返信64:ネットワーク(最首悟、2023/10/13)

序列をこえた社会に向けて

〈なりゆき〉について続けようとして、民主主義の話になってしまいました。〈なりゆき〉については、私たちはふつう、何々になりました、というような言い方をします。茶碗が割れたというのも〈なりゆき〉表現です。自分がしたことも含めて、何かの起こったことの結果の報告です。結果は発端と関係でつながっています。関係のイメージはふつうは直線的なのですが、こみ入った関係になると網の目のように入り組んでいるといいます。

いま網の目と言って、網の糸の結節点を言い表そうとしたのですが、網の目は網の糸が囲む空間のことで、網の目が広い、狭いとというように使います。囲碁では眼とい、最低二眼ないと陣地になりません。ところが一目とか二目と言います。線の交差点に石を置くことを一目置くといいます。また一目置く、二目おくというのは技量の差を表します。それと網の結節点を結び目とかつなぎ目というのと合わせて、網の結節点を網の目と言ったりします。誤用なのかどうか、人間を人の意味で使っているのと似たようなところがあります。

直線を思い浮かべる関係は科学の因果関係です。科学での原因と結論の関係は単刀直入に明快で、万人の納得が要求されます。ネットワークを思い浮かべると、原因という網の目と結論という網の目は、いわば最短距離で結ばれるというイメージです。二点間の最短距離とは直線ですから、原因と結論の間に幾つもの網の目があっても、その網の目はいずれも直線の上に乗っていることになります。 「風が吹くと桶屋が儲かる」は江戸時代の、意外な結果が起こることの戒めという言うか譬えです。① 風が吹く②砂埃がたつ③目を病む人が多くなる④失明する⑤三味線で生計を立てる人が増える⑤三味線の胴に張る猫の皮の需要が増える⑥猫の数が減る⑦猫が捕まえる鼠の数が増える⑦桶がかじられる⑧桶の購入が増える⑨桶屋が儲かる、というのですが、私たちがふつうに使っている因果関係は同じくネットワークで譬えると、その間の網目の数や経路は無数にあることになります。

それで、森羅万象からなるネットワークを思い浮かべ、それを万象網ということにすると、私たちがよく口にする「それは関係ない」ということは、ありえないということになります。天網恢恢疎にして漏らさずと言いますがいかにも広そうです。それに比べ、万象網は大きさがないというか、いかようにもイメージできると思ってください。

あらゆることは万象に含まれ、また万象網取り込まれます。つまり、あらゆることは関係しあっているのです。それで「関係ねえ、関係ねえ」という叫びは、関係にがんじがらめになっていることの悲鳴なのではないかということになります。木枯し紋次郎の「あっしには関係のないことでござんす」や「カラスの勝手でしょ」も思い出します。いずれも、関係過多や干渉の煩わしさに対する悲鳴、あるいは抗議です。

万象網について、縁と言った方がなじみ深いと思います。ただ、縁は「これもご縁ですね」というように使い、感謝の意を含んでいるので、ちょっといかめしそうですが、ふつうに使う言葉として、万象網という言い方をしたいと思います。存在は関係あってのことです。西欧では存在は神との関係のもとにありますが、日本では場との関係にあって、そのことを〈居る〉と言い表しています。

万象網は、まったく相いれないような二つのことも、当然ながら取り入れています。そこから氷炭相通ずという表現も出てきます。氷と真っ赤に燃える炭は関係してるというのです。氷炭相愛すとはお互い正反対の性質を活用して共に生きるという意味です。私たちが居る場は万象網だと言い換えることができます。大地にしっかり立つと言いますが、そうすれば、なにか保証されたような人生を送ることができるような、安心立命の感じがあります。私たちがが居る場、すなわち万象網は、私たちがどのようにいやだと暴れても関係から逃れることは出来ない関係的存在だということを示しています。

関係を遡っていくと、どこまで行くでしょうか。私たちがわかりそうなのは、たぶん〈いのち〉です。ふつうにいう命とか生命とかも〈いのち〉が生み出したものです。〈いのち〉は生成の原理です。宇宙を生み出したのも〈いのち〉と思ってください。それは神なのではないかと言われるかもしれませんが、日本では八百万(やおろず)の神がいるといわれ、みんな生まれてきた神々です。山川草木波頭など、事物にそれぞれの神がいて、人は死ぬと神にるなど、神の数はほとんど無限です。

西欧の絶対神は唯一神です。無限と唯一は通じ合っているか、それとも全く別なのでしょうか。私たちは、切っても切っても切れない無数の関係をもつ関係的存在なのだ、ということを述べました。