返信32:人間関係の基礎(最首悟、2021/2/13)

序列をこえた社会に向けて

当時者ということから、母親との関係ということに入ってきました。例外はありますが、わたし達が最初に出会う人は母親です。ただ出会ったという記憶はありません。では完全に忘れいるかというと、どうもそうではないのではないか、ということが研究され始めて、無意識とか、深層意識という、自分では意識できないけれど、自分の言動を支配している意識があるのだ、ということになってきました。

19世から20世紀にかけてのことですが、フロイトは、人は無意識に支配されていて、無意識を海に浮かぶ氷山にたとえると、私たちの意識は海から顔を出している氷山の部分、氷山の一角に過ぎないとしました。氷山の一角とは、ほんの少しというたとえです。微々たる量、雀の涙などと、字引を引くと出てきますが、そうなると、いったい、自分はどういう人なのだろうと思ってしまいます。

無意識は意識化できるということをペンフィールドという脳神経外科医が見つけました。1950年ごろのことです。側頭葉の箇所の頭蓋骨を開けて脳の表面を電極で刺激すると、なんと、大きな川のほとりで男の人と会っていますと、実験を引き受けた女性が言ったのです。家族に確かめたところ、そういうことがあったといいました。本人にはその記憶はなかったのです。このようなテストから、側頭葉が視覚に関係すること、および電気刺激で記憶が引き出されることが確かめられたのです。

記憶にないことが脳に保存されていて、電気刺激で引き出すことができるとは驚きです。耳から入った記憶はどうでしょうか。たぶん保存されているのでしょう。そして保存されているとすれば、授業で居眠りしていても、先生の言うことは、みんな記憶されているということになり、安心して居眠りをすることができます。ただしその記憶に引き出す方法が自分でわかっていればの話しですが。また、自分に都合の悪い記憶は無意識の領域に押し込めて思い出さないようにする、ということも心理学では発表されています。

わたしは84歳ですが、生まれてからの記憶の量はどれくらいになるのでしょうか。どのようにして脳は記憶を蓄えているのでしょうか。生まれる前の母親の胎内での記憶もあるとされているのですが、その記憶の量とか、そもそも人類の記憶とか、人類以前の記憶もあるとなると、その機作は想像もつきません。機作とは聞きなれないと思いますが、機械のメカニズムに相当する生物のシステムを表す言葉です。いまはその情報の素は、科学としては、すべてDNAという物質に収められているということになっています。人体の細胞数はおよそ37兆個で、赤血球をのぞくと、すべての細胞に、このDNAという、つなげて伸ばす、とおよそ1.8メートルになる物質が入っているのです。細胞の大きさは1ミリのサイコロの中に数百万個のサイコロがあるとしてください。そのサイコロ一つ一つの中心の核という場所にDNAが収められているのです。そしてこのDNAに書き込まれている情報の発現によって、私たちの身体の装置が駆動して、私たちは動いたり考えたりしているわけです。なんだか機械みたいです。

17世紀の前半にデカルトという哲学者は、生物は機械で人の身体もそうだとしました。18世紀にはラ・メトリーが「人間機械論」という本を著しました。いまはどうかと言いますと、20世紀の終わり近くローマ法王が、体と心を分けて、魂はサルから受けついだものでもなく、機械でもないとしました。魂とか人格は神から与えられたものとする立場ですですが、では神とは、というと、議論できる性質の事柄ではないということになります。

科学の脳の研究の現状と照らし合わせて、心や魂はわからないとするのが妥当です。わたしは、わからないなあ、とため息をつくほうです。でもわからないのに、というか、わからないからこそというのか、心や魂のせいにすることも多いのです。

わからないなあというため息は、何ごとについても考えてゆくと出てしまうのですが。母親との絆というと、どのくらい深いのか、硬いのか、見当がつかない、という思いがまずやってきて、なんだか、ため息をつくというところまで行きません。なぜかと言いますと、わたしは母親の体内で、受精卵という私の基になり、胎内で育ったからです。この胎内の胎が絆の具体的な証拠で、母親と私の基がお互い材料を出し合ってできたものだからです。胎は胎盤と言い、胎盤とわたしの基はへその緒で直接つながっています。ここに至ってわたしは、母親と一体だと言っていいのです。しかもここまでのドッキングの前に、早く私の基の方から、私は異物ではないという信号を母親に送って母親に承認してもらわねばなりません。次回、この続きから始めます。