのようなアプローチがあるだろうか。

世話は世間とムラ(ムレ)という内・外の区分けと密接に関わっている。ムラは地域的であるよりは人間の集まりを指し、そのような集団を結衆と呼ぼうと言ったのは、民俗学の桜井徳太郎さんである。結衆の規模はさまざまで最小単位は二人であるが、同一人が複数の結衆に属し、結衆同士は親和的であるよりも、疎遠でお互いを縁なき衆生と見なしている場合の方が多い。結衆は暮らしを立てるための共同集団であるけれど、それ自体、規範や、暮らし以外の目的をもっておらず、したがって受動的反応自然集団であるような性格を帯びる。お上から圧力を加えられて、初めて、服従にしろ、反抗にしろ反応する。しかしその反応は一般には順応的である。

ムレとムレは一般に疎遠で、共同関係にないのに、お上に順応的で、ときに熱狂的に迎合し、しばしば揶揄するという人間のまとまりが幾つも幾つも反発したり、重なったりしながら、結局は世間を形成し,世間の圧力に対抗するような世話という人間関係を生み出したのだろう。鍵はやはりムレすなわち私性を払拭できない結衆の解体にある。しかしその自覚的作業は容易ではない。

周知のように戦後日本の工業分業立国、高度経済成長の中で、ムレは物理的に解体を強いられ、個として立つ精神的心理的備えを欠いたまま,人々はばらばらにさせられた。そのことが逆にムレへの郷愁をつのらせ、ムレの温かさを懐かしむのである。「共に生きる」というかけ声の中に、実は分断された非社会的なムレヘの回帰が潜んでいることを忘れてはならないだろう。

しかし私たち結衆が積極的に結衆をばらして個になるということは容易ならぬ難事業である。自然のあり方と宗教のあり方がどのくらいの関わりをもつかを検討しながらも,そのようなな関わり方が、深く一という個人や、二という結衆の単位を規定していることに思いをはせると、作業は別の方向性を帯びざるをえない。

すなわち西欧近代社会の個人原理を方法的道具として、結衆の単位としての二人の補完性を徹底的に洗い出して、その必然性を自覚的に認める方向である。補完性が一人の人の足りない部分を埋めるという意味でなく、全体の豊鏡さから切り出された限定的存在の、豊鏡さへと近づこうとする意欲を表すとすれば,お互いに依存し合う甘えとしての補完性を組み替えることができるかもしれない。

他者を含む諸事象を,自らを余すものとして位置づけることは、自己否定的に自己という個を浮かび上がらせる。それは、己は取るに足りない者という自己卑下ではなく、分際を知れという強迫に屈するのではなく、自らを余している世界なしに己は存在しないという、場への意識である。

非「全決定」(ほとんど決定されているが、全て決定されているとうわけではない)という自由をもつゆえに、選択、決定を日々刻々迫られ、自己決定の自覚が責任と内発的義務を生み出す。その集積としての個人の誕生は、人間の外部に屹立し、深淵をはさんで人間を見守り続けている神なしには成立しなかったと思われる、人間が他者を含む緒事象から独立して、たった一人立つためには、それに見合った宗教が必要であり、その宗教の否定が無神論という形で行われるにしても、深層意識にはなお、そのような観念装置は息づいているだろう。

ケアと世話の懸隔からなかなか離れられないが、ターミナルケアとなると隔たりはなお一層広がるようだ。卒業式が出発式であるように、ターミナルがあるスタートを含意しているとすれば、そこにはまったき別れはない。責任と内発的義務を発動させる個人は、死のうが死ぬまいが、永遠に何かを求め続け、何かに償い続ける。現実にそのような人間がいるかどうかは問題ではない。しかし西欧近代の観念世界はそのような個人を論理的に現出させるのである。そしてそこには、個人の意志ということが他人の思惑を超えて明確に位置づけられる。リビングウイルの登場も必然性を有している。

それに対して、人生のある時期から余生に入ってしまう世間人間の夕一ミナルは、直截には現れない。死はこの世の苦楽のまったき終わりであり、死後の世界は茫漠としているかまったき無であり、しかも初めて一人で迎えなければならない事態である。世話する者との関係において、死や末期(まつご)は決して明示的にならない。見ず知らずの者との関係は論外であるにしても、身内も、一人のこととしての末期(まつご)をひたすら隠蔽し先送りし、しかもインブリシットに(ひそかに)最後の刻を共有するのである。

近代医療が個人原理を土台に発達してきた近代科学に大きく依存しながら、なおアートとして科学をはみ出し、個人原理を生み出した土壌そのものに立つ、そこにケアもターミナルケアも直接関わっていることを思うと、ターミナルケアを論じる困難性を感じないわけにはいかない。しかしそのことゆえにというか、従来の西欧文化の摂取と同じく、形としてのターミナルケアがまかり通っていくことも、見過ごしにはできないのである。


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