2011年5月26日(木)に和光大学で開催された「緊急ティーチイン@和光:震災・原発を考える」(第二回)の講演記録。和光大学総合文化研究所年報『東西南北2012』所収。 最首悟 資料を見てください。「切れ目のないいのちから遠く離れた文明国家」1)です。出だしは3月11日、娘の星子と一緒にいたという話です。星子は私か40歳のときの4番目の子どもで、今年の夏に35歳になります。ないないづくしの女の子というか、赤ん坊というか、娘ですけれども、この子を置いて逃げるわけにはいかない。じゃあ、背負って逃げられるか、まあ、無理です。そういうところから、重度の知恵遅れとして、この子と水俣病の重度の胎児性患者と、どうしてもダブつてきます。 水俣病の重度の胎児性患者が、福島の強制的立ち退きソーンにいるという幻のイメージを描きました。水俣病は、被害そのものがすごいのですが、被害者たちが一番苦しんだのは線引き問題です。「胎児性などあるわけがない」、「お前は水俣病ではない」というのを、科学のお墨つきで線引きするのです。線引きで、今でも水俣病の人たちは苦しんでいます2)。 ヒロシマ、ナガサキ、ミナマタと同じく福島もフクシマと表記されるでしょうが、フクシマの今の一番の問題は、立ち退き、あるいは20ミリシーベルトという線引きの問題なのです。それはどこから出てきているか。科学なのだろうか。そして、線引きを無視して水俣病の胎児性患者が立ち退きゾーンに居座るとしたら、国家は立ち退かないという理由で、この胎児性患者を罰するのか。あるいは、「せっかくみんなの健康を考えてやっているのに、お前はそれを無視して、自分でがんにかかって死んでいこうとするのか」というようなことを、その患者に言うのであるか。想像するだに怒りが湧いてきますが、線引きは誰のためにということを考えざるを得ないのです。水俣病じゃないと言われたら嬉しいだろうに、それを喜ばないのは金銭欲しさの邪な心をもっているのだ、と認定審査会の医師が露骨に言い、メディアによるニセ患者キャンペーンが大々的に始まります。線引きは国家を支える科学者の助けを借りて国家が行う。国家は権力です。そして権力は人々の善意から劣情から何からまで総動員して被害者を屈服させる。 そもそもこういう事態は、どういうふうにしてなった結果としてあるのだろう。なんの帰結としてあるのだろうということを考えると、やはり人間の知的な営み、その知的な営みの一つとしての学問・科学、それと不可分の技術が、どういう世界観やどういう構造の社会を生み出してきたかを検討しなくてはなりません。そして、科学という知的な営みがどのように制度化され、いかにして国家を強化するものであるか。あるいは、科学という営みの制度的な整備ど並行して、労働が、人間の本質的な営みとして規定されるのですが、そのとき労働が技術労働として位置づけられ、科学の営みが技術を通して労働に取り込まれてゆく、というような過程を検証しなくてはなりません。 労働とは、端的に言うと、自然を相手とするのですが、それは「自然」ということの見方を設定したということを意味します。すなわち自然を客体という客観的な、自分と関係のない対象、世界として設定するということ。客観的自然界とは、人間的な価値や見方は入らないとし、無味・無臭・無色の世界だとするのです。味・臭・色はあくまで人間が感じていることとします。人間はそういう自然という客体に働きかけて、その無機的なシステムの構成、動きを明らかにし、その知を技術化して、自然から労働によって価値や財を生み出す。そして自然への能動的意志的な働きかけという労働が人間の本質とされると、科学という知的な営みも労働に繰りこまれ、労働は完全に一般化します。科学者も精神労働者として、賃金をもらう。ところが科学者は知的権威として国家に枢要な存在であり、国家・資本複合体による国民、労働者の統御に大いなる力を発揮します。科学者技術者は労働者であり労働組合の構成員でもありながら、国家を支える産・軍・学の三本柱の一つとして、国民と国家の利害が対立するとき、国家の側に組み入れられるのです3)。人間の特質、エリートとしての人間、という思いがついてまわる知的な営みが生きもの全てを含めた世界を破壊する可能性の問題を振り返るとすると、どこまでにさかのぼり、どのようなところから出発しなければいけないのか。今回の出来事は、すでにそういう問いが始まった中での、また一つの決定的なけじめというか、契機というか、機会というか、そういうところに来たのです。
