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半田たつ子氏によるインタビュー

「We」1989年?

----80年代に学校は、その矛盾が極まって、いまさら小手先の「改善」では修復不可能のところまてきてしまったと思うんです。最首さんのお書きになったものは、これまでも読ませていただいてきたのてすけれど、『生あるものは皆この海に染まり』は、ずしんと心に響きました。そして『明日もまた今日のごとく』を読んで、「90年代、学校を変えよう」をテーマに掲げたこの号では、どうしてもインタビューをと願いました。

うかがいたかったことの一つは、「学校というものの持つ“場の力”」について書いていらっしやることてす。一番下のお子さんで「ダウン症らしい」星子さんが、学校に行って、校庭や廊下を歩くだけ、給食を食ベて帰ってくる。それだけなのに、確かに学校が星子さんにある働きかけをしていることを認める。それを最首さんは、“場の力”と呼んでいらっしやいました。「学校というものの持つ“場の力”」って何だろう?ということです。もう一つは、最首さんが「理性主義でも物質主義でもなく、精神主義でもない道を、仮に“人間的自然主義”という言葉に依拠して、切り開いていきたいと思います」と書いていらっしやる、その“人間的自然主義”について詳しくお話をうかがいたいと思っています。この二つに、人間・教育・学校をベーシックなところから考える手がかりがあると思っているからです。

最首:私は病弱だったために、今から思うとかなり滑稽なところもあるのですが、小学校を出るのに九年かかったんです。三年遅れますと、まあ友達もそんなにできません。中学・高校とそれを引きずっていくことになります。小学校の時、体験できなかった運動会とか修学旅行というものは、非常にキラキラと輝いているんですが、そのほかに学校という独自の場、磁気というものについては、自分の体験としてはない。学校という場で、先生が教えるということを抜きにしたら、果たしてオレは育たなかったのかといえば、そんなことはなかった。

世代的にも、昭和二十年に私は国民学校三年生ですけれど、二十年の春から夏、そして八月十五日を過ぎてから翌二十一年も、授業らしい授業は全くないわけです。

----そうでしたね。

最首:私は福鳥県の喜多方にいましたけれど、よく覚えているのは、山の中に入って、実にきれいな緑がウワッと出てくる中で、ふきを採ったりしていたということばかりでしてね。教師はこの間、教え込むという意味での教育に値する教育はしていないと思うんです。

少し上の世代になると「英語力が全くない」ということになる。私は、その上に病気で学校に行った日数が少ないということもありますが、私たちの世代がダメかといえば、そんなことはないと思うんですね。

学校の持つ決定的な意義って何だろう?ということは、星子が生まれる前から持っていた疑問でした。つれあいのほうは、瀬戸内の小さな島で、小・中学校と全く同じクラスメートが持ち上がっていく、そういう教育を受けて、ほとんど休まずに学校に通う。そして学校というものは行くもんだということを当たり前にしているんです。もっともちょっと追及すると、家にいると働かされるという答が出てきますが。

星子の上の三人の子供も、不思議なことに学校にだけは行くんです。星子のことがありますから、フツーの家…フツーの家というのは、最早ちょっとおかしいのだけれど…のように、御飯を作ってやるとか、送り出してやるとかはできない。

けれども子供たちは、一人でなんとかして、とにかく学校に行くんです。私が「不思議だ、不思議だ」と言うと、つれあいのほうは「不思議がるのがおかしいのであって、学校というものは、行くもんだ」と言う。(笑い)

私には、学校に休まずに行くことを不思議がる気持ちがあるということ、それと国民学校三年間の思い出は、狭義の教育に関するかぎり、魅力がなかった。それはその後もそうだということ、があります。あの当時の「巨民教育」「少国民教育」、そういう教育を徹底的にやらなきや、国を愛する心を育てられない、っていうなら、そんな国はダメなんですね。

