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包摂としての《?》
「滝沢克己協会」2007年度総会での講演をリライト

最首悟

 あまり要領を得た話にはなりませんが、わたしの軌跡みたいなものから、どうして「包摂としてのなぜ」というような問題意識が出てくるのかということを、すこしお話したいと思います。

  第一章 私の軌跡から

 滝沢克己、山本義隆とわたし

 お配りしたのは、『滝沢克己 人と思想』(新教出版社)という本の冒頭に載った「孤立有援ともいうべき事態」という一文〔のコピー〕ですが、どうして書くようになったかということは、やはり九州まで滝沢先生のお宅に伺ったということもあると思うのです。 それから、わたしにとっては大事な山本義隆と滝沢先生の往復書簡、朝日ジャーナルに断続的に四回連載されたのが大きなきっかけになっています。わたしもすこし滝沢先生のご本は読みました。山本義隆がだいぶ古いのも持ってらしく、『夏目漱石』の初版本は山本義隆から借りて、持っていて、ときどき「なくさなければいいのだ」とか言ってくるのですけれども、山本義隆はけっこう集めていたのだろうと思います。

 滝沢先生について、どういったらいいのでしょう、山本義隆との往復書簡でも「ただの人」というのが問題になっているのですが、なかなかそのイメージが湧きません。「ただの人にならなきゃいけないんだ」ということが判っていながら、分かったとしても、それになるまでのこと、なってからのことについては言えない、みたいなのが山本義隆の態度でもあったろうと思います。わたしもそのようなふうで、「ただの人」というのは、それは恐るべき人だろうと思うのですけれども…。山本義隆は「ただの人」になって、それから物理学を改めてやりたいと言いました。

安保と日韓…わたしの原点

 もちろん、滝沢先生のお宅まで伺うようになったのには、六十年代後半の大学闘争があるのですが、わたしにとっては、原点は一九六十年の六月十五日。昨日はその当時の学生運動の連中が日比谷野音に集まって、わたしは声明の下敷きを手伝いながら、行かなかったのですが、そういう時期になってきました。

 その次は、日韓会談がありました。一九六五年、ベ平連が出来る年ですが、引っ張り出した日付の分からない七十年末の文章に、「いたたまれなさ、うしろめたさ、やましさとか、居場所のなさという思いが、しいてその源をもとめれば、それは日韓会談反対闘争の取り組みにあったのか」というようなことを書いています。「世界人民連帯」ではなくて、「日韓人民連帯」と狭めたときに問題が浮上してきたのです。無邪気な、権力に対する攻撃的な取り組みとか、代弁的代行的視点(沈黙の大衆に代わって)というのは大いにあったわけで、それを狭めて「日韓人民連帯」となったら、いったいどの面下げて言えるのかという問題が出てきてしまったのです。

 これはベトナム反戦闘争にも影響してきますし、ついには東大闘争になっていくのです。東大闘争の直接のきっかけはもちろん、東大医学部のひとりの学生の冤罪なのですが、その前の六十年安保闘争と日韓会談の二つが、学生(運動)の大きな流れとしては欠かせないということです。安保闘争は民族自立を含みながら直接民主主義に根差した民主主義の獲得という明るさがあり、無邪気なお祭り騒ぎもできたのです。ところが「日韓人民連帯」を無邪気に叫ぶことは出来ない、もちらん、リーダー達はしょうがないからそう叫ぶわけですが、それをそのまま鸚鵡返しに言えば言うほど、不正者感というのが出てきてしまう、不正者感とは落ち着きが悪いですが、罪なき者を装うというような感じです。それから抜け出るには、加害者感、加担者感に向き合うほかなく、朝鮮戦争の時はまだ占領状態としてもベトナム戦争は米国としての沖縄は当然ながら、独立した日本が基地になって米軍が出撃して行ったのですから、そして安保条約をも逸脱した加担を日本は行なう、その加担者感が大学闘争の中で徐々にもっとむき出しになってきます。

