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学問は地球を滅ぼす

「東京大学新聞」1988.6.21号掲載

「今の学士は皆壮年にして智識あり。能く国家を亡ぼすに足るの力あり。無経験にして悪事を働く能者たり。勢力猖獗有為の士なり」。

1910年12月、田中正造は日記にこう書いた。帝国大学の学士・教授たちが足尾鉱毒犯罪ではたした役割は、水俣病犯罪のそれとダブって歴史に刻印されている。「彼らはまさしく、政府が加害者企業と合体して、被害者人民をひどい目に逢わせる国家の行為の有能な設計者たちであつた」と、この日記をとりあげた林竹二は述べる(「田中正造の生涯」講談社現代新書、1976)。

この日記の中の「国家」を「人々の暮し」と読みかえ、また「無経験」とは、貧苦・病苦・被差別苦についての「無理解」と解すると、現在に通じる告発たりうる。

二十年前の大学闘争で突きつけられた告発とは、まさにこのことに他ならなかったのである。二十年前、状況を規定する扇の要めはベトナム戦争だった。アメリカは最新巨大科学技術の粋を注ぎ込んで、べトナム軍のゲリラに敗れた。しかし敗れるまでにその科学技術の結晶はベトナムに対して何をなしたか。いや地球という環境に対して何をなしたのか。

高見順の1945年の「敗戦日記」を思い出す。「八木技術院総裁、議会にて、日本の科学者は特攻隊に対し申訳ないとおもうと声明」(1月25日)、「科学振興を新聞は云々している。これがすなわち浅薄というものだ。日本は何も科学によって敗れたのではない」(8月20日)。神州不滅の精神主義に依拠して、負けるととたんに科学・技術におくれをとったという。しかし科学技術のアメリカはベトナムに勝つことはできなかった。勝つことはできなかったが、ppt(一兆分の一)のレベルで人間を変えてしまうダイオキシンを大量にばらまく行為を筆頭として、核とともに、核によらずとも科学技術は地球を亡ぼすだろうことを実証した。

科学技術の力をもって人間を屈服させることはできない。と同時に科学技術は人間をふくむ地球を亡ぼすだろう。この狭間にたって、私たちはどのように生きたらよいのか。少なくともこの問いかけは、「科学技術は双刃の剣」論を超えている。

一つの解答は次のようだ。

「自分はこれでも学問研究者のハシクレとして、学問のための学問を信条としているつもりであった。物を知りたいという人間の好奇心、気取って言えば知識欲とか求知心とかいうのは絶対のもので、そして学問はそういう欲望を満足させることができればそれでよいので、その他のことは問う必要はない。仮令その結果例えば原子爆弾などのように何万の人間が一瞬に即死するようなことになっても学問及び学者は気兼ねする必要はない」(柳瀬良幹、「法書片言」良書普及会、1969)。

これは「新しい大学像をもとめて」(内田忠夫・衛藤瀋吉編、日本評論社、1969)の衛藤瀋吉・長尾龍一論文の中に引用されたのを孫引きしている。著者らは柳瀬良幹の言を指して、「この趣旨のことは多くの人びとの説くところであつて、これが科学発展の最も重要な動因の一つであったと思われる。・・・われわれは「真理へのインパーソナルな献身」を共にする科学者の仲間に入っていることを、心から誇りに思うのである。しかして、研究の醍醐味は、何といっても研究を進めるところにしかないのである」という。

ベトナム戦争を背景とする学生の闘いが機動隊によってつぶされ、多くの学生が傷つき投獄された直後に、この書が刊行されただけに、これらの言は忘れがたいのである。

現在、反原発の女性の闘いは「産まない」をスローガンにかかげるようになってきた。焦点は「存続」である。公理<女はあいかわらず子どもを産むだろう、地球はなくなるはずがない、いや宇宙は存続する>。どのように反社会的な孤高にして倨傲な「学問のための学問」論者もこの公理的前提をぬきにして学問を続けられない。なぜなら学問こそ「存続」体に他ならないからだ。学問の現在は常に未完である。未完は未来があって意味をもつ。そして国家でもなく資本でもなく、究極において学問こそが未来を閉じようとしているとしたら、誇りではなく寒気がするのではないか。

田中正造の言葉を蘇らすまでもなく、国家立大学の学問は今充分に有効・有能なのである。ゆえにどの方向に向って有効有能なのかを問わない学問論議は詐欺か、食い扶持を確保する自己保身である。

断つておくが、「学問のための学問」は組織に倚らず、単身自分の金で研究する者が主張する余地はまだあるのである。

以上が今回の教養学部でおこった人事問題およびそこから派生した学問論議に対する私の態度である。二十年来私は学者になろうとしてきたが、まだ職業的学者であることの資格・正当性を見つけられないでいる。

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