私は60年代末に大学というところでの学問のあり方を問い始めて、1976年に星子という娘を得たわけです。その星子と学問のあり方をダブらせていると、どうしても消去法的にいのちの問題にぶつかります(神や仏となるとセクトのぶつかり合いが出てきて、争いや戦争にまで至る。それを避けるにはという意味での消去法です)。今の仕事は、いのち論です。「いのち」は、ひらがなで書きます。ひらがなのいのちは、生物や生命では表わせないということを意味します。「いのち」の一つの表現が、「切れ目のないいのち」、流動態です。「態」は、頭の中で思っていただくときは、態度の態と思ってください。体というよりは、姿、相です。現代医療を考える会を主宰する、高次脳機能障害の認知リハビリの医師、山口研一郎編の『生命一人体リサイクル時代を迎えて』4)に私も「いのちへの作法」という文を書きました。生命とはちがう「いのち」というつもりなのですが、内容は「いのち」はわからない、わからないものに対する対応、作法はどうなるだろう、まずは分からないということを納得してからのことだ、というようなものです。 歎異抄を講じるというか、奉じる高史明は、「命」は元々「叩く」という字が入っているという。「命」というのは、権力を前提として、権力が膝まづいた人の尻をひっぱたく成り立ちの字だと言い、自分は使いたくないという。他に解釈はあるでしょうが、非一神教での「命令」は世俗的権力がらみで、反抗したいし、屈服する「命」という考えを絶ちたいと思います。それで「いのち」と言いたいという気持がありますし、自然科学や倫理で「生命」という時、おのずから一神教的な価値観が入り込んでくることを避けたい気持ちもあります。 『朝日ジャーナル』での後半の文章は、少しゴチャゴチャしてくるかもしれませんけれども、そもそも分けるのがいけないということを一つの出発にします。分けることのできないいのちを、分けるのがいけない。 ところが、私たちは分けなくては暮らせないのです。それは、まずこうやって言葉を話すということ。言葉というのは、分けているのです。もう一つあります。止めなくては生きていけない。1870年代頃から始まった写真で、馬はどうやって走るのか、空中に浮かんでいる時があるのか、という問題にチャレンジします。カメラをずうーっと並べて次々にシャッターを切る。そのスチール写真を1秒間に24コマで動かしてみせる。映画、動画の登場です。動くことが再現できた。連続的な映像ができたということなのです。ここが肝心で、映画にしろ、テレビにしろ、ぶつ切りの静止画をもとにして、私たちがそれがあたかも連続実写であるかのように再構成して見ている5)。 ベルクソンは、それを映画的手法と言ったのです。それは私たちが普通に暮らしている姿そのものなのだ。しかし知的な営みとしての学問はそのように連続をぶつ切りにする手法ではいけない。連続は連続として追求すべきだとします(デカルトは日常的にはいろいろ分けずに暮らしているが、学問は厳密に分けなくてはいけないとした。ベルクソンの日常とデカルトの学問が交差したかのように近代科学は成立する。どこかに大きな錯覚、錯誤がある。たとえば田辺元は連続を切断してなお連続を保持するには厚さゼロの刃で切らねばならぬという)。なにか大きなごまかしがあって、そこから先、論理的に厳密に詰めてゆく。メカニックにはそれが可能であった。その結果、何か起こってしまったのかということなのです。日常生活ではたしかに私たちは映画的手法でしか生きていけないのです。線引きをしなければ、物事は進まない。その代わり私たちは、引き換えに、やましさ、悲しみ、恐れなどを持って生きていく。それを私たちは意識しないけれども、切れないいのちをぶつふつに切って、再構成する。