中間者の悲哀

ところが、なかなかつきつめられない、ということはいったい何か、けっこう極端な思想とか行動とかをしたようで、そして「砦の狂人」とか言われたりしたのですけども、そうつきつめてはいないのです。つきつめようとすると、どこかおかしくなってしまうということの中に加害者感というのがあります。来週、「宇井純を学ぶ&偲ぶ会」というのがあって、レジュメを見ると、私もその一人の、そこで話す話者の、半分は「公害に第三者はいない、いるのは加害者と被害者だけだ。第三者と称するのは加害者なのだ」という宇井さんのテーゼにふれていますが、もし自分が加害者だったら歯切れが悪くなるはずです。差別ということ、東大闘争が大きくなっていく原因の中には、東大がどれほど差別的な存在かから始まり、朝鮮半島、中国、東南アジアに対する明治以来の差別との向き合いがあり、そして自分達がまぎれもない差別者なのだということについて、なかなか落ち着かないのですね。もちろん、公害の加害者であるのも落ち着かないことです。

 現物が探せなかったのですが、『展望』という雑誌が筑摩書房から出ていました、その一九七一年の九月号に「中間層の悲哀」みたいなものを書きました。「感性の幅が狭いということ、なにかほんとに怒るとか、ほんとに喜ぶってことがないような、それがわからないような、実感としてないような幅の狭さ」を元にした「中間層」という意識についてです。感性の幅が狭く、つきつめられない中間的意識というのは、自己保身も含めて自分でたぶんつきつめないようにブレーキをかけている、それとも、なにかもっと基層的な考え方によるのかというようなこと、基層はさしあたり風土的と同義語でしょうが、ほんとに喜ぶとか、ほんとに悲しいという開放がないのと関係があるのかもしれない、などということになってきたのです。東大闘争とわたしたちは言いますけれども、全国の大学闘争も含めて、いろんな人たちがいました、東京都の副知事になろうかという猪瀬直樹は信州大の全共闘議長でした。でも闘争すると「なぜ」が出てきて、その因というか果というか、わたしの場合は中間者意識ですが、そのころ、後に「赤門塾」というユニークな学習塾を開き、そして「寺子屋」でヘーゲルを読みはじめた長谷川宏とそれから宮沢賢治の寡黙な天沢退二郎の二人の院生と、北の方の大学を回ったりしました、珍道中もいいところですが、その中で「なぜ」は膨らんで収拾がつかなくなって行く。大学批判は真の大学というイメージがあってこそですが、その真がゆらぐ、その真の芯がぼけてゆくのです。

子どもっぽさ

 もうひとつは子どものときからのこともあるでしょうが、子どもっぽさから抜けられないということと、子どもっぽさに向かってしまうということがあります。これも保身なのか、大人になりたくないというピーターパン的保身。たとえば市川浩の『中間者の哲学』(岩波書店、一九九〇)があります。身と気が問題です。エピローグに同じような感じのことが出ていて、前に跳ばない、横にずれる、メタフィジックじゃなくてトランスフィジックの哲学を提唱する、形而上学ではなくて形而横学というか。過去に溯ると、親鸞の「横超」があります。横に跳ぶ、跳ばされるのです。親鸞は竪超(じゅちょう)はいけない、それはみずから意志して跳ぶ自力本願だという、「横超」は他力本願を意味します。他力本願も意志がなければ起こりません。フレミングの右手とか左手の法則を思い出しますが、電場と磁場の関係で前へ進もうとすると横方向の力が働きます。自分の思い通りにはならない。けれども思わなければそういう事態は起こらないのです。もうひとつ、漢字の横はろくな意味がない、横着、横暴、横車、横死、やはり道とか修業は前へ進み深めて行くのであって、横へのメリットはあるとすれば広げる、拡がるですが、同時に拡散でもあるのです。「なぜ」が絞られて行かない、霧にこだわっているのですが、切りがない事に通じます。横と言えば斜めがあります。稲垣足穂は目線を斜め前方四五度ぐらいに固定して進むべしと言う。まっすぐ前は何も見えてこない、両側に四五度の塀がずっと立って、スリットみたいになっている。だから視線前方固定では障壁しか見えない。立っててまっすぐ見ていると何も見えないのだけども、目を「ロンドンパリ」(禁止語なのでしょうか、廃語なのでしょうか)にすると、世界が見えてくるというのです。「横超」は浄土真宗の本でほとんど出てこないし、出てきても要領を得ない、市川浩もそのことを問題にしています。