----その通りですね。

最首:私の父親は準戦死のように死んで、残された子供六人と母親ががんぱる…これは凄じい戦後だったわけで、その意味でも「日の丸」「君が代」には恨みがあるわけですが。そんな学校の気(け)が残存しているんなら、学校はいやだなあという気持ちがあるんですね。公教育という営為にポジティブになれない。実際には、公教育がナショナリズムをうえつける反面、子供の保護とか、権利の拡大の役割もはたした。その意見はよくわかるんだけど、その通りだとはなかなか思えなかったんです。

このことで「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の世話人会で対立したことがありました。「普通学校ヘ」という時は、よき公教育をうけなきや子供はきちんと育たない、と考えているわけです。「いや、僕はそんな気持ちになれない」と言うと、「あんたはおかしい」と言われる。オレはひとりぼっちでやってきたからそう思うのかなあーって考えていたんですが…。

ところが、星子は学校に行きたがるんです。これには、びっくりしましたね。学校に行くと、付添い介助の方がついて、初めは歩くだけでしたね。音楽の時間も体操の時間も、基本的にはマンツーマンです。

クラスの人数が四、五人なんですが、友達が実によく星子の世話をしてくれるんです。先生は自分のこともできないのに、人の世話するなって叱るんですが、皆が競って世話しようとする。特にさっちやんという気性の激しいダウン症の子が、先生の代行みたいにして、「ちゃんと座っていなければいけない」なんてことを教えるんです。

驚くべきことは、星子は帽子も手袋も靴下もダメなんですが、学校では赤白帽をちやんとかぶっているんです。これには驚いて、学校というところは、イヤイヤながら必要悪みたいにみなしているんだが、親にはできないことが、先生がなにかするとできちやうのかって思いましてね。星子が机に向かって座っていることがあるっていうのも驚異でした。その当時は、しつけっていうものは、他人がしたほうが身につくってことかな、と思ったりもしたのでしたが…。

去年から給食を食べ始めましてね。母親が食べさせなければならないので、学校側はあまりいい顔しなかったのですが、他の子のこともありますし。ところが、星子は実によく食べるようになったのです。もっとも、物を噛むということをしないので、全部丸のみですが…。

これはどういうことなのだろう、と考えてしまいました。星子は両目の水晶体を取る手術をして、結果がよくなかったために、目が見えません。片方の目は、光はちょっと見えるんじゃないかと思うんですが、像は結びません。だから給食の時の、ざわざわがやがやどころではない大騒ぎの様子や、食器のふれあう賑やかな音を、耳で聞いているだけて、給食の光景を見ているのではありません。しかし、家で母親が食べさせているのとは全く違うふんいきのなかで、食事のレパートリィが急速に増え、星子が一番食べるようになってしまったんです。

さっちやんは御飯しか食べないとか、しいたけがあると食べない子とか、大騒ぎをしながら食べているふんいきを、星子は感じて、そういうなかで星子が食べるようになったとしかいいようがないんです。

赤白帽の場合は、まだ先生がいろいろ教えたと言える。机に向かって座っているということも、先生を通しての教育の力というものはあるかもしれない。しかし、給食の場合は、先生はかかわっていないのです。これは、子供たち相互の関係−アフィニティ、親和力というものではないかと思ったんです。

学校で先生の力は無視できないにしても、ほとんどは、子供たちがいての、複数の子供たちが相互に関係しあっての学校だろうという気がするのです。それがあっての初等・中等教育だろうと思うのです。星子がそれを分らせてくれたという気がしています。

----それなのに、子供たちの親和力が壊されてしまっていたら、学校は悲惨ですね。

最首:学校に子供たちがいて、相互に関係しあって、そういう力が学校を作っていることを、教師はどれだけ実感しているのか、非常に過少評価されているのではないか、と思うのですね。

私は昭和十八年に国民学校に入り、戦後、小学校五年の時に三年休んでしまい、小学校を卒業するのが昭和二十七年です。だから少国民教育の時代、文部省の力がなくなって、先生がどうしたらいいか分からなくなってしまった時代、文部省が力をとりもどしていく時代という三つを体験しました。

