報道部注:3月31日に1審・横浜地裁の死刑判決が確定した植松聖死刑囚は、4月初旬に刑場のある東京拘置所へ移送された。刑が確定したため、外部との接見や手紙のやりとりはより厳しく制限される。最首悟さんはこの「返信23」から、横浜拘置支所(横浜市港南区)に送ってきた返信を東京拘置所へ送ることにした。
4月13日に出した手紙は戻ってきませんでした。届いたのかどうかどうか、届くことを願って書きます。
しがらみやかせという縛りから解き放されたいと思います。自由になれたらと希います。1945年まで、日本では家や男尊女卑、世間という身動きできないような縛りがありました。それに加え、憲兵、特高という恐ろしい制度、組織がありました。特高は特別高等警察の略で秘密警察とか政治警察といわれます。子どもにとってだけではありませんが、普通の警察が怖かった時代です。お巡りさんに言いつけるよと親に言われると「泣く子もだまる」という怖さでした。
学校も怖いところで、先生に言いつけるよも、親の決め言葉でした。国民学校での少国民教育は、校舎は兵舎、校庭は営庭という言い方で表されます。男の子は兵隊さんになる、女の子は銃後の婦人になるのが目的とされました。学校での式典では、校長先生が教育勅語を厳かに読み上げ、直立不動で国家歌を斉唱しました。校長先生の白い手袋を覚えています。
校門を入ると、御真影と教育勅語が収められている奉安殿があり、最敬礼するのが一日の始まりでした。わたしは始業式の直立不動の姿勢のときに貧血でふらふらとしゃがみこんだことがあり、学校がいやになる一因になりました。
敗戦によって、私たちは一気に自由を手にいれました。一気にというところが問題で、日本を占領した米国進駐軍の占領政策が大きくかかわっています。そのことを否定することはできません。でもどのくらい関わっているか、ということになると意見が分かれます。
私たちの自由という考えや意味の中身が問題なのだと言い換えることもできます。たとえば、自由と規律と言ってみるとどんな思いがするでしょう。自由はいいけれど規律はいやだという思いがしないでしょうか。もうひとつ、言葉をかえて言うと、公共の度に応じて自由は制限される、というのは、どうでしょうか。第一感としていやだなあという気持ちがしないでしょうか。私は規律も制限もいやだなあと思います。
この、いやだなあという思いを、どうしてかと問わないで、野放しにすると、得手勝手やわがまま、自己中、エゴといわれるような振る舞いをしてしまうことになります。自分本位は、今は自分ファーストというほうが通りやすいと思いますが、夏目漱石の個人主義のモットーです。自分を大切にすることから出発する人間観です。でも凝り固まると、他人のことはどうでもいい、自分だけがよければいいということになってしまいます。
自分の思うようにしたい、生きたいと思う欲求が自由だとすると、それを狭める規律はいやです。規律というといかめしいようですは、日常的にはおせっかいやいちいち口を出されることです。
「自由と規律―イギリスの学校生活」という本があります。1949年に出された池田潔の著作です。著者は1920年、17歳で渡英し、パブリックスールに入り、ケンブリッジ大学を卒業しました。この本からは規律と勇気が自由を育み守るのだという考えが立ちのぼってきます。宗教の戒律や専制の抑圧の中から自由という概念が人間の尊厳という考えと密接不可分に醸成されてきたという思いがします。
さかのぼると、1486年、日本は室町時代、このころ近畿地方で一揆が頻発するという状態ですが、イタリアで、23歳のピコ・デッラ・ミランドラが「人間の尊厳について」という本を出しました。「尊厳宣言」といわれ、ルネッサンスの一つの結晶です。神は人間を世界の中心に置いて、ただ自由のみを与えたという主張です。人間は獣に堕することも神に近い存在になることも人間の意思次第だというのです。そして人間は獣でなく志向的存在だ、それが人間の尊厳を示す、ということです。
自由と規律の「と」が問題なのです。並列でもなく、対立しているわけでもなく、密接不可分というか、そしてどちらかといえば規律に重きが置かれています。規律とは、絶対神や不変、普遍をベースにした共に生きることの、法であり論理なのだと言えます。ロゴス・パトス・エートスは論理・熱情・倫理ですが、「太初にロゴスありき」なのです。
さて、自分にもどると、自由と規律は対立するという思いの方が強いです。規律が理不尽に決められるからかもしれません。多数決は自由と規律が不可分ということをわきまえた個人、あるいはその代表による行為です。そうでないとしたら数の暴力にすぎません。やっと個人が出てきましたが、私は個人になっていないようです。そういう身として多数決の暴力に反対するとはどういうことでしょうか。反対の意思表示をどのようにするのでしょうか。次回、触れていきたいと思います。