あなたとわたしは二人称と一人称です。できるだけ上下の意識を薄めた中立的な呼び方ではあるものの、対等ではありません。あんたとか、あたい、わっちとなると垣根を取っ払った親しみやなれ合いの言い方になります。でもやはり対等ではありません。相手や自分を呼ぶのに、相手と自分の関係を抜きにしては呼ぶことができないのです。そして自分と相手の関係に、対等な関係がないということなのです。
英語の場合、ふつうには、Iとyouしか思い浮かびません。でも〈I〉はなぜ大文字なんだろうと思い、このわたしは大事なんだろうな、このわたしを抜きにして、ことは始まらないのだろうな、という考えが浮かんだり、でも自己中とはちがうんだろうな、とチラッと思ったりします。
どう整理したらいいか、その一つに、絶対(あるいは唯一神、God)という極があって、そこから下方の平面に光線や視線が放たれて、その平面にIとyouがいる、というイメージがあります。肝心なのは、そういうイメージをわたしが持ったということです。このわたしがあくまでファーストで、次に目の前にいるあなたなのです。その順序はあるけれど、同じ平面にいるということをもって、あなたとわたし、いや、わたしとあなたは対等、平等なのです。
このわたしという〈I〉なる大文字を確定したのが、近代西欧の成立と言っても過言でなく、その結節点にデカルトの「われ思うゆえにわれあり」があります。17世紀、1637年に出した『方法序説』という本に記しました。17世紀というと、日本ではちょうど同じ1637年に「島原の乱」が起こります。キリスト教弾圧と飢えによる一揆です。このあと2年ほどして徳川幕府は鎖国に踏み切ります。それからほぼ200年、ペリー来航まで、日本は、西欧と完全な没交渉ではないにしても、西欧とはずいぶん違う文化を発酵させました。
今年は明治維新から150年です。日清戦争、日露戦争、韓国併合、支那事変、太平洋戦争を経て、日本はどのような文化を育ててきたのでしょうか。掛け声としては、脱亜入欧、和魂洋才、超国家主義、鬼畜米英、戦力放棄と続きますが、令和元年、新たな出発として、江戸時代までの文化とのつながりを、私たちはどのように持っているのか、確かめてみることが大事だと思われます。
Iとyou、あなたとわたしにもどって、その立ち位置ということを考えると、Iとyouではこのわたしが、なんと言ってもファーストでありながら、お互い平面上に立っているので、その位置を交換しても、変化は起きません。そのことがIとyouという一つの言い方しかなく、しかも対等だという見方につながっていると言えます。ところがあなたとわたしでは、その立ち位置を簡単に入れ替えることができないのです。このことをすこし説明します。
あなたはピッチャーマウンドのような小さい塚の中心、即ち、てっぺんに立っているのです。わたしがそのマウンドの周辺の低いところに立っているとすると、わたしはあなたを見上げることになります。あなたは、子どもであれば、お山の大将みたいに立っているということになります。ところがわたしもマウンドの中心に立っているのです。そしてあなたはわたしの立つマウンドの周辺にいるとすれば、わたしがあなたを見下ろしているということになります。
図を描けばわかりやすくなります。いまは想像してもらうとして、あなたもわたしもお山の大将とは、どういうことかというと、大きな球の上にあなたとわたしがいて、あなた中心のマウンドの中にわたしがいて、私中心のマウンドの中にあなたがいるということなのです。そしてあなたを第一関心事にするとあなたはお山の大将で私は家来みたいになります。わたしに焦点を当てると、今度はわたしがお山の大将で、あなたは私の家来みたいになるです。
マウンドという設定を離れて、ただあなたとわたしが大きな球面上にいるとすると、球面の中心はいたるところ、どこでも中心なので、あなたもわたしも球面の中心にいるということになります。そこにマウンドという形をしたテリトリーを付け加えると、あなたとわたしの立ち位置の上下関係が生まれ、視点移動によって、あなたが上ならわたしが下、わたしが上ならあなたは下になる、というわけです。
さらに、あなたとわたしがいる球面を大地と呼ぶことにすると、あなたがわたしに呼びかけるとき、あなたは、内心、オレとオマエは大地の中心にいるという点では同じで、対等なのだが、いまはオレが上としてオマエと呼ぶぜと思案して、オマエなあ、などわたしに呼びかけるのです。その立場を受け入れると、わたしはあなたに敬語を使って応答します。しかし、どっちが上かは、場合、事情によってコロコロ、シーソーのように変わります。
次回、人の立つ平面と球面の話を続けます。