自分について、ごちゃごちゃにならない、すっきりし自分はないだろうかと思います。しがらみだらけだと息が詰まってしまいます。一世代、ワンジェネレーションは30年を指します。その区分も、もう時代に合わないような気がするのですが、一昔十年とも言います。それで、そういう区切りよりも、もっと前になってしまいましたが、日本では、しがらみを切りたいという風潮が流行り言葉となって現われてきました。
わたしが覚えているのは、「あっしには係わりのないことでござんす」と「カラスの勝手でしょ」です。「あっしには」は1970年代の木枯らし紋次郎のせりふです。それから少し間をおいて、2007年の小島よしおの「そんなの関係ねえ」でしょうか。戦後の「ウエット」に対する「ドライ」から始まり、60年代末からの「うざい」に続いて、端的に関係を切る言葉になりました。
関係を切るというと、なにか積極的な感じがするのですが、そうではなくて、関係を切りたいという悲鳴のようでもあるのです。1960年代初めに「小さな親切運動」というのが始まりますが、それに対して「小さな親切大きなお世話」というまぜっかえしが流行りました。わたしは20歳代前半でしたが、大いに共鳴しました。わずらわしい、たとえ善意であってもおせっかいはごめんだという気持ちです。
でも、私にはしみじみとした体験もあったのです。小学校5年生の2学期から喘息が激しくなって3年間学校を休みました。横になれず坐ったまま、もたれて苦しむのもしばしばでした。ある時すぐ下の喧嘩ばっかりしている弟(それも弟のほうが強い)が、黙って入ってきて背中をさすってくれました。かまうなと背中で示しましたが、その時のことは今でも覚えています。
ただ、日本では、世間体を気にする干渉が多すぎるのです。お前のために言っているのだと言われても素直になれません、お巡りさんに言いつけるよ、先生に言うからね、も効き目がありました。わたし達は、大体のところ、人目に立ちたがりません。目立たずに黙々と一つのことをやり続けることは褒められれるのでが、オレがオレがは好まれません。
まわりの目線や干渉に対して、対抗するよりも引っ込む方を好む、目立たないようにしようとするのは、わたし達の基本的な姿勢だと思います。それは関係があり過ぎる世間への対抗の表れです、ここが七面倒くさいところです。なぜかというと、引っ込み思案の自分もそういう世間の一員で、そういう世間をつくるのに一役かっているからです。そう思うとよけいに「関係ねえ」と言いたくなります。引き籠りたくなります。
だからというか、それゆえに、大人から、あるいは識者からしっかりしろと言われます。大人の「しっかりしろ」は、世間の裏表を身につけて、しっかり世間を渡ってゆけという励ましです。識者の「しっかりしろ」は、世間ではなく、社会の構成員として、義務と権利をわきまえた個人になれ、という教えです。両方とも短く言うと「甘えてないで自立しろ」になるので、こんがらかります。
世間は「渡っていく」という言い方にあるように、人がどうこうできるものでなく、森羅万象がかかわって、「つぎつぎになりゆく」ものです。それで感覚も動員して、清濁合わせて世間を身につけると「世渡り」ができる一人前になります。ちなみに、網を引く体力と判断の基準が一人前で、男の25歳くらいと水俣の網主から教わりました。
一方、識者の言う自立は西欧的な基準で、近代社会での自立を指し、成人が身につけたものです。成人とは義務をわきまえた個人で、個人は生まれながらにして、人格と自由と尊厳と権利を有しています。個人はキリスト教が認められた三世紀以降の人の概念であるとされます。わたし達が個人という考えを知ったのは、19世紀後半の明治維新からです。いまから150年前のことです。〈社会〉も明治維新以後、苦労してつけられた訳語です。
わたしは85歳になるのですが、まだ世間も社会も分かったとは言えません。なまじっか社会の知識を齧っているため、世間のことがこんがらがっているのかもしれません。でもわたしの無意識の振る舞い、言動は世間に通じているものと思われます。自分が使う母語に無意識に、思わず出てくるものは風土、土着による刷り込まれた文化だといわれます。日本語を使うかぎり、やはり私は社会よりも世間に生きているのだと思います。明治の初代文部大臣森有礼は英語公用化を唱えました。ありそうにも思えますが、日本語の私用化とは、そもそも不可能のように思えます。公私の区別はそう簡単なことでないということを森有礼は示したと言えるかもしれません。