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病いから<いのち>が見えてくる

『同朋新聞』2011年2月第639号より

最首悟(インタビュー)

星子を見ていると、
どうしても問いだらけで、
答えか得られるとは思えない。
ただ、見ていると、
だんだん星子が透明になって、
いのちだけで
居座っているような感じもする。
             最首悟

 

ひらめきのようにして、暑子がやってきた

――最首さんは、一九七六年に四人目のお子さんの星子さんが、ダウン症をはじめ重度の複合障がいをもって生まれてこられ、それ以来、三十数年間星子さんと向き合って生きてこられました。ある本では星子さんの誕生を「天啓というのか、ひらめきのようにして星子がやってきた」と書かれていますね。

最首 星子は、私が四十歳の時に生まれ、昨年八月で三四歳になりました。八歳の時に目が見えなくなって、それ以降は歩くこともあまりしなくなりました。大小便は自分で始末できませんし、しゃべらず、ものを掴むということをしないので、自分で食べるということもしません。この三十数年変わらないのは、私がこの子をほとんど毎日のように風呂に入れることです。

星子が生まれた時、私は躁状態だったようです。それはひとつには、六〇年代後半の東大闘争に助手として参加した後、研究の現場に戻るわけにもいかず、だんだん追い込まれてきていたということもあります。その頃、作家の黒井千次さんとの対談の中で「その浮遊している自分かピンでパッと串刺しにして固定する」ことが話題になって、それが星子の誕生と重なったのです。この子を世話しなければいけない、どんなことをしても育てていかなくてはいけないということが、私にとっての「ピン」ではないかと。それはもう、私にとっては起死回生の出来事でし。

それまでは、霞を食って生きていくと言って粋がっていたわけですが、霞ではこの子は育てられない。なりふり構わず生きていかなくちゃ、という気持ちでしたね。

――『星子が居る』(世織書房)という九八年に出版された本を拝見すると、星子さんの存在から、本当にたくさんの間いかけが生まれ、そこから多くのことを学んでこられたことがわかります。

最首 星子を育てる中で、「星子のことがわかるなんていうのはおこがましい」という気持ちが本当に出てきました。つまり、星子がひとつの規範であって、それを通して人を見ていくというか、星子には嘘いつわりや虚飾といったものが全くないわけですね。その一つ一つから少しずつ学んでいくということに なります。本当に、里子が生まれてから、すべてが始まったと思います。

 

「わからなさ」を持ち続けること

――最首さんご自身も子どもの頃から病気を抱えられて、ぜんそくと結核で小学校を卒業するのに九年かかったことを書いておられますね。

最首 ぜんそくの苦しみというのもすごいですよ。でも、その苦しみが問題かと言うと、ちょっと違う。どうして私がこんな苦しみに遭っているのかということの方が問題なのです。そのことについては、本当に何かいのちといったことを思わないと、解決がつかないんですね。そういうことを指し示してくれた先達の教えはとても大切です。親鸞さんもそうした言葉をいろいろ残してくれたと思うんですね。

――若い頃に『出家とその弟子』の倉田百三などを読まれたり、「(人生は)不可解」という言葉を遺して華厳滝に飛び込んだ青年・藤村操に影響されたというのもそうした病いの経験とつながっているのでしょうか。

最首 そうですね。つまり「不可解」ということの自分なりの消化の仕方です。最近、この歳になってやっと「不可解」とか「わからない」ことがプラスと思えるようになってきました。しかし、ブラスになってきたことに安住して暮らせるかというと、そうでもない。やはり問いは絶えず残っているというか、問いはつねにうまれてきてしまう。

――「学問」をひっくリ返して「問学」ということもよく言われますね。学間そのものを問う、あるいは「問う」ということを学ぶということなのでしょうか。

最首 東大闘争は、私のように政治闘争をやったつもりはない者にとっては、「問い」だけが残るような闘争だったんですね。もう一つは、星子を見ていると、どうしても問いだらけで、答えが得られるとは思えない。ただ、見ていると、だんだん星子が透明になって、いのちだけで居座っているような感じもする。そういうことで、「問学」ということを言うようになったのかと思います。

 「わからなさ」を持ち続けることか大切で、答えを出すことが目的ではない。それと同じで、病いの克服ということも、どこか違うのではないかと思うのです。

――病いというのは人にとって都合の悪い状態ですから、どうしてもそれを克服しようとしますね。

最首 「一病息災」と言いますが、病いを抱えて生きる自覚、そして根本的な病いは何かと問うことか大事だと思います。

私たちは、頭が痛ければ治したいし、苦しみからは逃れたい。水俣病の苦しみは本当に大変で、「カラス曲がり」と言いますが、年がら年中、手や足がつってしまう。しかも、理解されない苦しみがあるのです。水俣で、ある旅館のおかみさんが「先生、私は今がたがた震えているんですよ」と私に言う。でも外から見ていると震えていないんです。水俣病認定審査会は、そうした不定愁訴をぜんぷ認定欲しさからの嘘だとして切り捨ててしまった。

