ARCHIVE

今 水俣について思うとき
特集:水俣病センター相思社30周年

「ごんずい」81号 2004年3月 掲載

風をどう受け止めるか

時空的な日本列島の中に位置を占める水俣について、水俣の外に住んで、水俣を考える者にとって、一番の問題は横方向・水平方向でのつながりや断絶であると思う。横方向・水平方向とぼんやり言うことで、いろんなことを指すようにしたいのだが、たとえば川が縦方向だとするとそれを横切る橋は横方向で、見上げる空を垂直方向とすると大地の広がりは水平方向というふうにイメージしてもらいたいと思う。

横方向では、たとえば「グローバルに考えローカルに活動しよう」というスローガンがある。「活動しよう」を「暮らそう」に変えてみる。活動は暮らしを含んでいるはずなのだが、この言い換えによってスローガンの意味は大いに違ってくる。前者は「グローバルな考えにしたがってローカルな暮らしを変えてゆこぅ」というニュアンスを帯びてくる。そして後者は「グローバルに考えつつもローカルな暮らしを守ってゆこう」という意味合いになる。

前者はわかりやすい。世界はひとつ、科学技術に基づいて貨幣を基準とする市場原理をあまねく浸透させようということになる。EUはその典型である。EUそのものがまだローカルなのだが、しかし加盟国はEUという統合体に身を解き放たなければならない。しかし二〇カ国を越えるとなれば、そう簡単に「開く」わけにはゆかない。経済格差はあまりにも大きい。ともあれ貨幣基準だけは統一し、ビザは廃止しようということになるが、地場産業の崩壊など、生活は大きく変わってゆく、それもこんなはずではなかった、というように変わるのは必至である。あくまで暮らしの上でも考え方でも地域性を残しながら、お互い緩やかに協調協力し合うというのが主旨だ、精神だ、と言っても、市場原理はブルトーザーのように地域のでこぼこをならしてしまう。横方向に水平的に、きわめて平坦な暮らしが実現する。これは「グローバルに考え、ローカルに暮らす」という趣旨ではないだろう。

たとえば、ブータンの女性が言う。「日本は素晴らしい国だそうですね。でも私は一生この村から出ないから、関係ありません」。およそ一五年前くらいの一九九〇年代初頭のテレビ番組でそう語っていた。ちょうどこのころ、ニューギニア高地のダニ族をはじめとする裸族が、ジーパンをはき始めた。ブータンの女性は、べつに「閉じている」わけでなく、 外からの風が吹けばそれに吹かれて暮らすだろうが、今事実として自分の暮らしを述べている。そしてそれは「グローバルに考え、ローカルに生きる」ことの実践でもある。日本 は素晴らしいと肯定しながら、それと関係を持とうとはしない、少なくとも今は。これはグローバルに考えることのひとつの内容である。しかし無抵抗というのが気になる。風にさからわないなら、とても「グローバルに考え、ローカルに生きる」とは言えないのではないか。

バリアは生き物のよう

たとえば江戸時代から続くムラを考える。堅くいえば、村落自治共同体で、典型はコメをつくる農村である。八代吉宗のころから生かさず殺さずの収奪が徹底してくる。よぶんなことをいうと、吉宗が死んで名補佐役の大岡越前も死んだ宝暦三年(一七五三)、私の祖先だという最首杢右衛門が、百姓一揆の首謀者として打ち首になっている。

苛斂誅求に耐えかねて立ち上がる前に、ムラはバリアを張り巡らして、秘密が、隠し米などの秘密が、漏れないようにする。秘密が漏れるのは主に二つの原因からである。ひとつは子どもである。子どもは口が軽い。それで子どもは厳しく監視する必要がある。ひとつは才能ある若者である。才能があると不満が高じてくるし、ムラを飛び出したくなる。それで出る杭は打ち、足は引っばらねばならない。そして秘密を漏らすことにつながる秩序紊乱者には厳しい罰を設定する。村八分である。しかし村外追放にはできないから、預かり処分だし、そういう処分をしたことが漏れては一大事だから、結局は村八分処分が出ないように、全力を挙げて予防策を講じるということになる。

しかし、バリアをこちこちに張り巡らすわけには行かない。日常用品の交易や修繕は欠かせないし、旅の一座、巡礼などがやってくる。スパイ役が混じっているかも知れないが、新しい見聞ももたらしてくれるし、難渋する者を放っておくわけにはゆかない。それでよそ者には厳重に警戒しつつも丁重にもてなしたりする。

ムラは基本的にバリアを張る。しかし閉塞感が高じてはバリアは続かない。それで上に向かって開いておく必要が出てくる。イメージとしては筒型世界ということになるだろう か。その筒が上に向かって末広がりに開いている。その開いた、どこからかが天である。バリアを張り巡らす必要のあったいちばんの相手、お上は天ではない。お上は横からある いは斜め上から襲ってくるのである。天はあくまで高くどこまでも続いて行って、そして気がついてみれば、筒の底は天とつながっているのだ。筒は底抜けだった。

