月刊PR誌「未来」 2007年9月号(No.492) 最首悟 「天の魚」が試行を経て本格的にこの秋再演されることになった。「天の魚」上演556回という偉業を成し遂げた砂田明さんに縁の深い人たちが関わっているので、どうしても再演という言葉を使ってしまうが、一人芝居という形や衣装、仮面は踏襲するにしても、中身がすっかり変わる可能性もある。ではどのように変わるのか、そもそも変わることを期待しているのか、とすれば砂田さんの「天の魚」が物足りなかったのか、いやいや、砂田さんの通りやろうとしてもそれは不可能だから、出来るだけ踏襲しようとしながら、様変わりは避けられない、してみれば、その様変わりがプラスに出るのかマイナスに出るかと思っているのか、でもそういう言い方はやはり砂田「天の魚」に礼を欠くことになるか、思いはいろいろとめぐる。砂田「天の魚」は回を重ねて磨かれ、完成された。その意味では、砂田さん亡き今、その復活はあり得ない。 石牟礼道子の『苦海浄土』の中の一章「天の魚」、それは二つのタイトル「九竜権現さま」と「海石」からなっているのであるが、この章は胎児性水俣病の杢太郎少年の爺さまの聞き書きで、聞き手の石牟礼道子は「あねさん」と呼びかけられる。新・一人芝居「天の魚」が水俣病発生50年の2006年、「水俣・和光大学展」の期間中に試行上演されたというのも、もちろん、「水俣」に関係することを表わしているのであるが、どのように関係してと問うと、相当に大きな重層的世界が出てきてしまう。それで、その内の一つの層に着いてみようと思う。「漁師」である。 砂田さんの「天の魚」を観て、「あねさん、あねさんしかわからなかった」と言った女性が居る。私の暮らしの主人公で、私は少なくとも、重度複合の〈しょうがい〉をもつ4番目の子どもの星子とこの主人公の絆を基にした暮らしを金銭的に支えるという点で、手応えのある人生を送っている。この主婦は瀬戸内海の島出身で、あるとき、「この子はどこの子、**浦の漁師の子、……」と謳いながら子どもをあやした。そしてはたと止めたような気配がした。単にそこから先覚えていなかっただけかも知れない。被差別部落とともに、はっきりと漁師は差別されていたのである。もちろん、差別とは、差別しているつもりはないという意識である。差別は骨がらみになっている。子守歌を謳い出したときに、差別意識はない。しかし途中で差別に気が付いたのかも知れない。「漁師」差別はふつう、生臭い匂い、ぼろぼろの着物、放埒などで表わされる。その差別を自覚し、裏返すと、次のような表現になる。 陸の上ではなんと言っても偽善も弥縫もある程度までは通用する。ある意味では必要であるとさえも考えられる。海の上ではそんな事は薬の足しにしたくもない。真裸な実力と天運ばかりがすべての漁夫の頼みどころだ。その生活はほんとに悲壮だ。彼らがそれを意識せず、生きるという事はすべてこうしたものだとあきらめをつけて、疑いもせず、不平も言わず、自分のために、自分の養わなければならない親や妻や子のために、毎日毎日板子一枚の下は地獄のような境界に身を放《な》げ出して、せっせ[「せっせ」に傍点]と骨身を惜しまず働く姿はほんとうに悲壮だ。そして惨めだ。 有島武郎の『生まれ出づる悩み』の一節で、北海道の岩内の漁師がモデルになっている。瀬戸内海や不知火海の漁師はこれにもう少し、のほほんとかあっけらかんとかを加味する必要があるだろう。ただ、人生がいつはたと途絶えるかも知れないとするところは共通している。もう一つ、文章をつけ加えてみよう。 さて署長さんは縛られて、裁判にかかり死刑といふことにきまりました。いよいよ巨きな曲がった刀で、首を落とされるとき、署長さんは笑って云ひました。「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな」。みんなはすっかり感服しました。 宮沢賢治の「毒もみの好きな署長さん」で、この署長は自分で自分を逮捕するのだが、「漁師(猟師)」の愉悦というか、私たちの古層にある血のざわめきを表わしている。山椒の木の皮を剥いで粉末にし灰と混ぜて川に流すと魚が一網打尽的に腹を見せて浮き上がってくる。みんなすっかり感服というのが賢治の鋭い洞察で、たどってゆくと、猿を狩るチンパンジーの狂騒、お祭り騒ぎに行き着く。 さて、「あねさん、あねさん」しかわからなかったという主婦の感想・概評であるが、素朴に水俣弁が皆目分からなかったと受け止めることも可能である。その余地は残しながらも、表現は短ければ短いほど何重もの意味を吐き出しているのであって、また、概して主婦は曲者であって、辣腕ならぬ辣舌をもっている。するとこの思いは、この芝居は、あるいは砂田さんは、漁師あるいは漁師性についてすっぽかしたか、禁欲したというふうに聞えてくる。すっぽかすとは、故意ではないことで、禁欲はフタをし閉じ込めてしまうことである。そして、そのいずれにしても、それでよかったという思いと、それじゃお涙とくすぐりにしかならないという両様の思いが透けてくる。 お人好しでは暮らして行けない。戸坂潤は「哲学者は生活の達人でなければならぬ」と言ったそうであるが、生活の達人は、少なくとも、駆け引き上手でケチでしぶとくて、「雪に耐える竹」(和辻哲郎)の気概をもつはずである。しかし一方、人はみなお人好しで、面倒を見てやらないとと思わせる可愛さをもっている。「漁師」もその面で変わりないので、作品としてそれをまず前面に押し出すということはあり得る。問題はそこから先についてであって、実は見る側味わう側がそこでストップして先へ行かないということはあり得るのだ。ある種の危険を察知して、歩みを止めてしまう。「あねさん、あねさん」の主婦の思いは、批評家の評とちがって、自分の方の抑制であるかも知れない可能性がある。 らち外に生きる人々への羨望と距離を置きたい気持ちが「漁師」観をつくっている。前者は不定期収穫ゆえの年貢外しという事情、後者は血のざわめきが殺しの聖と穢の両義性を産みだし、誘惑に抗するために穢の方に片寄せて差別することわり(理、言割り)に基づく。陸のらち内に居る暮らし人は自分の中に、お伊勢参りのように爆発しかねない火種があることを知っている。消そうとして消えない火種ではあるけれど、それに風を送って刺激してはいけない。極力そうっとしておくように努めることが大事だ。「柔肌の熱き血潮」を持ち出すなんて暮らし人であるはずがない。しかしそう持ち出す人に喝采を送るのも暮らし人である。 石牟礼道子はただならぬ作家であって、人間の素朴なお人好し性のその先に人を誘って行く手練、すなわち毛頭誘っている気配なしに誘って行く、あるいは首根っこを掴まえて強引に連れて行く技に長けている。「あねさん、あねさん」の主婦は、石牟礼道子の本を読まない。読む必要はないともいえる。石牟礼道子が読者を連れて行こうとする場にこの主婦はそもそも居るかもしれないからだ。しかしこの主婦は砂田さんの芝居を観に行った。「あねさん、あねさんしかわからなかった」。あねさんとは石牟礼道子のことである。ひょっとして「石牟礼さんしかわからなかった」と言っているのだろうか。 |