覚えているとは、考えてみると、不思議だらけです。覚えていると言っても、すべてではありません。いや全て記憶されているのだが、取り出せないだけだという説もあります。急に蘇ってくることもあります。「心の旅路」という映画では、主人公が人生を左右する決定的な記憶の蘇りを2回経験します。第一次大戦の戦場で記憶を失って、そして結婚して子どもが生まれるのですが、そのすぐあと交通事故に会い、戦争に至るまでの記憶が蘇ります。でもその代わり、今度は恋に落ちたことも子どもが生まれことも忘れてしまいます。映画ですから(原作のベストセラーの本があるのですが)ハッピーエンドが期待されます。そのカギは、家庭を築いて子どもが生まれた、その家の鍵でした。それだけはずっと何か気にかかって、主人公が肌身離さず持っていた鍵だったのです。
国会答弁の「記憶にございません」は、あまりにも頻繁という印象を持ちますが、「書類はありません」という答弁と比べると、追及のしようがないというため息が出ます。ある日の行動の記憶について、前後の日々の記憶を訊ねて行って、そしてその日の記憶を確かめると、あいかわらず記憶はないという答えです。そんなことありえないでしょうと質問者が怒っても、記憶がないのだからしょうがないでしょうとの答え。うそ発見器とか、ペンフィールドの実験のような、電極を当てて記憶想起を行うなどは、その信頼性と、もう一つ人権の問題があって、現実の手段とは見なされません。
記憶力がいいとは頭のいい証拠と言われます。テレビのクイズなどでは、ほんとうに博覧強記の人が出てきます。訓練もあるでしょうが、天性の素質もあるでしょう。多彩な自閉症の症状を指して自閉症スぺクトラムといいます。そのなかに信じられないような記憶力や計算能力を示す人たちがいます。
わたし達は概して忘れっぽいのです。日本人は一番忘れっぽくてドイツ人は一番忘れないと言われます。忘れないということもずいぶんつらいことが多いだろうなと思います。でも忘れっぽいことも、ことが公のことであったり、他国に関係することであったりすると、そのまま済まされることではありません。といって、忘れないようにしようと、かけ声をかけたり、自分に誓っても、性質とか根性とかは、早急に変わるものではありません。日常的には、いつまで根に思っているのか、と陰に陽に非難されます。水に流すことがだいじなのです。
よくも悪くも和、ということを思います。今から1440年前のことになりますが、聖徳太子の17条憲法の発布が行われ、その冒頭の第一は和を尊ぶで、第二に仏教、第三に天皇を敬え、となっています。聖徳太子の名前はもうじき教科書から消えると言われています。えーっという思いがしますが、聖徳太子という人はいなかったのだそうです。聖徳太子の縁者は20数人だか、みんな殺されて子孫はいないということも教わりましたが、そんなことあるのだろうかと思った記憶もあります。聖徳太子はいなかったというのも、なんだか辻褄が合うような気もします。
でも、あんまり争いたくないという気持ちや、秀吉の刀狩りに人々が応じたということや、まあまあ、ここは収めてというような、なじみのある言葉を思うと、丸く収めたいという和の思いは、わたし達の心情の底に流れているのではないかという気がします。もう一つ、「つぎつぎとなりゆくいきおい」もそうです。武士は果敢に戦ったという印象の延長に、昭和の太平洋戦争があり、兵士は最後まで闘ったと、昭和11年生まれの私は国民学校3年生まで、教えられてきました。そのあと、わたしの得た知識では、玉砕する兵士が最期に「母さん」と言って死んでいったということです。太平洋戦争開戦後の7か月後、昭和19年6月のミッドウエー海戦で日本はもはや負けたのだということをまったく知らなかったことと合わせて、この「お母さん」という最期の叫びが心に残ります。
「知は力」について書こうとして、知というと、どうしても記憶との関連が浮かび、記憶について書こうとすると、記憶ってどう保存されているのだろう、という思いに至り、だんだん脱線してしまいました。記憶について、ひとまずまとめますと、記憶は脳に格納されているとまず思います。ところがどのように保存されているかされているのかわからないのです。コンピューターはもちろんわかっています。という言い方はおかしいですね。わかっていなければ造れません。コンピューターは機械です。ところが、そのように脳を見ても埒(ルビらち)があかないのです。記憶の保存としては、コンピューターも図書館もどんどん大きくなっていきます。ところが脳は大きくなりません。少なくとも大人になってからは大きくならないのです。「知は力」について次回続けます。