きょうは、私自身の自己矛盾から<水俣学>のどこに焦点をあてるかというところを話したいと思います。
なにが自己矛盾かといいますと、私は、自分自身がどこかで秩序だたないということを自覚していて、それをどこかで秩序だてようとする、合理化しようとするということです。秩序だたないものを秩序だててなにか述べてみようとするのが自己矛盾なのです。しかし、それはなにを意味しているのか。そこが、私の、水俣に関わっている理由といえば理由です。それが出てくると、今日副題に掲げた「真理の探究」という意味も姿を現わすと思います。
水俣の現在のなかに、患者の精神的苦しみということがあります。私がこの十年間、水俣に通って自分で受け止めていること、また通い続けている理由というのは、<患者>という存在を抽象的に思い浮かべるときに、その人たちが患者である前はどういう存在だったのかということです。すると、必ずしも、社会のなかに位置づきたくないという人たち、という思いが浮かんでくる。<漁師>というキーワードです。漁師というのは総体的にそうなのですが、とくにそのなかの一本釣りの漁師というのは、ある意味では社会のなかに位置づかないというか、自立性を持っている。できることなら、このいわゆる社会、たとえば日本とか日本国家とか、そういうところと関わりたくない、関わらないで生きていければそれが幸い、という人たちではないかと思います。
彼らは九州や天草から水俣に流れてきた。その中には優秀な沖縄漁民の末裔も入っていた。そういう人たちは舟に泊したりしながらも、いわゆる庭先漁業に従事して、自分たちでまとまっていた。彼らは、できるなら、しちめんどくさい社会の秩序のきまりのなかに入りたくない、という人たちだったのです。
日本の歴史のなかで考えてみれば、農民というのは、しいたげられながらも、しかし自分たちがこの国を支えている、という誇りが一方ではあります。否応なく米を生産することによって、秩序に巻き込まれる。そして、たてまえ的には持ち上げられる。しかも、生かさぬよう殺さぬようしぼりとられる。そうでありながら、日本の農民は否応なく秩序のど真ん中にいるという意識がある。それなりにそういう意識を発展させていく。
けれども、漁民というのは、少なくとも冷蔵庫がないあいだは流通がきかないわけだから、獲れた魚というのは、自家消費とせまい範囲での商品化をのぞけば、ほとんど肥料にしかならない。かろうじて塩づけの魚が内陸に入っていくことぐらいで、流通的な稼ぎがない。ぎりぎりの生活をする。それで、少なくとも定期的な収穫を対象にし、経済の土台とする秩序にはいることからまぬがれたわけです。しかし、そういう自由を得た代わりに、秩序の中に在らざるものとして疎外されてしまった。
水俣のど真ん中に、そういう典型的な漁師部落があります。沖縄系といわれています。また水俣市街の半径3キロメートルくらいのところに、水俣病多発部落がある。それはほとんど天草からきた人たちですが、この3キロメートルの距離が非常に遠い。また、水俣をひとつ越えた出水に行きますと、平家部落という閉じた部落がある。漁業をやっている落人部落というのは、外との婚姻関係がなかったでしょう。自分たちの出自を誇りにしながら、漁師として士農工商の下に位置づいていた。そういう集落を典型としながら、この人たちは、精神的には陸地的な社会的秩序と切れて、できることならそれに開わりたくないと思っているのではないか。
このことが分からないと、彼らが苦しんでいる精神的な面が分からない。なるだけ秩序に関わりたくないのに、否応なしに関わらされてくる、それも、いいことではなくて、悪いことに関わらされてくる、という苦しみです。
水俣病に、放置、隠蔽、棄却という弾圧がありますけれども、隠蔽のなかには、被害者のほうからの、「できるだけ目分たちは関わりたくない」という側面があります。自分から隠蔽してしまうのです。それは、魚が売れなくなるということだけではないと思います。自分たちが、こういう被害を受けたと名乗り出るだけで、陸的秩序と関係してしまう。自由をしばられる。それはかなわない。奥深いところでそういう意識があると思う。
これは私の仮説ではありますが、水俣に通っていると如実に分かるような気がします。だから、隠蔽というのは、何も権力側が、陸的秩序が隠蔽するだけではない。自分達から隠してしまう。
水俣の問題がなぜこんなに複雑になってしまったのかという根本に、社会の外にいたい、社会の外に押し出されてきただけではなくて、積極的にそこにいたいのだ、という人たちがいるという問題がある。そのことを理解しないと、<水俣学>、すなわち水俣を調査する、水俣を理解する、水俣を鍵としてなにかを始めようという志が間違ってしまうと思う。つまり、社会内的な秩序に自分の身をおいて、その発想で水俣をみてもだめだということです。でも、実際にはそういう見方が非常に多い。その見方からすると、水俣病患者自身が、被害を受けながら隠してしまうということが理解できない。お互いに弾圧して絶対に申請書を出さないということが、受け身的としか、あるいは無知蒙昧としか受け取れない。そうではない。たとえば、ちょっとかけはなれた例ですが、娑婆が狂っているのだという人たちがいるでしょう。私はそんなところにとてもいられない、という人たちがいる。