その典型が言葉そのものであるけれども、そのようにしか暮らせないことと、悲しみ、恐れ、いたわり、笑いということは、みんなそこにくっついている。ところが学問、科学は感情、情緒は切り捨てる。映画的手法を純粋化して、人間と切り離す。それが自然科学あるいは数学の誕生であるというふうなことになるのです。 そして、同じようにして、人間の暮らしと切り離された社会や制度がつくられてゆく。制度や技術は、人々の悲しみ、痛み、やましさを切り棄てて、客観、公平、合理と称する。資本主義も国家も、そういう意味で、人間的な痛みや悲しみを持たないのです。それで、すでに皆さんが感じていらっしゃるように、人間的な痛みを持たない客観的なメカニズムを追求する。無色・無味・無臭の世界、科学と国家と資本というのは、そういう世界。生き物の世界ではないのです。私がやろうした動物学、生理学で言えば、生き物を殺して、動きを止めて、いのちを抜いた上で、いのちに迫ろうとするわけです。そのときに、私の私情を入れてはいけない。私という人間を、そこに投影してはいけないのです。 切れないいのちを切るという無意識の行為。そして、それはやむを得ないという言い分けの中で、人間の感情が渦巻いている。その中から、無味・無色・無臭の無人世界あるいは無生物世界というのは、どう撥ね出されてきて、そして、それをやることが生きがいだと思う人間がどのようにして誕生してくるのであるかということが問題なのです。端的に言うと、感覚というのは、科学では扱えない。もちろん、国家も資本も、感覚を扱うことはできない。すこし無難には、科学だけをしばらく別にして、「国家資本複合体」という言葉をつかいますが、無味・無色・無臭というとなると、国家科学資本複合体と言った方がいい。この無味・無色・無臭の世界があるのかどうか。それが人間による一大産物なのか。錯覚(錯誤)なのかどうか。 科学は国家・資本を抜きにしては成り立たないことを踏まえたうえで、科学の結果による非常に硬い、例えば機械という物事。その中に人間の勝利と言われた柔らかいプラスチックが出てきますが、しかし、柔らかくては使い物にならない。可塑性を持った硬いものしてしか使えないのです。そして、その一番の象徴は、かつてはダイナマイトでありました。それが核兵器になり、原発になってくるわけです。原発は硬さの権化です。生きものは柔らかい。歯や骨は硬いじやないか。いや絶えず物質の出入りがあります。機械は物質の出入りがない硬さを表わします。
68年からの大学闘争では自分自身を含めた学問批判をせざるを得ず、しかも学問を捨てるまでには行かず、宙ぶらりんな状態で、学問を批判する学問、学問論的学問を追究するというような状態になり、それを「同学」というようになります。学問の非常に古い呼称です。「問学」をひっくり返して、「学問」と言ってきた、ずいぶん本末転倒になってしまったのではないか、それをふたたびもとに戻すという意味を込めています。学問のための学問と言っても最早研究費なしには何もできない。その金はどこから、国家と資本から、そうだとすれば学問は国家と資本に奉仕しなければならない、それは短絡的で、国家からとは税金、資本だって元をただせば人々の働いたお金、そうだとすれば、学問は人々のためでなくてはならない。人々のためとはどういう意味か。大学というのは、そもそもそういうティーチイン、ワークショップの場であったろう。経験、年齢を問わないで、いろいろな人が集まってきて、論議する問学の場ではなかったのか。 68年にアメリカ、ヨーロッパでも学生反乱が起きた。それはベトナム戦争や学費値上げや冤罪などに端を発していたのですが、一番問われた問題は、国家、産業、大学というのがくっついてしまったということだったのです。「日本会」6)を立ち上げた日大はそのことを最も露骨に現した。日大闘争は大学の企業化と巨額の不正経理(政治献金)に対しての闘いだったのです。しかも幻想の大学と言うか、擬制の大学と言うか、学問したい者が隠れ蓑みたいにしたい大学とは、無色・無味・無臭の世界という、砂上楼閣のような世界を盾に、そこの中にいる人間は絶対に正しいというか、神聖であるとする。