戦後の教育を顧みる時「自分の頭で考えよ」と言いながら考えさせない。集団に従属させておいて、口先だけで自由を言うダブルバインド(相反二重拘束)が浮き上がってくると思います。このことへの反発が、自由への希求といいながらその実、勝手主義でしかなかった。物事をきちんと見詰めることによって、残すべきことは残し、変えるべきことは変える。このとき、日本の歴史・風土は無視できないし、<神>と人と自然との関係について、より深い省察が行われるだろうと思うのです。

----なぜ勝手主義になってしまったのでしょう。

最首:私ごとですが、八代将軍徳用吉宗の末期に、最首杢衛間という人がいて、強訴の首謀者として、打ち首になっている。その人の小さな隠し神社がある。日本人には、そういう人を<神>にまつる心情があり、これをムゲに否定することはできないと思うんですね。

西欧近代のスタートを考えると、例えばデカルトによれば絶対神がいて、人間は神の作った秩序を明らかにしていく使命を与えられている。人間が努力をして、一歩一歩世界の秩序を明晰にしていくように運命づけられている。その先端を行く人々は、より神の意を体したエリートです。新しいことを求めずに日を送るのが大衆で、下に位置付けられる。この西欧的な考え方と、庶民も<神>にまつられ得る日本人の心情とは違います。

西欧的な「個人」がこの世に姿を現したのは、神とも自然とも截然と切れた存在としてであったことを把握すべきです。私たちは<神>とも自然とも境界がはっきりしていないのです。西欧的な個人になかなかなれない。それを忘れて、日本人のまま「個人」をふりまわすのは「勝手主義」といいたいのてす。

星子をみると「個人」でないことははっきりしているようです。それは星子の責任ではありません。ダウン症児や脳性まひ児について、生理的に親に責任があると言ってもムリです。子供は全くの受身で生まれてくる。be bornです。そして能動は一切ないところに、無限の自由があるのではないでしようか。

ところが、生まれた次の瞬間、国籍・人種・親の地位、性・姓名まで決まってしまう。不条理としかいいようがなく故なく付加される責任でもある。ワイゼッカーは「今の青年であっても、ナチズムに責任がある。ドイッ国民である限り」と言っていますが、引受けなければならない責任があることも、そして何よりも自分が存在してしまうことも、不条理です。

しかし、何もしない限りにおいて、自由は無限大です。ところが、一瞬一瞬生きなければならない時、人間は選択しなければいけない。赤ん坊の乳首を捜す行為にしても選択ですね。意識的・無意識的に選択を重ねるということは、その都度自由を減じていく。そこにこそ人間一人としての責任が発生する。この責任の累積が、人間が人間としてあることの証である内発的義務に転化するのです。

子供たちにとっての内発的義務とは「関係しあおう」とする他者に向かおうとする力だと思います。こういう考え方をするとき「権利」は、明確になってくると思う。内発的義務が他者に向かう、つまり他者を必要とするとき、その他者に権利が発生してくるのです。本来的に、天から与えられた権利など私たちにはないのです。そのことが、知恵おくれと言われる子供たちを見ていると、よくわかるような気がする。それにこの子たちは、自分に当然の権利があるなどと叫びません。

(この春、東大を卒業する北野隆一君が、今できたぱかりの著書『プレイバック東大紛争』を最首さんに進呈しにきた。北野君も加わって、話題は東大紛争に及ぶ)

最首:日本の大学紛争は「個人」が分からずに、有象無象うごめいて動いたといえる。アメリカがヒッピーを生み、フランスが「無」への傾斜を強めたのは、個を解体したかったから。ところが日本には解体すべき「個」がない。つくり上げるべき「個」しかなかったのです。

----そのような不安定さのまま、物の豊かさ、くらしの便利さに身をまかせ、私たちはどこへ行こうとしているのでしょう?

