返信65:花綵列島(最首悟、2023/11/13)

序列をこえた社会に向けて

新聞を見ると、イスラエル軍のガザ地域への侵攻による住民の多くの死が伝えられています。ロシアのウクライナへの侵攻とウクライナの反撃も続いています。パレスチナ問題の根っこは、国を持てなかったユダヤ人が、第二次大戦後に英米の協力を得て、イスラエルに国をかまえたことにあります。第二次世界大戦ではナチスドイツのヒトラーがユダヤ人の絶滅を企て、約600万人を殺しました。日本はドイツとイタリアと日独伊三国同盟を結んでいましたから、ドイツのヒトラーのホロコースト(ユダヤ人絶滅)を認めていたことになります。この三国同盟は1940年に締結され、1945年5月にナチスドイツの敗北で失効しました。

ヒトラーのユダヤ人憎悪は徹底していて、ヒトラーの著書『わが闘争』では、反ユダヤ的発言は反共産主義的発言の2倍以上あるという指摘があります。ユダヤ人の大量虐殺は人類史上最大の犯罪と言われています。三人称的な言い方になりますが、自分の名前を言えない障害者を19人殺した青年は、ヒトラーの『わが闘争』に影響を受けたと言っています。その影響の中にユダヤ人抹殺が入ってなかったとは言い切れません。

日独伊三国同盟のころ子どもだった私も、日本人だという自覚を持つ以上、ホロコーストに責任はないとは言えません。長じて、フランクルの『夜と霧』(みすず書房)を読んだとき、「1931年の日本の満州侵略に始まる現代史の潮流を省みるとき、人間であることを恥じずにはおられないような二つの出来事の印象が強烈である」という出だしで始まる〈出版者の序〉に衝撃をうけました。二つの出来事とは、1937年の日本の関東軍による南京事件と、1940年から45年に至るナチスによる強制収容所の組織的集団虐殺です。第二次世界大戦の犠牲者数が出ていて、なかでも、中国の一般市民の死者・行方不明数は膨大にして不詳という記載に目が留まります。推計は1500万人を下回らないということです。

日中国交正常化が1972年に行われました。首相は田中角栄と周恩来です。そして周恩来は対日賠償権を放棄すると言いました。このことも印象に残っています。死ぬまでフランスで暮らした森有正という哲学者がいます。森有正は、周恩来の発言を、ああそうですかと受け入れたら、日本は中国に対して道義的に頭が上がらなくなる、対等であるためには、いくらになるかは別として、中国が受け取らなくとも、スイス銀行なりなんなりに預託すべきだ、という趣旨のことを訴えました。

現在のイスラエルとハマス、ロシアとウクライナの戦争から、日本の中国侵略に話が移ってきましたが、朝鮮半島の侵略での母国語の禁止もふまえて、私たちの極東アジアに対する意識はどうなっているのだろうかと考えます。私はといえば、脱亜入欧の掛け声という層とその下の層の、四方を海に囲まれた、中国文化の影響が濃い花綵列島、が意識の下地になっていると言ったらいいでしょうか。脱亜入欧は文明に触れてみたいという積極的な好奇心、花綵(かさい)列島は消極的な和の心を表しています。

明治の文明開化は、欧米に強いられ、成り行きの結果だったにせよ、やはり日本人の好奇心がはたらいたのだろうと思います。その好奇心の湧きどころは日本列島の風土でしょう。花綵(はなづな)とは花で編んだ網という意味だそうですが、四季があって花が絶えない弧状列島を思わせます。四季の恵みや変化は自(おの)ずからなるという自然(じねん)の考えを人々にもたらしました。

前にも書きましたが、和辻哲郎という哲学者は、日本人の性質を〈雪に耐える竹〉としました。雪は亜寒帯、竹はイネ科で亜熱帯を表します。日本は亜寒帯と亜熱帯のはざまで、しめやかな激情、戦闘的な恬淡を培ったというのです。それをワンフレーズで表すと〈雪に耐える竹〉になります、雪の重みに耐えに耐えて、そして最後には跳ね返って雪を払い落とすのです。でもそのことをすぐ忘れてしまいます。

評論家の加藤周一によれば、ドイツ人が一番忘れず、日本人が一番忘れっぽいそうです。人の噂も七十五日ですし、来年の話をすると鬼が笑うと言います。年末には忘年会をします。事が成り行く日々では、忘れないことはあまりメリットがないのです。したことの責任は、〈済まない〉という未決済で意識の深層に送り込まれます。責任をとらないということとは違います。でも、したことを忘れずはっきり責任をとることとも違うのです。

明治維新から1945年までの80年弱の戦争期の日本の加害と被害の決算はまだついていないのだと思います。それだけに、日本人の事をなるたけ起こしたくない、闘いたくないという消極的な和を重んじたいと思います。