□に出して言えない苦しみというのがあるんですね。そんな苦しみはないに越したことはないんだけど、しかし、それがない人のことを健康と呼ふのも錯覚であって、そんな人はたぶんいないのでしょう。

 

「疚しさ」といういのちの在り方

――昨年の三月には、水俣病についての文章を集めた『「痞」という病いからの』(どうぶつ社)という本を出版されました。この「痞」という字は初めて見たのですが。

最首 「痞」という字は、「否」に病だれがついているわけですが、こういう病気かあるんですね。胸がつかえたり、気がふさがったりする病いらしく、忠臣蔵の浅野内匠頭が松の廊下で刃傷沙汰を起こした時もこの病気だったのではないかという説もあります。

水俣病の問題は、プラスチックができたことと不可分です。水俣病の原因をつくったチッソは、プラスチックをしなやかにする技術で発展した会社です。プラスチックができて、こんな便利なものはないとなった時から、水俣病の問題は始まっているのです。

私の同級生にサランラップの宣伝をしなければいけない立場の男がいて、「食品の細菌汚染をラップがいかに防いだか」と言う。本当にそうですよね。でも、それが生活に入ってきて社会がいかにキチキチしておかしくなったかということも事実です。しかし、私たちはそれを拒絶できない。原発を使った電力もそうですが、私たちの生活はそれなしには成り立たないのですね。健康的に「否(いな)」と言いきることができない。

そういう状態を、「否」が病んでいると形容してはどうかというので、「痞」という字を使ってみたのです。

――「水俣病は広義は日本の、そして私たちの病いでもある」と書いておられます。つまりそれは、科学技術を拒否できないという病いですね。

最首 もうひとつ、「疚」という字がありますね。「久しい」が病んでいると書いて「疚しい」という字になる。例えば私のように障がい者の子どもを抱えたり、、認知症の親を抱えている人は、紙おむつを便っていることに悶えかあるのです。おしっこを含んだ紙おむつをゴミに出すと、ものすごい量なんですよ。それがいいとは誰も思わない。しかし、布のおむつに替えようといっても、なかなかできるものではない。でも、一方で疚しさが募る。

疚しさの最たるものは、生きものを殺して食うことですね。熊に襲われて亡くなったカメラマンの星野道夫さんは「食べることは殺すことである」と言った。 

疚しさは罪とは違うと思う。罪ではないけれどども、何かチクチクとして居心地が悪い。その居心地の悪さというのが、いのちの在り方だと思うのです。いのちを殺して食わなければ生きていけないことを「当たり前だ」と居直れないところに、人間のいのちの特徴がある。そこにいのちの促しがあるのではないかと思うのです。

 

出発点としての『いのちはいのち」

――近年では、〈いのち〉についてもよく論じておられますね。『「痞」という病いからの』の表紙には、水俣病の問題を解くには「政治・経済・社会的な、そして学問的な要因・問題を多角的に検討しなければならない。そして、その帰結として根本的に軽んじられてきた〈いのち〉というものか見えてくるだろう」と書かれています。

最首 ええ。最近では「いのち学」という言葉も使います。何のために学問するのかをずっと問い続けてきて、ここへきてやっと「いのちのため」と言えるようになってきた。「今、いのちがあなたを生きている」というテーマもよくわかります。星子を見ていると、、まさに「いのちがあなたを生きている」と思いあたる。

三年後くらいにはもう一冊本をと思うのですが、そのなかでは「いのちはいのち」ということが言えたら、と思っています。そこでは、とりあえず神や仏のことについてはカッコに入れるというか、判断保留していのちを論じることになると思います。しかし直感的には、これはやはり切り離せないだろうと思うんですよ。そして、キリスト教では「神がいのちを創った」ということになるのでしょうが、仏教ではそうは言わない。そこにひとつの可能性を見ているのかもしれません。なかなか難しい間題ですが。

四月のシンポジウムでもそのことをお話すると思いますが、普通は「いのちはいのち」と言ってしまうと「はい、おしまい」になりますよね。そうではなくて、「いのちはいのち」というのは出発点、というつもりです。

今の私は、そのことを出発点として、あるいは契機として、信心ということを考えている気がするのです。

(了)

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