砂上楼閣ゆえに、神聖が成り立つというと難しすぎますけれども、大学というのは、絶対的な神聖な場だったわけです。無罪の学生を有罪と断じて、いくら事実を突き付けても平気、そして科学はあくまで事実に基づく客観的な学問などという東大医学部の教授会の精神構造は絶対的神聖な場というような考えを導入しないと理解できません。本当に何さまと思っているのだろう。そこには論議の場、年齢、経験、人種、言語を越えて、話し合おうという広場としての大学など、どこにもありません。そして学生に暴力を止めて話し合おうという。神的な権威をもっていると自己規定している者と話し合ってもろくなことはない。そもそも話し合いにならない。だから学生は話し合いの場を拒否したのです。大衆団交が学生によって追究されましたが、それは、言葉巧みで、三百代言で、自分を神だとばかりに思っている者を引きずり出して吊るしあげる場だったのです。 60年代末の大学じゃない大学の解体をかかげた全共闘運動は壮大なゼロと言われましたが、少なくとも大学の装っていた権威だけは剥いだ。しかし大学はその分なりふり構わずのようになって、納期までに製品を収めるような業績主義に堕して、ついに90年には、一般教育科目が廃止され、大学は就職予備校のようになって、それまでの大学は大学院に移行します。その状態が20年続いて、国立大学が独立法人化され、企業化がさらに進むことになったのです。
高度経済成長と公害列島化の1960年代からの状況ということでは、お手元のジャーナルにも書きましたように、「祈るべき天とおもえど天の病む」(病む者の醒めた意識、病む者という自己意識が変革を用意する)という、水俣病を引き受けた石牟礼道子の表現に尽きるかもしれません。人間を切り捨ててゆく国家・大学・資本複合体に対する慟哭を込めた痛烈な批判です。その状況が続いているのです。全てが病んでしまっているのです。その中で自分は健康であるというのは、どこかで国家、資本、科学に巻きこまれているのです。健康であるはずがない。「祈るべき天とおもえど天の病む」という中で、私たちは普通に戻ろうとしなければいけないのです。私がとにもかくにも大学に居続けられたのは、そういう思いの人たちが大学に居たからです。なかんずくこの無流大学(梅根悟)の和光大学において。 星子と一緒にいて、まるで座り込みのようにして、そういうことを思っています。そして星子が「大丈夫だよ」と言っているような気がするのです。始末できない原発事故を招くような、生きものも機械だと見るような科学技術文明のなかで、科学技術による病気からの回復の施術はさらに病気を重くするのです。誤解を恐れずにいいますが、「病んだら病んだで、いいのではないか」みたいな気持ちを根底にもたないと、この状況から脱することはできません。星子はダウン症ですがそれだけでは説明できない症状です。生まれた76年ころ、それはさまざまな障碍をもった子どもが生まれてきました。先天性四肢障害や自閉症のような症状もそうです。一般的に言えば胎児期超微量複合化学汚染です。お配りした原発事故を扱う「自然と科学ニュース」の作り手の神貴夫さん(北海道の中学教師)と神聡子さん(和光大水俣展のシンポジウムのパネラー)のご夫婦は、お子さんが化学物質過敏症で学校に行くとたいへん、そういうことからシックスクール・レターを発行して、化学物質汚染をはじめとする十重二十重の環境汚染を告発しています。星子はそのような環境汚染の申し子のようです。そのもの言わぬ星子が「大丈夫だよ」と言っているような気がするのです。「お前がそう思っているだけだろう」ということではあるものの、いのちだか星子だか、声が聞こえてくるようなのです。 何が大丈夫なのか、どういう限りで大丈夫なのか。応えるとすれば、元にもどすという限りでということになろうかと思います。すぐにチンパンジーに戻れってかと切り返されますが、そうじゃない。元は普通、常態、ゼロのことです。今はマイナスです。マイナスからゼロヘ、ゼロからプラスヘではなく、同じ方向、すなわち前向きながら、マイナスからゼロヘの努力です。