プラセボ効果の基本は、お医者さんから、この「薬は効きますよ」と渡された薬をのむと、見事に効くということです。その薬は砂糖でも小麦粉でもよいのです、いろんなエピソードが蓄積されています。医学部の教授が開発した二日酔いの酔い止めの薬を、その医学部の学生の集団が飲んだところ、効果があったという事例があります。しかしこの薬を厚生省が認可して、売り出されるかというと問題です。やはり副作用はないかとか、誰にでも効くのかなど、確かめないといけません。
効き目の効果を調べるのに、二重盲検テストというのがあります。ある病気に患っている人たちを二つのグループに分けます。一方のグループには効き目を調べる薬を、他方のグループにはプラセボ(偽薬)を飲んでもらいます。その際に、薬を渡す人が、自分が渡す薬が試験する薬なのか、偽薬なのか、わからないようにします。薬を飲む人も薬を渡す人も、本物か偽物か分からないようにします。このように、二重に分からないという意味で、二重盲検というのです。渡す人が、もし薬か偽薬か知っているとすると、態度に現れるというか、気配がするというか、何かはわかりませんが、飲む人にそのことが伝わってしまうのです。
少し手の込んだやりかたでは、例えば癌にかかった患者さんにデータとかグラフを見てもらいます。そして次のように言います。〈今ここにもっているのは、抗がん剤の偽薬です。そのことを承知の上で飲んでもらった患者さん達の症状の変化が、このグラフです。良くなっていることがわかりますね。この偽薬を試してみようと思いますか〉。見せられた患者さんが、飲んでみると言って、その偽薬を服用すると、症状が良くなる、というのです。アメリカでは、この種の試みがいろいろとなされています。
もう一つだけ紹介します。そばに居るだけでいいという例です。初めて子を産む初産婦は出産が近づくと精神が不安定になりがちです。そうした女性のもとへ子どもを産んだことのある経産婦を送るのです。そういう斡旋所がアメリカにあるそうです。派遣された女性は編み物をしたり、本を読んだりしてただ傍に居るだけでいいのです。すると初産婦の不安が和らぎ、お産も軽くなるそうです。すべて手だてを尽した医師のなすべきことは何か、それは患者のベッドサイドにただ座っていることだという教えがあります。看取りとは看終わることを含んでいるのです。
ホメオパシーという療法があります。プラセボ効果が人間関係に基づくものとすると、ホメオパシーは自分の心のあり方というか、自分の心とつながっている身体の症状を対象にます。例えば花粉症に悩まされているとします。その原因が杉の花粉だとすると、杉の花粉の溶液をろ過した液を途方もなく薄めてゆきます。100分の1に薄める作業を1回とすると、その作業を10回も繰り返します。まったくの水じゃないかと思います。でも花粉症を起こす何かが、スピリット(魂)のようなものが不純物なしに存在しているのです。この水を飲みます。すると、心身にわたって花粉症を抑える基作(仕組み)が働いて、花粉症が収まります。ドイツの薬屋さんでは売り場を半分に仕切って、ふつうの薬のほかに、各種のホメオパシー液剤が売られているそうです。
日本ホメオパシー医学会理事長をつとめた帯津良一さんは、東大医学部第三外科の食道がんなどの外科医でした。でも西洋医学に限界を感じて、患者の望むことは何でもやる三敬病院を立ち上げました。ホメオパシーはスパッと効くと言います。私にはわからない何かが働いているのです。私たちもその一員である自然は奥が深いと思います。西欧の17世紀以来の自然科学が成し遂げた自然理解はまだまだ部分的なものだと思われます。しかし環境破壊や核エネルギーの利用と言った面では人類を破滅させる力を持ちました。
私たちはいのちに生きています。いのちと自然、共に奥深く、分からないことの代表のようです。自然を殺す、命を殺す。もっともしてはならないことです。でもいのちは、命ある生き物を殺して食べることによって保たれているのです。ですから食べ物にも感謝と敬意を払い、食べ物以外の殺害については、殺すなかれの倫理を貫こうとします。死刑を実施している国は現在、日本、米国、中国を含めて国連加盟個の3割ほどです。私は死刑に反対です。
未知、不知、非知の区別があります。未知はこれから努力によって知ることができる、不知は知ろうとしても知ることができない、非知は知る知らないを超えた世界やものごとがある、という意味です。私は私自身についてわからないことが多く、それで私自身を問うということを切実な課題としています。