 市川浩のエピローグに、「このごろの子どもはなぜを連発して親を困らせる」とありますが、これはどうなんでしょう。市川浩は一九三一年生まれ、わたしより五歳年上ですが、子どものころけっこう「なぜ」としつこく言って親を怒らせたことはあると思うのです。もっとも母親にです、父親にはそんなに会わないし、向田邦子じゃないけれど、茶碗だって大きいし。単純に無目的な「なぜ」は辟易します。無目的とは言えないかもしれません、親が困るのを面白がるきらいがあるから、そして親はだんだん怒ってくる。小学校で先生を困らせるには「なぜ」を連発することです。わたしは生意気で、女の先生ですが、質問が天皇に近づいたら先生は何もいえないことを見越していた。「ボクはどこから来たの」のもその一つです。たいてい「拾ってきた」で終わります。そして「拾ってきた」という言い方には、ホッとしたところがあるのです。この両親から生まれたんじゃ先行きないみたいな思いがあって、拾われてきた方がましだということかとどこかで書いたことがありますが、「せっかく生んでやったのに」とか言われると、「生んでくれって頼んだ覚えはない」と切り返して、芥川の「河童」みたいことがモヤモヤする。生まれてくるとき、生まれたいかいと聞かれて、ハイと言えば生まれる、イイエといえばシューと消える、こうでなくては思っていたのが、今はそれではたまったものではない、生まれてくるときの、一瞬にしても、根本的無責任が私を免責しているというようなことを思います。でも一瞬後には母親の乳房を求める、それは私の原意志であり選択なので、私の責任は生じるのです。そういうことからはじまって、ゴーギャンの「どこから来て何ものでどこへ行くのか」はずっと付いてまわるということになります。中間的な幅の狭いところで突破できないことと、突破するすることが怖いし碌なことにならないという自己保存が渦巻いてしまうという状態があるのです。

 共同体体験と男のダンディズム

 お配りしたコピーの「孤立有援ともいうべき事態」には助手で学生七五人と、教職員としてはひとり第八本館という東大駒場の教養学科の本拠に閉じこもったことが書いてあります。忘れかけてる共同体みたいなものが、食うこととか排泄することにからんで、ほのかに出てくる。滝沢先生との関係のきっかけは何だという問いからの想起です。昨日の朝日新聞夕刊に作家の藤原伊織(五十九歳)の死亡記事が載っていましたが、四八年生まれでそのころ二十歳、教養学部の学生で通称八本バリに入ったひとりです。その様子が第二作の『テロリストのパラソル』に出てきて、「助手のSさん」が成り行きの始末をするのだろうというようなことが書かれています。共同体といえば女性の力、男には出来ない食物の管理、つまり食べさせないというか、撤退したときはずいぶん残した、そのくらい、徹底してケチる、生き延びようとする女性の力は共同体の要ですが、そういう片鱗が一八,九に女子学生に表れたのが目覚ましいことでした。『水滸伝』の北方謙三も全共闘、中央大学ですが、ひたすら志をかかげる。共同体の裏返しはニヒリズムも志も含んだ自爆型で、女子どもには迷惑をかけないと言いながら、実はかけっぱなしの一匹狼、旅がらす、高倉健、唐獅子牡丹というわけです。唐獅子は学問のシンボルでもあるのですが、「男東大何処へ行く 背中で泣いてる唐獅子牡丹」は橋本治の粋がるパロディ、男は基本的に反共同体だということを茶化しました。武士は喰わねど高楊枝、飢えたっていいのだという浅慮です。いちばん格好いいのがダンディズムという言い方で、歴史の根が深いというか悲哀がついて回るというか、筑豊の炭鉱を書き続けた、石牟礼道子が先生と仰ぐ、上野英信もその典型で、その気をもつ名のある男はいっぱい挙げることができます。