またイメージアップすると、短い透明なパイプが空中に浮かんでいるようで、そして縦方向から見ると、そういうパイプがびっしり密にくっついて蜂の巣のようになっていることがわかる。ムラの意識としては、パイプの外はおおかた無関心である。すでに気付かれているように、日本列島で個人をいう場合にはこのパイプが一人を入れるだけに小さくなっているのである。そしてこの一人分のパイプは世間に置かれ、世間はふつう鬼ばかりで冷たく、しかるが故に自分は何をしてかまわないのだが、何人か何十人か入れるパイプに身を置くと世間は急にせまくあたたかく、袖すり合うも多生の縁になる。

人すなわち天なり

何人か何十人かの原型は二人である。二人が同じパイプに入っている。中根千枝はこの二人の関係をまゆ玉、あるいは餅を引き延ばしたような形で表した。切っても切れない関係である。森有正はこの関係にあるわたしを「あなたのあなたとしてのわたし」であるとした。切っても切れない関係を切り、あなたを失ったわたしはふつう生きて行けない。ただ新たに登場した権利とか基本的人権などの楯をかかげ、主として他人を非難し、攻撃的になる態度がもてれば、かろうじて暮らしてゆけるのだが、もとより不安定である。

筒型世界に生きるとは、その内部での関係こそを最優先として、相対に徹し、密なる関係を十重二十重に張り巡らすことであり、あるいはそのネットワークを認めることである。そして外の筒型社会と通じるのは、上なる、あるいは下なる、どこまでも通じる天を通してであって、その合い言葉は 「人間として同じ」、あるいは「人間として」ということになる。山本七平が指摘した日本列島の人間教は「人間として」を共通概念として、そして人間とは何かに立入らないことを特徴とするのだが、なぜ立ち入らないのかについては説明していない。

「人間として」という考えはあくまでも茫漠とした天に結びつけられていて、天は把握できるような器でないから、言い換えると本質を抽出できるような概念ではないから、人間の本質もまた把握できないのである。福沢諭吉の「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」は、そのように天を規定することで勇み足はおかしているものの、日本列島の人間教の教義を言い表したものと言え、フランス革命の人権宣言とは似て非なるもの、あるいは非にして似ているものなのである。

人間は高みを目指しても、底を限りなく掘っても、自己認識には達し得ない、残るのは横だけだと、親鸞さんが考えたかどうか知らないけれど、バリアをそのままにして突き抜 けると次元のちがう異世界に入る、というようなイメージが、親鸞さんの「横超」(むずかしいので、よこっちょと受け止める)を見ていると湧いてくる。ただし自力で横に跳ぶことはできない。

筒型社会からツツ型社会へ

もうひとつ、筒型世界では絶対の必然性がない相対の関係がすべてだが、波と粒子という矛盾する考えが同居して光になる、というようなことは不思議ではなくなる。矛盾の同居を認めると理屈が成り立たない、ということを論理化するためには「つつ」が導入されねばならない。氷であり火である。これを氷炭相通ずという。それで「筒」と「つつ」を合わせて「ツツ型世界」と呼んだ方がいいように思われる。

このツツ型世界の横っ腹に外からドーンと穴を開けられ、風が吹き込んできたら、ツツ型世界はどうなるか。チッソが鉄道と共にやってきた。そして水俣病が起こった。国家が直接采配を振るい、水俣病を不知火海沿岸一帯に拡大させながら、水俣病は終わったものとし、被害者数を最小限に押さえ込んだ。ツツ型世界のバリアは破られ、その世界は破壊された、という見方もあり得る。しかし変わらずそのままにあるという見方も成り立つ。

後者の見方の根拠を挙げるなら、第一に浮かんでくるのは、昭和天皇が亡くなったとき、チッソ前の座り込みテントから半旗が揚がったことである。第一次訴訟第一回公判に臨むにあたって、渡辺栄蔵原告団長は、ただいまから国家に反逆すると述べた。おそらく国家はツツ型世界の外にあり、昭和天皇は内にいるのであり、ツツ抜けのどこかにいる。ツツ抜けのそこでは、人間は皆同じなのだ。そして生き物すべてといのちを共にしている。

水俣に横からぶつかり横から入り込むことはむずかしい。縦方向への移動を心象風景としてもつことが、水俣への入り口かもしれず、そしてそのようにして、やっと、天まで病んでいる中で、どうして病んでいるという意識がやってくるのか、ということに希望の徴をみることになるのだろうと思う。

人物註

中根千枝 一九二六年まれ。『タテ社会の人間関係』(現代新書、一九五七)を英語版と同時並行して書いた。モチを引き延ばしたような図は『適応の条件』(現代新書、一九七二)に出てくる。

森有正 一九一一年生まれ、一九七六年パリにて死去。カソリック。フランスに住んだ哲学者。「あなたのあなた」は『土の器に』(日本基督教団出版局、一九七五)に出てくる。

山本七平 一九二一年生まれ、−九九一年死去。三代目のカソリック。イザヤ・ベンダサン名義で『日本人とユダヤ人』(山本書店、一九七〇)を書き、日本教の教義の中心は人間で、人間は法外の法であることを示した。

もどる