再考、水俣病
水俣病の基本的理解のためには、次の諸点を把握することが必要かと思われます。その上で、私の話を聞いていただきたいと思います。
1.水域に排出された物質が、食物連鎖及び水中からの直接吸収によって、水中生物に生体濃縮され、その水中生物を摂食したヒトに疾患を発生させた、世界で初の事例である。
2.汚染物質はメチル水銀であることが判明したが、この物質の特異性は、タンパク質との結合性、脳血管障壁及び胎盤障壁の通過、神経細胞、肝臓への沈着である。その結果、脳細胞の不可逆的な脱落を招き、急性激症による多くの死者と胎児性水俣病を誘発し、また患者数不詳の慢性水俣病を惹起した。
3.現在(公式発表後32年:注=1988年)、不知火海沿岸域で有意の感覚障害例がみられることに反対する者はいないが、何を指して水俣病とするかの病像確立がなく、行政的水俣病認定審査会は、ハンター・ラッセル症候群の複数の組み合せの水俣病のみを認める立場を固執している。
4.昭和62年9月現在、熊本県のみで認定患者は1,738人、棄却者は5,881人、未処理申請者は4,300人(未審査3,402人、答申保留898人、検診に応じない者793人。保留者のなかには10年を越えて待たされているケースがある)で、審査のおくれと認定のゆがみに抗議する検診拒否運動に対して、県は医療費補助をうち切った。
5.水俣湾に放出された450〜600トンといわれる水銀は、不知火海一円に同心円状に拡散し、現在水俣湾内の125ppm以上の区域の埋立て、25ppm以上の地域の浚渫工事が行われているが、残された不知火海域の無機水銀のメチル水銀化の機構については不明である。
6.さかのぼれば、汚染源のチッソ水俣工場は、その事実を隠しつづけ、市民やチッソ労働組合をはじめ、市、県、国の行政も患者の苦しみを放置した。化学工業協会は通産省と連絡をとりながら、東工大の清浦雷作をはじめ、東大の学者を動員して、様々の原因説(爆薬説、死魚のアミン中毒説)をうち出してチッソ株式会社を支え、これを受けて、チッソ株式会社はネコ400号実験によって原因物質を知りながら、患者の訴え、漁民の要求を根拠なしとしてはねつけ、かつ熊大学者グループの原因追求を妨害しつづけた。
7熊大研究班は公式発生3年後の昭和34年、有機水銀が原因であることをつきとめたが、政府は石炭化学工業のスクラップ化が完了する昭和43年まで、見解を保留した。
8.その結果、昭和電工鹿瀬工場の放出する有機水銀により発生した、新潟県の第二水俣病を防ぐことができなかったばかりか、チッソ水俣工場は大増産を続け、飛躍的な有機水銀量を放出して、患者数を一挙に拡大させた。
9.主たる被害者である漁民は、肉体的苦痛の他に、生活面で死魚を食した為の発病であるとか、遣伝性疾患あるいは非衛生的環境による伝染病源保有者であるという差別を受け、初期においては村八分にされた患者家族もあった。
10.チッソ水俣工場に抗議した漁民は、チッソ水俣工場を中心として成り立つ地域社会を破壊する者として、社会的に迫害された。
11.すなわち被害者は、肉体的被害のみならず、社会的な被害を受け、さらに生産基盤を破壊されるという三重の被害をうけた。
12.昭和48年の水俣病第一次訴訟判決によって、チッソ株式会社が加害者であることがやっと確定したが、患者数増大食いとめの画策にもかかわらず、患者補償金額は500億円を越え、チッソ株式会会社は赤字経営となった。しかし、PPP原則を建前としてつらぬき、国の責任を回避するための措置として、熊本県が県債を発行して国が引受けるという前例のない手段によって、チッソ株式会社を支えることになった。水俣湾埋立て工事費のチッソ分担分も全て県債によってまかなわれることになったが、チッソ株式会社が県債を返済できる見通しは全くない。
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