星子の誕生…サブということ

 なぜ女子どもに迷惑をかけてはいけないのか、どうして気取らなければ生きていけないのか、意外にも、後になって、男はサブという形、意識となってやってくるのですが、それには一九七六年に四番目の子どもとして生まれてきた星子との関係が大きく関わってきます。星子との関係は、暮らしの中では、星子と母親の関係に対する関係というふうになります。直接の関係でなく母親を介しての関係、直接星子との関係を結べないというような二次的関係をサブとします。障がいをもった子の家族で父親が逃げてしまうことが起こります。、「とんでもない、男の風上にもおけない」と言われるのですが、逃げる気持ちはわからないでもない。自分が主人と言われながら、主人公でなく、その子どもと母親との関係に入れない、そこから疎外されてしまう、すると居処、居場所がなくなる。居たたまれなくて飛び出すことになる。「カプカプ」という通所作業所をやっていますが、メンバーの中に五十歳ぐらいのダウン症の男の子(星子も30歳ですが女の子と言ってしまいます)がいて、お母さんの肩を抱かんばかりにしてくっついている、そして「お父さんは交通事故ではやく死んでくれるといい」というような意味のことを言う。「息子と母親」は「娘と母親」の関係とまた違うでしょうが、総じて障がいをもった子どもと母親の結びつきに父親が入れないことを男が強く思ってしまう事態はあるのです。

関係の割り切れなさ

 サブについては女性差別のキー概念をなすということで重要なのですが、このあたりで切り上げておきます。今ちょっと出ましたが、男の疎外は生殖からの疎外で、生殖では男が二次的存在であることと深く結びついています。血の聖と穢は生死に関わり、生理と出産に関わり、女性差別と不可分なのです。そのくらいにしておきますが、汚穢ということでいいますと、うんことかおしっこは汚(きたな)くて臭(くさ)い。それを否定したら暮らしはなりたたない。汚いなどと言ってはいけないと、オブラートに包んだりするとおかしくなります。ところが、星子との暮らしでは、垂れ流しとか、風呂の中でしてしまうとか、日常茶飯事ですから、大騒ぎしてもしょうがない、うんこは掬ってそのまま入るとか。汚くて臭いのはやりきれないという思いを残しながら、普通に暮らすにはどうしたらいいか。臭いに鈍感になったり免疫になってしまってはいけないんです。人からそう言われないようにしないと。水俣に行っていちばん重度の胎児性患者に会ったとき、一緒に行った調査団の高名な哲学者が、「最首君は慣れてるからいい、わたしは慣れてないから耐えられない」と言った。悪意はないのです、それだけにカッとしたところがありましたけれど、怒り心頭というわけではないのです、星子との関係が、辟易しながら普通であるような、中間的で、割り切れないものだから、簡単に言われたくないのです。慣れを拒否して、徹底して排便の訓練をし、部屋中に消臭剤を撒いたり置いたりする生活もあるでしょうけれど、それで星子がつぶれては何しているやらということになります。

やましさという根拠

 「なぜ」にもどりますが、「なぜ」の突き当たりには絶望と救いがあって、だから突き詰めなければいけない、なのにどうしてそうなれないかということです。矢内原忠雄の『嘉信』をもってきましたが、一九四二(昭和十七)年の十二号(十二月号)の「短信」の箇所、「最後に残るもの」という題です。「サルがラッキョウの皮をむくように自分というものの皮を一枚ずつはがしていけば最後に残るものはなんであるか」。結論は罪です。「この罪のゆえにこそわれらの無力と不安と悲哀はそのきわまるところを知らないのだ」。悲哀を掘っていけば罪に行き当たる、それがどうして自分にはできないのか。わたくしが先生と決めた先生は西村秀夫、矢内原忠雄ののお弟子さんです。そういうことで無教会の会合にも出ていたことがあるのです。若くして亡くなった藤田若雄が話し手だったりしたことを覚えています。