絶えざる右肩上がりの経済成長、頭を冷やせばそんなことありえないことはすぐわかるはずです。熱に浮かされたような進歩、その果てはどこへゆこうというのですか。止まることを許さない進歩に対してまず座り込むこと、そしてゆっくりと少しでもマイナスを少なくしてゆかねばなりません。 その上で、単純に、今は大丈夫なのです。つまりいろいろと乱反射して何が何だか分からなくなっている諸目的を「つづかせる」ということに絞る。もっと端的に今日を明日につなぐのです。星子にとって目覚ましい明日などないのです。明日も今日の如く、今日生きること、生きて明日を迎えることがほとんど全てです。何もかも失った被災した人たちもそうです。星子もそういう方たちも今日生きることだって大変です。なるほど私たちはローンにがんじがらめになっているものの、今日一日がなんとか明日に接続すればよいと思えば、もっとボランティア的に振る舞えるはずです。先々先々に縛られて今日がなくなってしまっている。そのことに比べたら、今日一日だけを考えることを刹那的とは言えないのではないですか。それをもっと縮めて今を考えると、次の瞬間に東海大地震が来るかもしれないけれども、今は無事に過ぎた。今は大丈夫なのです。東海大地震は98パーセント来ると科学は言っているのです。でも今、生きているということにおいては、大丈夫。生きているということを、私たちはどうすることもできないのです。生きているということの中で、私は今こうやってしゃべったり、皆さんにおつき合い願ったりして、あるいは皆さんはこれから発言なさる。それは生きているということをするのではない。生きていることの中で、どんなことをしているかの一フェーズです。私たちは、生きているということについて、その申でしか何事もできないという意味において、「大丈夫だ」ということもありそうです。もう少し言うとすれば、いのちだか星子だかが「私のことは心配しなくてもいい」ということから始まって、「私をきちんと世話すれば大丈夫だ」というのもあるだろうと思うのですけれども、やはり「やましさをわきまえればね」、「思い煩わなければね」、「下手な考えはもうやめて」と言うのかもしれないし、「人の知恵はほんのわずかだから、大丈夫だ」と言っているのかもしれない。さらには「希望さえあればね」。どんな希望だろう。 中原中也。昭和12(1937)年の詩の一節、「目的のない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた」。あてのないわたし、生まれたからには目的を持てという。繰り返すけれど乱反射する目的から一つ探り当てられるのは「つづく」ということです。端的に誰かが子どもを産むということです。男の私は産めない。女の人も産もうと思ってもかなわない人がいる。でもみんな、誰かが子どもを産むということにかけて生きている、生きてゆくよすががある。目的がないとはあてのない強さです。中也は子どもを失くした。そして自分も間もなく死んだ。でもあてのない強さがあった。それが希望です。たぶんそれはいのちと言い換えていいのです。いのちは絶望としては表されないでしょう。いのちを十全に表現することはかなわないので、私たちは際限なくいのちについて表現しようと思う。そのことにおいて、「大丈夫」かもしれません。 冒頭に戻りますが、切れ目のないいのち、流れとしてのいのちを日常の暮らしではさまざまに仕分けて生きてゆかねばならないのですが、それによって生じる疾しさや痛みを最大限白覚して、津波・原発事故被害の対策に反映させ、線引きを最小限に、出来ればしないという姿勢をもつべきなのです。繰り返しになりますが、水俣病の線引きでは、原因が分からないという未曾有の事態で、やっと有機水銀にたどりついて、そしてハンターラッセル症候群をそのまま適用できるかどうかもわからない。ところが、行政的には線引きしてもらわなければ困る。地域としての要望です。どういう被害なのかどこまで広がっているか、不安は非常にあって、人々も行政もこれが水俣病という線引きを欲する。線引きはまず医学的科学的になされなければいけない。