意識がある、とはふだん思わないのですが、意識がないとなると大ごとです。意識がない状態は昏睡とか植物状態とか脳死と呼ばれます。昏睡はいろんな刺激を与えても反応しない状態です。植物状態は昏睡がずっと続く状態で、23年間植物状態が続いた例がネットに載っています。実は意識はずっとあったのだということが、23年後の理学療法で運動機能がわずかに回復して,パソコンで意志が伝えられるようになってわかったのです。
植物状態は自力で呼吸ができるのですが意志を伝えることができない状態が三か月以上続くことをいいます。脳死は自力呼吸ができない植物状態といえます。意識に関わる大脳と運動や姿勢に関わる小脳、それに呼吸に関わる脳幹の三つが機能を失う状態です。中でも脳幹の働きが失われるだけで死にます。それで英国は脳幹の機能喪失だけで脳死ときめています。
以上述べてようなことは、今ではおおよそのことはみんな知っていることです。でも日本では西欧とちがって、脳死は人の死だということを文句なく認めているわけではありません。脳死の人から臓器を摘出して臓器不全で苦しんでいる人に臓器を提供する、そしてそのことを必須とするのが心臓移植だとする臓器移植法が日本で成立したのは1979年のことでした。
人から心臓を摘出すればその時点で人は死にます。心臓移植には生きている心臓が必要です。脳死状態の心臓提供者の心臓は生きています。しかし提供者から摘出した心臓の鼓動は止まっています。心臓移植は時間との勝負で、心臓移植を受ける患者の心臓を取り出して、そこに移植する心臓を置き、血管を縫い合わせ。そしてその止まっている心臓に電気ショックを与えて鼓動を再開させます。死んでいる心臓では鼓動が蘇ることはありません。摘出した心臓が生きていても運搬中、あるいは縫合中に死んでしまうことが起こり得るのです。まとめますと、移植手術が終わるまで心臓は生きている必要がある、と言うことになります。
さて、問題は脳死の人の心臓は生きているとなると、脳死はあくまで脳の死であって、脳死の人は死んでいるということにはならないんじゃないかという疑問が生じてくることです。脳死の人は汗もかくし、排泄もするのです。
脳死臓器法が成立、施行された13年後、脳死は人の死かという大問題を軸に脳死臨調が議論を始めます。政府から諮問されたこの会は、正式には「臨時脳死及び臓器移植調査会」と言います。その臨調が脳死は人の死ではないという少数意見を記載した報告書を出したのです。脳死は人の死ではないとする委員が複数いて、そして反対意見ををまとめ、牽引したのが梅原猛でした。政府への答申で少数意見が併記されるのは異例のことです。
それだけ、脳死はどんな状態のかわからない、あるいは一歩進んで心臓が働いている限り脳死は人の死とは言えないという委員が多くいて、さらに一般の国民としては脳死の人は死んでいないという感情が強かったということです。欧米の人々と私たち日本人の体と心の捉え方が違っていたとも言えます。欧米では17世紀から18世紀にかけて人間機械論という考えが打ち出されました。人間の身体は機械だ、つまりモノだということです。心、魂はモノではありません。
こういう考え方を心身二元論と言います。それに対して日本は伝統的に心身一元、あるいは心身相関の考えだと言われます。心と身体は密接に結びついていて、身体はモノだとは割り切れないのです。前回、石も哭くという表現を取り上げました。物も純粋に物とは思えないのです。西欧では唯物論の考えがあります。モノしかない、全ては物質であるというのです。
古語辞典などを見ますと、平安時代は心の読み方は、シンのほかにシムがあったとあります。シムは滲みるです。。こころは中心であると同時に、滲み出してゆく、滲み渡ってゆくのです。燈心はトウシミと言っていたそうです。今は、身体の中心の臓器が心臓で血管を通じて血液がゆきわたるのですが、昔はこころの居場所の心臓から心が滲みわたって行くと思われていたのです。心は身体に遍在するというのが心身一体とか心身一如で、爪の垢を煎じて呑めなどはそのことを表しています。爪の垢も身体です。
心は心気であり、魂も精気の一つと言われます。気となると言葉は山ほどあり、別個に取り上げてみたいと思います。気は形がないので、心もそうだと思うのですが、居場所があるという点では気と違います。この辺で一区切りとしますが、日本では今、脳死は人の死ではない、ということを確認しておきたいと思います。