 もっとさかのぼると、中学校の先生から伝授された「巌頭之感」があります。藤村操、一六歳、二十世紀初頭、華厳の滝から飛び込んだ二人目です。「いわく不可解」で岩の上に立って飛び込もうとしたら逆転満塁ホームランみたいに平安に満ちてしまう。と言って帰るというような文脈にはならない、順接、逆接と言いますが、それにあてはまらない接続が問題です。「不可解」には親近感があります。罪はきびしい。罪も不可解に入れると、罪意識はいたたまれなさとか後ろめたさとなって表れ、穴があったら入りたいという恥ともからんでくる。「生まれてきてすいません」(太宰治)もそうでしょう。穴があったらは穴を探すことになり、その穴が見つからないと、どうしようもない居心地の悪さ、居場所のなさになります。やましさは病垂れに久で、死に至らない病いでシクシクジクジクと痛み、逆転がないという意味で、罪とは違います。そうなるとしだいに疚しさを根拠に、「やましさの倫理」がなりたつだろうということになってきました、内田樹の「ためらいの倫理」との関係はどうでしょうか、関係なくはないという思いがします。やましさの発生は生き物を殺して食いながら「食う食われる」の関係から抜け出てしまったという意識、あるいは食われたくないという意識の発生に求められます。さらには動物と植物を分けて植物ならいいだろうというご都合主義の自覚です。サラダをバリバリ食うとか、大根おろしを食うときによほどやましさにかられなければいけないのですが、生身をすりつぶすおそろしい拷問とはまず感じない。そう言えば挽き肉も感じないのですが、挽肉はもう殺してしまったからと言う弁解はあるのでしょう。生きながら食う、日本の踊り食いは厳しく批判されます、じゃあ、植物の生食はどうか。そういうことがまつわりつくのがやましさで、リンゴを食って善悪の判断がつくようになった罪は、それまで何も思わずに木の実や草を食べてきた、もちろん昆虫や魚や屍肉も食べてきたのですがエデンの園は菜食の設定です、そのことの疚しさと読みかえることが出来ます。現実には屍肉を食うことの疚しさは切実だったろうと思います。道具なしのヒトは非力ですから、肉食獣が斃して隠しておいた肉を見つけて食っていたのだろうとされています。今でもアフリカの狩猟民の能力に屍肉発見の能力が入っています。香辛料の歴史もまた古いのです。もうひとつリンゴをイブが食ったというところに女の生存生殖への切実さ、新しい食物への挑戦を見て取ることから男のサブ性を導くことが出来るのではないかと思います。イブから勧められたから食べたなどという弁解が、またそれを情けないと意識することが、反転して女性差別になって行くのです。

