意図して忘れようとする動きに抗して
末娘のことについて、周囲の大人や子どもたちに、わたしは相反した想いを抱いている。
ダウン症児てあることをはっきり知ってもらって、ダウン症は伝染しないのだから気持悪がって避けないでほしいという願いと、ダウン症児であると前もって断わりたくない気持が同居しているのてある。
五歳になろうとしてまだ口をきかないし、ほんのねんねてあるから、ふつうの子どもと違うことは一見して判るが、だからといってダウン症児であることの故に特別扱いされたり、はねだされてしまわれたくない。できるだけ黙っていたいのである。理性では、ダウン症児であると知ってもらった上て、ふつうに付き合ってもらうように働きかけるという態度しかないことは判っているのだが。
水俣では、わたしの場合と同じような葛藤が幾層倍も厳しく重く渦巻いて、そして今でも続いているのだと思わざるを得ない。
ちょっとした気温の差によっても、身体が氷に浸かったようになったり、ほてってどうしようもなくなる。絶えざる頭痛に悩まされ、疲れると身体中が板のように凝る。あるいは喘息を、肝臓を病んている。そのような苦痛だけでも判ってもらいたい、と同時に、もう水俣のことは忘れてもらいたいと願う人達が、不知火海域にどれほどいることだろうか。
わたしはこの数年、一年に二回ほど、不知火海域をまわって、いささか自分の場合にもひきつけて、そのような心情をそのまま自分の内部に取り入れてきたと思う。離島に渡って、あからさまに迷惑がられながら、でも訪ねてもらってうれしいと話す老人にも会った。
判ってもらいたい気持と触れられたくない気持がともに真実の心の吐露てあることの認識が、多分、わたしたちの水俣への関わりの最低要件であるだろう。そして、いつかその矛盾が解きほぐれることを願って、その方向への寄与に参画することが、わたしたちの目的であるだろう。
このように考えると、意図して水俣病を忘れたい、触れられたくないという側面のみを助長する動きには、抵抗してゆかざるを得ない。
多くの死者と惨苦に満ちた被害者を出した、公害と称する人為的犯罪を二度とおこさないためばかりではない。被害の総体を客観的、学術的に明らかにして後世に残そうというばかりではない。忘れ去ることが不知火海域住民の全的真意でないことを信じるからである。
わたしには、足尾鉱毒拡大についての田中正造の言葉が、ずっと響いている。
「大学廃すべし--地方教育、学生の精神を腐らす。中央の(帝国)大学また同じ。学ばざるにしかず」、あるいは、「今の学士は皆壮年にして智識あり。能く国家を亡ぼすに足るの力あり。無経験にして悪事を働く能者たり。勢力猖獗有為の士なり」。
水銀百パーセント回収と銘うって、その実、全く機能を果さなかったサイクレーターを設置した技術者たち、早々と水俣病終結宣言を出した医学者たち、非有機水銀説を主張した化学者たち、原因物質の公表を十年も遅らせた実務官僚群、彼らは全て、水俣病を不知火海域へ一挙に拡大させた有為の学士である。
彼らと近縁であるという他ないわたし(たち)は、彼らの一つ一つの軌跡が、ほんとうに無知の故に免責されるのか、あるいは妥協、屈服のすえの故意によるのかを突きとめなくては、田中正造の言葉をふりきることができないのである。
学士として立つ倫理からも、水俣調査は続行されなければならないだろう。
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