責任をとるということ
「動かぬ海」1991年所収
「川本裁判資料を読む」は、飽きてしまって中断(無責任だなあ)、といっても、けっこうやった。最後の最高裁判決までいかないのがよい。公訴棄却確定は、たしかに前代未問なのだろうが、情緒がらみで論埋が通っていない判決文は実のところ読みたくない気分である。
裁判資料集を読んだ成果は、水俣病の苦しみにかかわるところを除いて、裁判という劇に関していえば、厳密さとずぼらさをそれぞれ当てはめる箇所が、私たち観客の思うところと食い違うということである。だいぶセンスがずれている。ほんのちょっとしたスリ傷でも、全治には1週間くらいかかる。そのくらいの傷で大騒ぎし、口の端から血が流れたくらいで、ものすごい暴行を受けたかのようにあつかう。一方凶器とされる川本さんの副木探しに懸命になりながら、副木をするほどの怪我がどんなものか、またそんな怪我を誰が負わせたかには、ちっとも関心がないようだ。
高裁で公訴棄却判決を出した寺尾という人が気に食わない。狭山判決は許せない。プラスマイナスで相殺、まあまあ、水俣ではがんばった、とは絶対に言いたくない。どっかおかしいのではないかと勘ぐり続けたほうがいい(とはいってもすぐ忘れる)。
春から、関西訴訟の証言の検討を始めた。読み上げるのは今回はさすがに止めて、レポートしてもらうことにする。トップバッターはW氏。伊藤蓮雄証言から。最大の印象は、どうしてこうも忘れられるのかということ(他人のことはいえないが)。故椿忠雄の、「わたしは神に誓っているから、良心に誓ってというと、なんだという気がしますね」といった趣旨の座談会の発言を思い出す。彼が敬虔なクリスチャンだったことは疑わないが、しかし「患者側証人の医師」を批判する言葉としては、一種の侮辱だろう。患者サイドに立って嘘を言っているというニュアンスがこめられている。もし彼が、忘れた、記憶にないと連発する伊藤証人のような人についてコメントを求められたとしたら、何と言うだろう。「嘘」が積極的な嘘で、「忘れた」が消極的な嘘だとすると、良心という点では消極的な嘘の方がいいのではないか、なんだか晩年の椿忠雄の守りの姿勢をおもうと、こんなコメントもあり得ないではない、というような妄想にかられる。
それはさておき、「忘れた、記憶にない」という言い逃れは、法廷闘争テクニックをこえて、もうすこし深く私たちの心に受容されているのではないか。「いつまでもくよくよと思い煩うんじやないよ」(ほんとはこれに、○のくさったみたいに」という語がつくのがふつう)という処世訓が意外と私たちの深層で鳴り響いていると思う。いつまでも忘れない、こだわるのはしつっこくて○らしくないのである。「忘れられないということがいかに苦しいか」とは南方熊楠、子どものころ1里離れた庄屋さん(?)のところへ行って大蔵経を読み、帰ってきて筆で書き記したのだと。熊楠も真知子・春樹も忘れられなくて苦しんだ。そしてそれに対する同情はほんとのところあまりない。忘れない、記憶力抜群というのが、常ならぬことで、日本的人間の条件から逸脱しているからだ。憶えていようたって憶えられないのがふつうなのだ。「忘れました」というのが自然である。
こういう傾向は、心が繊細であるとも、心のカサが小さいとも、心が防衛的とも言える。また素直だとも、功利的だともいえる。たとえば権力なるものが、その軌跡や行状を人々に記憶されては都合が悪いとすると、人々が忘れっぽくなるか、意地でも忘れまいとするかで、だいぶ権力のあり方はちがってくるだろう。逆に心が繊細でいろんな傷に耐えられない、容量が小さいから忘れてしまう、という心性につけこんで成立してくる権力形態というのもあるだろう。そのあたりを風土のせいにすると、和辻風土論が出てくるが、そんなに直結させているわけではないと、彼は最初に断っている。でも単純に風土のせいにしてしまう心根は私たちにはびこっていると思う。なんでも何かのせいにしたいもんなあ。
とにかく忘れっぽいと思う。今水俣ビデオ記録を見る会で、昭和31年から35年まで、いろんな指標がどうだったかを手がかりに、水俣病発生の社会的背景を探ろうとやっているのだが、自分自身で残っている記億はぼお一っとしている。高校1年で20歳という変則だからもうすこし憶えていてよさそうだし、あるいは変則だからうまく記憶回路にのらないのか、いずれにしてもぼんやりしている。そしてそれをそんなに悪いとは思っていない。どっかで流れる水のごとく、かつむすびかつ消えるバブルのごとく、なんて思っている。自民党改治家が明鏡止水とか平常心を好むのは、もちろん代債的願望でね、光散乱流水とか無常(無定見)心を表わしているのだけれど、そのことが深層意識的には、すごくなじんでいて身近に感じられるのではないか。