第二章 関係の思考

関係の項と言葉

 もともと、動物学から出発してヒトから人間へ、そして水俣問学へですので、ヒト(生物分類上の和名)という生物、生物というとオスメスのイメージが強く、お話していることもそのあたりをめぐっていますが、関係というのは項立てで、関係が先にあって項が出現することがメインの問題ですが、ふつうは項を先立て、対になっている関係が大事です。もちろんすぐに対にはならない関係が立ちはだかります。唯一者は対の関係にありません。対の関係でいえば男と女、きなくさいですが、男という言葉で表しているもの、女という言葉で表しているものはなんだ、というと途端に困る、オスメスが下敷きであるにしても、言葉で言い尽くすことできない、ということは、現実にいないことも意味する。すこし逆立ちしているようですが、現実には在っても表現できないのでなく、言葉の表わしているものは現実にはないということです。対存在の関係項をふたつを立てて、例えば男と女が相対しているとして、その間の空間的な領域を考えますと、この空間をゾーンと言いますが、ゾーンは実際と溶け合います。そこに実際のあの男やその女が居ます。指示名詞抜きの男や女は言葉としては関係項として存在するけれども、現実には居ないのです。分りきったことをいううようですが、松も猫も犬もいないのです。いるのは個物です。何もないものを駆使しながら、さっきすごい、巨大なセントバーナードに区民センターの前で会いましたが、その様子を表現するのは大変、よぼよぼして、足が滑りそうで、わたしは指紋がすり減ってきたようで、脂も切れて茶碗などよく落とすのですが、それと同じようでとか…。ファーストクラスの不思議は、わたしたちが三歳頃、イヌ、ネコを区別できるようになることです。ダグラス・ラミスに英語で考え、日本語で考えるという本(『タコ社会の中から』中村直子訳、晶文社、一九八五)があって、そのなかに「第五世代コンピューターへの手紙」というのがあります。コングラチェレーション、言葉を使えるようになるんだとか、しからばまず、ツリーという語を教えてあげよう、というのです。木を持って何かをひっぱたいたり燃してみたり臭いをかいだり、割れる音を聞いたり、テーブルの表面を撫でたり、その元となった緑色の葉っぱをみたり、箸を使ったり、木とはそういう膨大な経験の全てなのだ、さて木を習得したら次の単語を教えてあげよう。コンピューターにとって言葉とは何か、習得できない不可能事と同義です。私たちは、茂木健一郎じゃないけれど、クオリア的にパカッと二歳か三歳で分かる、つまり、一まとめにして大きく網を打って、男と女というような名付けをして、存在しないことがわかりながら、軽々しく使う、どれだけ経験を積んだら重々しく使えるようになるか、現実には男でも女でもなく、男っぽく女っぽく、オスメスを男女に言い替えて男だけど女っぽいというようにその有りようが動く。ゾーンの中で男と女の間をゆれうごいている。それを男だろうというから無理が起こる。もっとも女の腐った男といいますが、腐っても鯛、女が主の言い方で、男の腐った女とは言わない、男が腐るとどうしようもないのでしょう。

 ゾーンをゆれ動きながら、関係項そのものにはなれない。ただ微視的に見ればゾーンの真ん中に不可視の境界線があって、線ですから幅がない、そこが男でもなく女でもないところです。私たちはこの境界線を絶えず跨ぎながら、男という項に近づきたかったり、女であれと命令したりしているわけです。いずれにしてもゾーンは中間です。

生き物…膜と襞のイメージ

 生き物で大事なのは膜で、風船のように閉じた膜です。ちょっと大きな、例えば食物を取り入れるには、膜が凹んでくびれる。風船の中にもう一つ風船が出来るわけです。出すときは逆に中の小さい風船が大きい風船に接して、口が開く。ですから生物にはハンカチのように縁がある膜はないのです。膜が凹んでくびれないときはヒダになります。小胞体という、細胞の中の物を運ぶ運河はヒダヒダの典型です。膜がヒダヒダに際限なく折れ曲がっていくイメージはドゥルーズを思い出させます。フラクタル図形の一つの要件でもあります。緩やかなヒダに対して折り紙を折りたたむときの谷線山線のところは尖っていて、尖っているとは面積がないことを意味します。ゾーンの真ん中の不可視の境界線、男でもなく女でもない、ここが新たなヒダが誕生する場所なき場所です。膜はズルズルと続き、くびれ、緩やかに折りたたまれてヒダヒダになり、鋭角に折れ曲がると新たな膜やヒダ、新たなゾーンが発生する。何が言いたいかというと、同質的なるものの発生はくびれとしてイメージ可能であるけれども、異質的なるものの発生にはアクロバット的な発想が要求されるということです。

母と子と父

 生き物はくびれで発生しますが、男と女というイメージでは、男は単純なくびれ、女は妊娠、出産という過程で共同出資のようなくびれ方をする。胎盤は母体と胎児の協同でできていて、そのシステムはなかなか解明できません。男とその子どもの間にはこういう関係がない、もう少し言えば母胎から見れば胎児は異タンパク質なので拒絶し排除しようとする、それをごまかす、煙幕を張るのは胎児のがんばりで、一生にいっぺんだけ働く寄生ウイルス由来の遺伝子の働きだというのですが、生まれ大変なドラマ、絆、錯綜した関係があります。男はそれにまったく関わらない。つまり、母と子との関係から男は根本的に疎外されているのです。その倒錯した言い方がアリストテレスの「女は子を産むから自然に属し人間ではない」であり、さらには女は子を産む機械だという見方になります。障がいをもつ児の父子関係、おそらくこの疎外が効いて、父親の居場所がなくなることが多くなると思われます。一般にもそうなんであって、暮らしという中では父親の影がうすいので、気取ったり遊んだりしないと身がもたない。そして遊ぶことを人間の特質とみなして、生き物から離脱し、その地点から女を自然と見て貶めてきたという系譜があります。