しかし医学者も人類初の生態系に放出された有機水銀の経口摂取による病の症状を特定することはできない。それで急性劇症を別にすると、大雑把に言えば、疑わしきも含めてという線引きをせざるを得ない。ところが抑えに抑えたはずの被害者の数がどんどん増えてゆく。ここで社会防衛が発動し、このままでは国が潰れるとかニセ患者が多いというキャンペーンがはじまる。そして新たな線引きが画策されることになる。環境庁が窓口になって医学の権威にお願いする。スモンを発見し、新潟水俣病を発見した、クリスチャンで献身的な、東大から新潟大に行った椿忠雄がその役を引き受ける。とたんに水俣病患者はいなくなる、と言っても過言ではない状態になる。人格的には非常に高潔、その意味ではそのあと患者切り捨てのこの認定基準を守り続ける東大から鹿児島大に行き、尊厳死協会理事長の井形昭弘も人格は高潔なのかもしれないのです。国家を憂える者は非国民の穀つぶしよりはるかにはるかにいい人なのです。そのあと東大の医学者を中心とした対策会議が行われるには、まず環境庁の役人が、冒頭で科学的判断ということでお願いしてありますがと言わなければいけない。そしてお願いするについては、これだけのプレゼントも差し上げていますということも匂わせる。井形昭弘は30数億円ももらって、精神神経学会は、何に使ったのか、タイトルだけでも示せという始末です。科学に国境はないが科学者には祖国があるを地で行くような話です。国家という線引き、血にまみれた日の丸。それを強制する学校教育。 この線引きについて、悩んだのが、北川環境庁長官のときの、環境庁のセカンドの山内豊徳だった。自殺します。彼は、福祉官僚として、行政は線引きしてはいけないという考えをもっていた。行政は線引きでなくお願いする立場にあるというのです。有限の社会的費用、国家的費用の中では、今、とにかく生活できる方は我慢してください、と頼む。水俣病のような症状が出てきて、生活に支障が出てきたら、手当てします、今は重症の人から保障していきます、という趣旨の考えです。少し理想化して紹介しているかもしれないけれど、そもそも行政とはそういうものではないか。犠牲を強いて、人々を切り捨ててゆく国家のための行政ではないはずです。 原発事故について、線引きの考えは相変わらず変わっておらず、そして科学者の言うことは信用できない、しかしまた、そのことばかりにとらわれると、つまり補償の額や後始末のことばかりに視野が限られてしまうと、結果として、原発を容認する考えや制度や国家をそのまま放置することになって、それはまた体制優先の線引きを許してしまう、そのことをくれぐれも弁えなくてはいけないと思います。 ===================================== 1)最首悟「切れ目のないいのちから遠く離れた文明国家」『朝日ジャーナル』2011年5月。 2)水俣病かどうかの認定基準は、環境庁が主導して、医科学者に頼み、医科学者がその基準を引き受けた。引き受けたあと、その基準に外れる水俣病に直面するのだが、医学的な基準と言った以上いまさら水俣病だとは言えないという態度を、井形昭弘ら水俣病の権威と称する医学者たちは持ち続けた。最高裁判決(2004)で認定基準を満たさない水俣病への言及がなされてから、それまで水俣病は経口摂取有機水銀中毒と同義であったにもかかわらず、水俣病と有機水銀中毒に分け、有機水銀中毒は補償対象ではないとした。世界で初めての水俣病に対して――拙速であろうと、必要に駆られて、そしてそれが被害者救済のためにも必要であった――基準を設けた、それが水俣病であって、それ以外は水俣病ではない非水俣病有機水銀中毒だというのである。 3)この文脈では御用学者は二つの役割を果たす。一つは直接国家を利する。一つは産・軍・学の構造を国民の目からそらすためのいけにえ的悪役。一般科学者、市民科学者はああいうワルではないというイメージづくりに寄与する。 4)山口研一郎編『生命一人体リサイクル時代を迎えて』(緑風出版、2010年)。 6)1962年発足、会長・古田重二良(日本大学会頭)、総裁・佐藤栄作(総理大臣)、次いで福田赳夫(総理大臣)。 |