前便からの続きで、自己否定について述べます。自己否定とは自分のありようをふりかえって、それではだめじゃないかと思うことです。そういう振り返りのきっかけはいろいろありますが、正義感にかられて、何かを、あるいは誰かを認めない、許さない、その思いを行動に移さなければならない、というきっかけを考えてみます。
正義感がどうして起こってくるかは別に書かなければなりませんが、ここでは、どうして許さないと思うのか、そしてその思いを行動に移す段階で、自分にその資格があるのか、ということを考えます。自己否定とはそういうとき、自分は真っ白じゃないと思うことから始まります。白か黒かという言い方は潔白か後ろめたいか、無罪か有罪かという意味に通じます。白か黒かという言い方では、その間の灰色が思い浮かびます。直接手を下していないけれど、暗黙にその行動に賛成していたということから始まって、関係ないと傍観していることも罪じゃないのかという議論に通じていきます。
水俣病という、工業が原因の不治の病があります。原因についても、症状についてもまだ全容がわかったとは言えない、世界で初めての病気です。1960年代は科学技術の10年といわれて、工業推進が主になった時代ですが、その進展と共に公害と言われる環境汚染が発生し、日本は公害列島と称されるようになりました。
水俣病は1968年9月に公式に公害とされました。その年、宇井純は『公害の政治学』を著わしました。宇井純の言葉に「公害に第三者はいない」があります。端的に「第三者を名乗るものは必ずといってよいほど加害者の代弁をしてきた」というのです。第三者は、よい意味では、公平な立場で物事を見て、解決策などを考えることができる人を指して言います。良くない意味では、傍観者、自分には関係ないというと思う人を言います。
ですから、第三者はいないと言われると、加害者か被害者しかいないということということで、そして、ではお前は加害者か被害者かと問うていることになります。宇井純の言葉は広くは、公害に関心を持ってもらいたい、わが身に必ず及んでくることだから、わがこととして考えてほしい、という意味でしょう。
わたしはその当時、動物学の研究をしていました。そういう科学研究に携わっていない人と比べれば、私は科学技術と関係を持つ当事者です。公害の原因が少なからず科学技術に関わるとすれば、わたしは公害に対して関係ないとは言えず、関係があるとなれば、公害に対する責任が問われることになります。ではどういう責任かと言われると困ってしまいます。分野がそもそも違うし、というと、専門が違うと言って逃げるのか、と言われそうです。
最終的には、倫理の問題があります。人としてのあり方が問われるのです。科学研究者で言えば、研究の姿勢はもちろんですが、研究の目的が問われます。人類の知の世界を広げることが第一ですが、そのことによって人類の幸福が増すのか、が究極の問題になります。そしてこのあたりからだんだんと事が絡まり合って複雑になってきます。
たとえばこの世から病気をなくしたいと思います。文句なくいいことのように思えます。
でも病気の原因が生き物のばあい、その生き物を殺す、全滅させることが、同じく生き物である人の幸福を増大させることになるだろうか、という心配とか、遠くおもんばかる、即ち、遠慮が必要になってきます。生き物は基本的に食う食われることで、その多様性を保ち、共に生きているのですが、人はその食う食われることの食物連鎖の網の目から脱した存在なのです。
人はほかの生き物とは一線を画す特別な存在なのです。と人は自分で決めたのです。それは勝手ではないか、いや、神が決めたのだ。
このあたりになると、論理的には決着がつきません。そしてひるがえって、わたしという身にかえってくると、この痛みや苦しみを何とかしたいと思ってお医者さんに駆け込むし、この牛肉美味しいねえと食べながら、同時にではありませんが、牛には済まないと思うのです。
常識は、〈したい〉という欲と〈してはいけない〉という倫理をないまぜにしながら、極端に走らないようにするブレーキだと言えます。科学研究者の問題に戻ると、科学とはそもそも常識への挑戦だと言えます。その結果、風が吹くと桶屋が儲かるというように、まわりまわって、科学の成果が人々に害を及ぼすことが出てきます。言い訳はいっぱいあります。まわりまわるなかに非科学的な人の営みがいっぱい詰まっている、だから科学のせいじゃないと。水俣病と科学研究者の責任について、当事者ということを次回書いていこうと思います。