言葉と個物=中間的存在

 男と女という対の関係にすこしばかり触れましたが、生と死は対にならないし、神と人間も対になりません。対関係ではない関係はいっぱいあって、関係性とはそう簡単なことではないのでしょうが、この対関係における右往左往という意味では、言葉が指定する、名指しするもののピュア性、あるいは不存在性に対して、私たちは不純ですから、言い替えればイデアルに対してリアルであり、イデアルとイデアルは対関係を結べるけれど、イデアルとリアルは対関係にはならない、つまり同等ではない、松とこの松は主語述語対応の包摂関係にあるということです。松のことは松に聞けとはいううものの、この場合、包摂即個物、イデアル即リアルという関係を越えたメタ関係を導入しており、しかも包摂関係は拒否していないということになるのでしょう。神や仏と人間の関係は神や仏からの一方的な関係が基本ですから、人間は応答しなくてもよいという関係をもつことができます。元にもどってイデアルとイデアルの関係の中でリアルな個物がうごめく、そしてその具体的個物をイデアルな言葉をいっぱい組み合わせながら表現しようとして、なおその目論見ははかない。これ、それ、あれという指示のみがいちばん確かな表現であるということになります。私が女にも男にもなれない、しかし男ぽかったり女ぽかったりする中間的存在であることは、同時に表現されない存在でもあるのです。

網の目と関係項のあり方

 膜には表裏があって、生き物の細胞では表は表どうし、裏は裏とくっつくことになっているのですが、表がいつの間にか裏になってしまうメビウスの輪のねじれがあります。それを三次元に拡大するとクラインの壺になって内側だと思っていたら外側にいるというふうになってしまいます。ラップの芯のようなものをつくって、これを曲げてドーナッツ状にくっつけるとき、ねじって裏表逆にくっつけるとクラインの壺になるのですが、もうイメージすることがむずかしくなってきます。関係といえばネットワークが出てきますが、膜の上にあるネットワークというイメージでも、たどって行くととんでもないところに出ることが可能です。インドラの珠網は単純なネットワークを想定しているのかも知れないのですが、その網の目が珠になっていて、その珠をのぞき込むと全ての珠が映っているのです。その映っている珠の一つをのぞき込むとまた全ての珠が映っている、全てという保証をどうするのか気にかかかりますが、このネットを一つ三次元に上げるだけでも、複雑なネットワークが出来上がります。網は閉じているのでゴールはスタートであっていいわけで、つまり円周上を走るようなコースに単純化も出来るというわけです。一なる個物はすべて地続き的に関係し合って、しかも一は全体を抱えている、さらに一なる個物は絶えず生成消滅しているとすると、包摂とか世界というイメージはたいそうゆれ動いていることになります。

不可知の雲

 私なる個物は森羅万象と関係を持つ関係態なのでそれをギュッと圧縮するとインドラの珠になるわけで、その珠をどんどん小さくしていって体積のない点にしてしまっても、そこに世界全体が詰まっていることになります。ビッグバンから始まる世界もそのような考えで、ただ計算上は今のところ一〇の四〇乗分の一秒くらいのところまでしか圧縮できないので、体積は残っていますが。一三〇億光年くらいのひろがりを持つ宇宙とその全エネルギーが点に近い体積に詰められるというのはほとんど想像を超えます。つまり、存在のあり方とか関係性のあり方について、想像を絶するような表現や考え方があるだろうということなのですが、それを追究して分りたいという一方、分るはずがない、いや、分かりたくない、しかしやっぱり分からなくてはまずいんじゃないか、というようなせめぎ合いが起こる、こういうせめぎ合いは論理能力とか数学能力とは関係なしに誰にでも訪れるのです。そしてどのような説明、解明、言及に対してもどうしてか、「なぜか」ということは万人が言える事ですし、言わなくてもそれこそ権利として留保できるということになります。