自由、責任、義務、権利の4つ組みの近代枠を、私たちはどうやらほとんど消化できないらしい。ここにターゲットをしぼって、若者に手を変え品を変えて、料理を差し出しているのがここ10年ぱかりのアルバイトの中身であるわけだが、いっかな食わないね。「義務をはたせば権利が与えられる」というのが若者の最大公約数である。権利とはそもそも与えられるものではないのだよ。
しかし、ここには日本的集団主義の考えが見事に凝縮されている。則にしたがっていればこれ無事、集団には包容性もあればあたたかさもある、人情味はほどほどにゆきわたっている。ところが、いったん義務とされていることをはたさないと大変なことになる。「はたさない」と自分が決める(自己決定)なら、大変さも覚悟の上であまり文句は言えないし、言う方が甘えているということになるが、「はたしたくてもはたせない」人はどうするか。病人、老人、障害者----。日本的集団主義は一転して冷酷さをあらわにする。義務をはたせないなら仕方がない。権利はないと思ってもらいたい。といってすぐ死んでくれとも言えないから、分をわきまえていてさえくるなら、最低の生活はできるようにする。ただしそれは思恵だということを忘れないように。それから「こちら」の指定は守ってもらう。
この場合、「こちら」とは何を指すかむずかしいところがある。国家でもないし、世間でもない。曰く言い難いところがあって、天皇御一人(ごいちにん)といえば一番簡単なんだという思いが広範にあることだけは確実である。つまり、人と人との関係で居丈高なな命令を押しつけようとするときは、「自然」や「神」といういくらでも抽象になりうるもののせいにするわけにいかないし、単に現世的な「人」のせいにするわけにもいかない。そのへんの境界があいまいな存在をつくって、責任をすべて負わせたいのである。あいまいさのリファインはもちろん「自然」と「神」と「人」の三つをすべて取り込むことによって成就される。
このことを背景にばや一っとにじませつつ、ふつうは「こちら」とは行政、司法を意味することになる。この二つが現代の「お上」である。町役場が競って立派な庁舎を建てるについては、ばくぜんとしてはいるものの、「お上」の威光の誇示があるにきまっている。東京都はさすがに超むかつく大きな役場を建てた。
伊藤蓮雄医師は熊本県の保健所長から衛生部長になっていく、当然「こちら」意識の持主である。彼が責任をとらなければいけない対象はぼや一っとした「天皇的なるもの」である。ところが「天皇的なるもの」に絶対的な怖さはなく、実情はむしろ責任を押しつける存在として設定されている。それで、いくら嘘をついても「嘘は方便」だし、忠誠(彼にはチッソヘ忠誠もある)の証しだし、つまり本丸防衛の努力だし、ということになって、倫理的には自分はよく頑張っているという自己評価はあるにしても、心が痛むなどということはさらさらないのだ。
自分のところで守備線が突破されるとどうなるか、それは終生畏怖を伴う落ち度であるよりも、仕方がない、援軍が来なかった、その責任は自分になく「天皇的なるもの」にあるにきまっているということに落着くだろう。かくして倫理的に苦しむという人格はついに形成されないのだ。彼が水俣病に苦しむ人々に心を動かされないということはないだろう。同情や憐憫の情は人一倍もっているかもしれない。しかし、そのことと倫理はつながっていないのである。
そのことがけっこうわかる。わかるというのは、同類項だということである。そして同類項だからしょうがないやねと言えれば、このような原稿は書かないわけである。
人間なるものに、どんなささいな責任も、厳密にはとることができないと思う。責任は積もってだんだん重荷になって、そのまま背負ってゆけない臨界点があるのだと思う。そのような時が来るのだろうか。来たら恐ろしい。そのことが直観的にわかっていて、私たちは何とか荷を軽くする方策を生み出してきたのだろうか。
「天皇的なるもの」の根は深い。