最近話題の安部譲二の『塀の中の懲りない面々』のなかにも出てくると思いますが、塀の中にいたいんだ、と自分から選択する、そういう人たちをどう見るか。そういう人たちにどこかで親近感を持つか、あるいはまったく駄目なんだと思うかで、スタートが大きく違ってしまう。
わたしたちが学問・研究したいというときに、どういう動機があるか、そのときに自分がどこに立っているか、という問題を振り返ることが非常に重要です。だいたいは社会内秩序のなかでなにかをやろうとしている。社会内秩序のなかで社会を改革していかなければならないとか、向上しなくてはいけないと思う人はたくさんいる。でも、ぎりぎりのマージナルなところに立っている人もいる。それから、もともとそこを捨ててしまった人もいる。
捨ててしまう人、または捨てざるを得なかった人、追い出されてしまう人、――たとえば浮浪者・乞食という存在、知恵遅れなどの障害児、精神障害者、――生産意欲がないけれどもなんとか働いて食う――たとえば売春をなりわいとする――そういう人も含めて社会と見るのか、そういう人たちはいないほうがいいのか、というのが、私たちがなにかをやっていく時に、非常に大事な出発点だと思うのです。
ルソーのことばに、「人間は社会をつくったとたんに不平等が始まる」というのがありますね。不平等はどのようなことがあっても避けられない。人間が社会を創るときには、区別が生まれ、お互いに持ちつ持たれつという関係が始まる。それを抜きにした平等というものはありえない。あるとしたら画一社会でしかない。しかし平等でありたいという考えは、社会内秩序からはみ出され、排除された人間から絶えず出てくる。社会批判を抜きにしたら、平等への願いはどこから出てくるのか分からない。平等とは、現実社会を越え出て、自分が生きている間だけではなく、また自分が生きている場だけではないところでの、まったく俺とおまえは同じなんだ、という思いです。その思いは、社会秩序のなかで、日々、いろいろ苦しんだり喘いだり不満をもらしたり、けんかをしたりしている人を、ある意味ではあわれんでいる、そういう人たちから出てくる。
社会秩序から離れた人、いわば乞食みたいな人、この人たちは、生への執着を定常的な労働という形で表わしません。食えなきゃ死んでもいい。そのように自分の労力・意思を加えないで生きている人にとっての現在は、点になる。自分がどこからきたか、自分の力の及ばない不条理の無限の過去を覗き込み、そして、自分が生きていく彼方がまた無限に拡がっている、宇宙大に広がっていく。
自分は、今たまたまここにいる、そして、自分が自由だという実感をもっている、この実感こそが人間の希望を根源的に創っている。これがジレンマなのです。なぜなら、こういう人々は、この社会秩序の中に、入ってこないから、社会秩序を変えようと思わないから。にもかかわらず、希望や平等の源泉は、非常に大きなところで人間存在を把握しきって「任せて」生きる、こういう人たちにこそある。このジレンマは、即水俣の問題でもあります。
患者の精神的な苦しみの基礎というのは、いいにくく誤解されやすいけれども、こういうふうに言えるかもしれない。
つまり「自分はこの日本という社会にはもともと関わりたくない、それが否応なく関わらされてしまう。弱者でもなんでもない。弱者であるから救済しろとか、そういうことでは全然ない。本当は関わりたくない、もう少し自分は自由でいたい、貧乏であろうとそんなことは関係ない。しかし、関わらされてきて、その結果として、経済的・社会的にもいろんな問題が起こってくることの苦しみ。関わらされてきた結果、そのことを原因として弾圧され、結果としてさらに排除される」と。
そういう人たちを、秩序側(権力側)はどこかで狡知にたけて把握している。秩序側は、この人たちが秩序に対して同化していない、ある意味では毒をもっていると見る。秩序側の洞察は鋭い。どこか同化しないで生活していこうとしている気概については、非常に厳しい弾圧を加える。水俣の場合は、その弾圧は絶えずあった。そのなかに、当然、秩序側に位置している学問も加わっていたわけです。
残念ながら水俣の問題は、ローマ字のMINAMATAとなったときは、むしろ非常に卑近になってしまう。例えば、環境汚染の長期的影響という問題、それを水俣が象徴しているとするのです。日本全体があらゆる公害の坩堝ですから、そういう目で見られていることを私たちは甘受しなければならない。世界から見て、水俣がことに問題となっているのは、人間という性質がどうなってしまうのか、有機水銀という物質が脳細胞を長期的に侵食していった結果がどうなっていくのか、人間としてどう変わるのかということに、非常に冷酷な興味がある。一般的には、どのような微量の薬物を人間が取り続けていったら、人間という性質がどう変わっていくのか、ガラス張りのなかに置いておいて見ていきたい、ということです。