 十四世紀のイギリスの作者不詳の文章に『不可知の雲』があります。日本でもエンデルレ書店、現代思潮社の古典文庫、富山房など複数の訳本が出ています。挿絵がありますが、地上があって、雲が広がっていて、その上に神(ゴッド)がいます。この雲が不可知の雲で、この雲に入らないかぎり何も起こらない、入ると二つのことが起こる。一つは不可知の雲が上に伸びていることが分かる。二つ目は、ここに入ったら地上のこと、被造物のことはすべて忘れ何もなくなってしまう。そして神と合体できる、できるだろうというのです。記述について記憶があやふやかも知れませんが、キリスト教の神秘思想の一つで、不可知と忘却は同義語みたいになっています。藤村操の巌頭に立ったら平安に包まれたけれど後戻りは出来ない、飛び込むしかないというのと似ています。たぶん、全てのことを忘れることによって、あるいは全てのことにクエスチョンを打つことによって。新しい関係性が得られるということなのでしょう。それは詠み人知らずの古歌にある「悟りとは悟らず悟る悟りにて、悟る悟りは夢の悟りぞ」の構えに通じます。

乳白色に光る霧

 そういうわけで、とはずいぶん便利な端折った言い方ですが、十数年前ほどに、「霧が光る」という表現を得ました。そのころずっと「子どもの本にひそむもの」という連続のおしゃべりを月一回あるいは隔月に学士会館でやっていたのですが、その十七回(一九九五年三月)の記録です。「霧のなかにキラリと光る 光っている、それは疑えないのだ あたりはほの明るいのだから しかしそれがものなのか、どこで光っているのか ということになるとおぼつかない。霧の向こうに晴れ上がった空間があって、光る実体もあって といわれてもこの霧では 歩いてきた道も見えないし、どこへ向かっているといったって キラリと光ることが目安なのに どうもちがう方向で光るようでもあるのだ。ずいぶん歩いたつもりだが  変らずキラリとそこが光り やっぱりもとの場所に近いのか 霧はどこまでも乳白色に途切れない……」

 何を言おうとしているかというと、これまでお話ししてきたようなことで、途方に暮れているような希望、不可知のやすらぎ、歩み続けるだけの確かさ、と言えばいいか、相変わらず、滝沢先生の絶対点イコール消滅点というのに近づいていない、その上に立っているということの自覚ももちろん出来ていないのです。

問いによる包摂

 絶対点イコール消滅点は大いなる断絶を意味しています。断絶は他者を呼び出します。大いなる断絶は絶対他者を要請し、あるいは絶対他者を前提とします。絶対他者抜きに他者概念は成立しないのです。他者と私を重ね合わせることは出来ないという点に私の尊厳があるという、その論理的な導きには絶対他者必要です。しかし消滅点は即生成点でもあるわけで、これは連続、続く、通じるから導かれます。絶対点即消滅点が収束であるとすると、それは直ちに発散へ向うことになります。滝沢先生もそこまで仰ったのかもしれないけれども、そうなると他者はいなくなってしまうのです。

 乳白色に光る霧が、「なぜ」というクエスチョンであり、インクルージョンであり、その柔らかい「なぜ」に包まれて、他者なき世界を生きる、すなわち独存として、すなわちあなたとして生きる、森有正は「あなたのあなたとしてのわたし」を主語なき言葉を話す日本的私として定義しましたが、そういうイメージ、そういう世界が、物を手に取ることをしない、したがって自分で食べることをしない、言葉を話さない星子と暮らしている、ということについては必要なのかなあ、みたいな感じなのです。

 今日はこういう場に呼んでいただいてありがとうございました。

(二〇〇七年六月二四日、文京シビックセンター会議室において)

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