返信17:手紙をもらって(最首悟、2019/11/13)

序列をこえた社会に向けて

(報道部より) 10月14日の日付で、最首さんの元に植松被告から返信が届いた。中身はたった10行。手紙には〈最首さんのお考えは判りましたが、奥様はどのように考えているのでしょう。聞く必要もありませんが、今も大変な面倒を押しつけられていると考えております。「朱に交われば赤くなる」と云いますから、障害児の家族が悪いのではなく、生活する環境が悪いということです〉(原文まま)などと書かれていた。

10月15日手紙をもらいました。話の趣旨はわかった、ということと、つづいて、娘の星子を世話している母親のことについて、言及がありました。その部分を抜き書きします。

「奥様はどのように考えているのでしょう。聞く必要もありませんが、今も大変な面倒を押しつけていると考えております」。

大変な面倒を押し付けている、とは、第一に、母親と父親と子どもの三人暮らしで、手間のかかる子どもの世話を父親は母親にみんな押しつけている、というふうに読めます。第二には、すこし広げて、手間のかかる子ども、一つには障害のある子どもが挙げられますが、そのような子どもの世話は社会的に行われるべきだが、いま日本の社会は十分にそのようにはなっておらず、親に、特に母親に、ほとんどの世話を押しつけている、というふうに読めます。

後者は今、子どもから大人まで重圧を感じ、身に染みる自己責任との関連という問題につながります。自己責任だからね、と念を押されると、萎縮したり、大げさに言うと、金縛りになったような状態に陥る、あるいは孤立無援状態になって、人や社会に助けを求められない苦しみになります。家庭でも職場でも、その空気が重くよどんでいます。そうではなく、安心して、何かやる、人を助けたりする、という状態を考えてみます。

誰かが、やってみろ、と言う。それは口に出していうわけではないのです。もちろん、口に出して言う場合もありましょうが、気配、雰囲気として、それを感じ取って、安心という思いを持つことが大事なのです。生きていく、あるいは、成長するには、自分は、どこか、守られているという安心感が不可欠です。大丈夫、請け合うからやってみろ、という促しが、どこかある。その発信元は、まず、第一に、母です。

ただ、母的なもの、母性の元型は誰にでもあると考えられます。しかし、母が無意識に発散する安心の素は、ほかの者、特に男にとっては、意識してそういう思いを持つ必要があります。保母さん、保夫さん、看護婦さん、看護夫さん、介護職員、先輩、先生、上司、上役、そういう役柄で慕われる人は、みんなそれぞれ、安心の素を分泌していると思われます。ただ、そうなるには、やはり、共に生きる場という意味を含んだ、人間という人は、頼り頼られるはひとつのこと、ということを噛みしめて、まず人に頼らねばなりません。そのことを意識することが大事です。自分は独立している、人の世話にはならない、というのでは、大丈夫、という安心を発散させることはできないのです。

子どもプレイパークの案内に、「ここでは子どもたちは自己責任で自由に遊べます」というのがありました。これでは子どもたちは思い切って遊べません。一億総活躍という標語がありますが、自己責任というという重しがそれを打ち消しています。でも、考えてみると、自己責任は個人というあり方にとって、当たり前のことなのです。するとやはり、わたしたちは個人ではないのです。個人になりたい、個人にならねばならない、という思いも切実です。でもなかなかなれません。無理になろうとするとおかしくなってしまいます。

第一の、母親が背負いきれない苦労を押しつけられているのではないか、という問題に入ります。わが家では、子どもの身からの呼び方の、お母さん、お父さんを、夫婦のたがいの呼び方としています。ほかの呼び方がどうしてもしっくりないのです。「あなた」はお互いに使うことがありますが、すこし距離を置いた言い方で、「あんた」となると逆に狭すぎる感じです。

それで、お母さんの苦労ですが、そのことを思うと、どうしても、専業主婦の矜持ということを思わざるを得ません。もちろんそこに、お母さんという役割は大きく含まれているのですが、ここは私の持ち分、専管領域、むやみに干渉するな、という意識です。その領域の中に、父親がなすべきこと、というのも当然入っているのです。第一はお金を稼いでくることです。

わが家は、大もとのところで、専業主婦が取り仕切っています。その表れのひとつが、お願いします、と声をかけられたら、待ったなしは大げさですが、文句なく父親が応じることです。手が離せないとか文章を書いているから、というような言い訳は一切許されません。何を頼まれるかは、母親の体力の減退もありますし、父親の器用貧乏度にもよりますが、基本は専業主婦の裁量です。その裁量の中に、けっして頼まない、口出しさせない、ということが含まれています。

専業主婦の矜持が崩れる、あるいは崩すと、家庭は不安定になり、社会はぎすぎすしてきます。専業主婦は寄生虫、とは80年代に言い出されたことです。わが家は概して平穏です。そうでないと娘星子の様子がおかしくなります。