最首:今肥大している現世主義の反動はくるでしょうが、現世主義の肥大の中で、差別は甚だしくなるでしょう。清潔感のある日本主義というのかな、誤解されそうだけど、そういうものが欲しいですね。今までの他発的義務は、宇宙的秩序から発せられたものであっても、ほとんど押付けられたものでしたが、その秩序が、自分の内側から出てくる。そして生きる必要というところから発生してくる義務と連動するような転換が必要です。

選択したいのに許されない状況とか、押しつけられた義務とかを、私たちは不満としているのですが、そこでは、自分の生きる場を積極的にどう作っていくかが、忘れられてしまうのです。権利とは、もともとは人間が生きる場を作りあげようとし、その中で発生してきたのだという順序を間違えたくないのてす。権利は、自分が他者とかかわろうとする、その反映として、他者から認められるものであるのに、それを個人が所有するものにすりかえられてきたところに、戦後の迷妄があります。

有権者が持つ一票は、所有物と思うから、売買の対象になります。同様に「個人の権利」ととらえた時、権利は自分の勝手になり得るのです。「権利の上にあぐらをかくな」という言い方も間違っています。権利は、私たちが人とともに生きようとする社会全般の中で成立っているものです。

私は今、最も考えを深めるチャンスを持っている十八歳ぐらいの予備校生を相手に、星子とつきあってやっと見えてきた自由・責任・権利・義務の結び付け方を話しています。私は三十歳を越して大学闘争を闘ったけれど、民主主義の問題はやっぱり解けなかった。私たちのムラ性についてイヤというほど気付きました。集団の中に自分を規定している自分をそのままにして、民主主義はあり得ない。

----大学紛争の頃の最首さんを、自分の青春に重ねて、固定した一ぺージをなつかしんでいる人も多いと思いますが、その最首さんは、当時を今そのように省察されるのですね。

最首:そうですね。その後の星子とのつきあいが決定的だったと思う。星子は何も主張しません。だからといって、親が星子の権利を代行するなんて失礼なことはできません。星子は花のような子です。水をやり忘れたら、萎れてしまうような子にとっての「基本的人権」とは何か?フランクルの「責任性存在」にひきつけられたのは、大学闘争の末期の頃でしたが…。

今ここにあることの徹底的受動性、そこからしかスタートできない。受動性という自然性の中で、内発的義務を育てる、そのことを私は、人間的自然主義といいたい。

----権利を主張することについては、沢山の言葉が溢れているのですが、「なぜか知らないけれど、そんなことはできない」という内なる声に耳を澄ます、その内なる秩序はどうしたら生れるのでしょう?

最首:繰返すようですが、人間は社会的な関係を結んで生きる存在であって、大人であろうと子供であろうと、意識的・無意識的に、他者と関係を結ぼうとする力を持っています。支配欲や所有欲、あるいはミザントロープ(人間ぎらい)は、その力の逸脱や変形した姿です。まずそのことを自覚し、そのような教育が行われねばなりません。その教育は、できるだけ子供が自然の振舞いができるように、大人が自己抑制すること、及ぴ逸脱や変形した力を持たない子供たち(知恵おくれの子たちなど)を大切にし、その子たちから学ぶことを根幹とします。

私は、そういう意識形態である内発的義務が、人間の豊かな社会をつくる根本だと思います。それが、支配や所有のあり方を自ずから規定すると思います。私は「何のため」を問うクリアカットの世界が、少しずつ輸郭を崩していくだろうという予感がありますが、すると積極的に言うべき人生の目標は出てきません。

「人と人は、なかよくやっていこうね」という言葉の上位に「何のために」はないのです。人間的自然主義には<神>(秩序・自然)がはらまれています。それを消してしまうところに現世主義・科学主義がはびこります。切ることのできないものを切ろうとすることによって陥ったところ、から抜け出す。今まで影だったものを日向に出す、日の当たっていたものを影にする。そういう転換を図る時期に来ていると思うんです。教育の転換は、その要です。

----教育の論議は、この深みから出発しなければならないのに、何と現世主義に毒されていることでしょう。含蓄豊かなお話をありがとうございました。

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