次に、まったく経済的な問題。これは開発途上国の関心事でもあり、中国も露骨な興味を示したと思いますが、水俣病にどれだけ費用をかけたか、どれだけうまく処理したか、です。これは、失礼にあたるかもしれないし残念なことだけれども、国という秩序のなかではそのように考えざるを得ない。つまり、マネージメント。最低費用でどれだけうまく処理できるかの問題がある。
一方、先進工業国文明社会の行き詰まりが現実にあって、文明のもたらす人間の存在・人間の尊厳そのものに関わってくるような被害から、なにか新しい思想がでてくるのか、という期待がある。それは「共生」という考えにもこめられているのでしょうが。
日本はヨーロッパ・先進工業国からと、開発途上国からとの、必ずしも暖かくないまなざしを受けている。そのなかで、私たちが水俣の問題のどこをつかまえるか、ということが験されている。
私は小学校低学年とはいえ戦前の教育を受けています。いまふりかえると、大和民族の八紘一宇という表現、そして神ががり的になってきて、希望がまったくなくなって、行く末は「死」ばっかりになってしまうような、死んでいくことによってかろうじてバランスを保つ民族、一国全部死んでしまうという、あり得ないバランスになにかをかけている民族というのは、非常に実験動物扱いされたのではないか、モルモット視されたのではないかと思います。
西洋文明は、ナチスに対するとは違う目で日本を見ていたろう。そのまなざしは変わったのか。エコノミックアニマルと言われて怒りもしない民族も珍しい。そういうまなざしのなかで、私たちは広島・長崎を体験して、そして水俣を持ってしまう。しかも二回にわたって・・・。カドミウムとPCBという惨たんたる公害も持っている。そのなかで私たちは、本当になにを教訓とするのか。それが<水俣学>の土台なのです。
学問研究の本質は、一言でいうと<続く>ことにあります。終わりがないということです。続かないといけないようにできている。<続く>ということは、現実的にしろ心理的にしろ精神的にしろ、ある根源的欲望がら生まれてきている。そして、この<続く>という行為自体が生みだした結果によって、<続く>ということが消えてしまうんじゃないか、というのが、1945年、広島に原爆が落ちた瞬間から始まった問題なのです。そして、その危惧を補強・強化したのが水俣なのです。シンボリックな水俣は、<続く>という願望をもつ人間性そのものの変化への恐れを生じさせているわけです。片や核兵器の使用によって、一瞬のうちに続かなくなるということ、片や長期的に、人間は<続く>ことへの信頼を持たない性質になるんじゃないか、という恐怖がある。
ポーキングホーンは『世界・科学・信仰』(地人書館)のなかで、「人間を実験によって操作できる一個の対象として取り扱えば、人間の持つ人格性を破壊することにならざるを得ないのである」という。人間を対象とする自然科学、学問一般というのは限界があるという。これは非常に大きいことです。対象にすることによって、人間の性質が変わってしまう恐れがある。人間が希望を失ってしまうような、物理化学的影響の可能性もあるのです。
真理の探究は、とくに自然科学者のあいだにあっては倒錯してくる。真理の探究のためには、世界に原爆が落ちても、人類が消滅しても知ったことではない、という言い方をする。そこには、真理の探究のためには人間は必要ない、ということが表れている。
問い詰めていくと、自然科学者のなかで熱心にやっている人は、私がとらわれているこの止みがたい欲求にとって、社会も国家も人間も必要ないんだということを言います。(マラルメが「一行の詩と人類の消滅をひきかえにしていい」というのと訳がちがいます。自然科学は、杞憂ではない人類の消滅を手中にしたのです)
ある意味では社会秩序にとらわれ、あるいは、なにかの欲望にとらわれてしまった人ではなくて、自分は明日どうなってもいいと思い、生きる欲望も希薄になってしまった人から、いわば倒錯をくつがえす契機がでてくるといわざるをえない面があります。社会の周辺にいる存在を、反秩序者といって切って捨ててしまったならば、社会改革へのまっとうなアプローチというものはなくなってしまう、という逆説です。西洋・東洋を含めて、私たちは、社会改革運動のなかで、なにかまったく違うことをやっている可能性がある。秩序を増していく方向で、平等社会を実現するかのような錯覚をもちがちである。それは、大きな錯覚ではないだろうか。
秩序を、むしろゆるめる社会改革はないのだろうか。それは、水俣で起こっていることの根底に、漁撈採集型の人々の暮らしぶりと思想があることをどう見るか、という問題意識になる。
<水俣学>というのは、非常に根源的な<続く>に関わり、したがって私たちの近代そのものと関わっています。私たちの近代も含めた社会のあり方、人間の自由、主体性、主体性を超えたところに横たわる問題をやらざるを得ないと思います。それゆえ<水俣学>のすすめ方という、方法も問題にせざるを得ない。一言で要約すれば、<続く>をかかげて取り組む私たちの営為総体が<続かない>結果に終わる恐れをどうするか、という問題に、不幸にも私たちは直面している、ということです。
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