客観は素直に受け取ると、お客をよく見ること、というような意味が浮かんできます。お客は訪問者で、お客さん、お客様という言い方には、よくおいでになった、おもてなしをしなければ、という気持が込められています。では、過客とは、という問いが浮かんできます。訪問客といいますが、訪(おと)ずれる、訪(と)うという読み方から、訪も問も同じ意味だということがわかります。
訪門客とどうして言わないのかという質問に、たいていの家には門がないからだ、秀逸だかなんだか、という答えがありました。お客、訪問客、問、疑問という流れで、過客が出てきたのですが、これは芭蕉の「奥の細道」の冒頭にあるように、通り過ぎる人、旅人という意味です。各という漢字は、四角い石につかえて止まった足で、客は屋根の下、家にとまった人、という意味だそうです。まあ、そのようなわけで、客という字をみていると、問うとか立ち止まるいう思いが湧いてきます。
話がずいぶんずれてきたようですが、主観と対をなす客観は、明治時代の翻訳語ですから、私たちがきちんとその意味や定義を消化しているかというと、心細いのです。客観は理性的な態度が前提にあり、理性的とは主として合理的ということです。理性的、合理的とは、私情をはさまず、善悪の価値判断をせずに、虚心坦懐にものごとを見たり、処理したりすることです。例えば、鉛筆を机の上に置きます。そして私との関係をすべて切って、鉛筆ということも知らないことにして、単なるモノとして、眺めるのです。そして次に、これはなんであるかという問いを発します。そして自分の持っている知識を次々に引っ張り出して、筆記用具の鉛筆であるとします。自分が置いたのですから、当たり前なのですが、部屋に入って机を見たら鉛筆があったという場合には、頭の中を駆け巡って、これは鉛筆だという結論を得るのです。
今、結論を得たと言いましたが、実は、これはなんだという問いを発したところから、客観を離れて、判断という主観の営みが加わっているのです。すると客観とは、私とはちがう、私とは関係がまったくないモノがそこにあり、そのモノが私に見えている、そのことにすぎない、そのことにつきるということのです。
それだけのことに、なんでそんなに説明する必要があるのか、と思います。すると、川端康成が、1968年ノーベル文学賞の受賞講演で、月がおのれかおのれが月かという明恵上人の想いを述べたことが思い浮かびます。実際には、「月を見る我が月になり、我に見られる月が我になり、自然に没入、自然と合一してゐます」といったのです。関係の極致としての合一、一体化を指摘したのです。もっとも自然も明治の翻訳語で、それまでの「じねん」と呼ぶ自然とちがいます。「じねん」は天然色の天然に近い意味です。川端康成は西欧と東洋、日本は根本的に違うということをいったのです。
キリスト教文化圏の西欧では、ゴッドとヒューマンとネイチャーはそれぞれ断絶しています。人は神になれない。そして、魂を持つという点で自然の存在ではありません。ただ神は自分に似せて人をつくった、人は神の似姿であるという点では、神と密接な関係があります。自然も神によって創られたのですが、人に対するギフトであり、人はその管理と保護の義務を有するのです。動物愛護の精神にそのことが現れています。
人と自然は断絶している、そこに人の尊厳があるという考えは、西欧の人々が生きていく上で、強い〈よすが〉だったといえます。そして1859年、30年もあたため公表をためらってきた進化の考えを、ダーウィンが発表しました。ヒトはサルから進化した――その衝撃は私たち、東洋人あるいは日本列島人にはわかりません。その衝撃の強さは今でも、とくに米国の世論調査に示されます。4年ごとの最大大手のギャラップの調査では、21世紀になって、比率はずいぶん増えてきたものの、ダーウィンの進化論を信じると答えた人は40%弱です。
ローマ教皇の発言は、私たちにはわからない大きな影響を西欧の人たちに与えるのですが、1996年、教皇はダーウインの進化論や科学をあながち否定するものではない、という見解を発表しました。身体については進化を認めるという流れです。源は17世紀前半のデカルトの心身二元論です。魂と体は別もので、脳の松果体というところで触れ合うとしたのです。科学は体の成り立ちなどを扱うけれど、それは魂と関係がなく、機械をいじるのと同じだから許してもらいたい、としたのです。日本語ではものとモノを区別します。魂と体はものだが、体はモノだというような言い方をします。時計などと同じく体の仕組みを調べるために体というモノをバラバラにしても魂というものに影響は与えないという見方です。モノは客観的に観ることができます。次回はもうすこし客観について述べます。