返信68:霧が光る(最首悟、2024/2/13)

序列をこえた社会に向けて

なぜなぜ坊やと言われる子どもがいます。わたしはその弱気の部類の子どもでした。喘息で転地療法のため、家族と離れて暮らしたことの影響もあります。いろんな問いを抱え込んでいました。後年、〈パスカルの風船〉に出会いました。

各人は知を詰め込んだ風船を持っている。未知は、風船の表面に接しているものだけを、知識化して、風船の内に取り込むことができる。各人の風船はだんだんと大きくなる。それにつれて未知は減ったのだろうか。宇宙は未知に満ちている。そして風船が大きくなるに連れて、風船の表面は大きくなり、表面に接する未知も多くなる。知識が多くなるということは、すなわち未知、わからないことが増えることである。

赤ん坊はごく小さい風船を持って生まれ、成長するにしたがって、その風船が大きくなるにつれて、宇宙は神秘に充ちていることをわきまえてゆくのです。学校の先生は生徒より年上ですから、それだけわからなさを抱えており、おのずから神秘について敬虔にならざるを得ないのです。

風船の大きさ・重さを自覚して、研究を止めて修道院に入ったイギリスの物理学者がいます。仏教の悟りも、おそらくこういった知識を得ることのむなしさの自覚もあると思います。わたしは到底そのような境地に程遠いのですが、あるとき〈霧が光る〉という言葉がやってきました。〈わからない〉が少しずつふくらんでいく中で、1960年代末の大学闘争で、自己否定を抱えるようになり、そして70年代半ばに星子がダウン症児として生まれました。そして80年代はじめに星子は目が見えなくなり、言葉が消え、食べること出すことなど、自分の身の世話をすることを止めました。大きな〈?〉でした。

五里霧中という言い方があります。途方に暮れたという状態です。星子の世話は待ったなしです。母親は変わらず星子の世話をしています。わたしも父親として、生計費を稼ぐことをなおざりにできません。でも心の中は五里霧中の〈わからない〉でいっぱいでした。そして〈霧が光る〉がやってきたのです。〈霧が光る〉については前にも書きました。乳白色の霧のどこかが光るのです。光る点はあちこと場所をを替え、霧が乳白色に明るいのはそのせいのように思われます。なにかその光る点点は〈希望〉のようです。

見えざれば霧の中では霧を見る

新聞記者で俳人の折笠美秋の句です。48歳のとき、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、55歳で亡くなりました。この沈潜した思いに比べれば、わたしの霧は軽々しいようですが、それは〈わからない〉という思いがプラスに傾いているからかもしれません。〈わからない〉に包まれて、それでいいのだよと言われている境地は、解放感にまではなりませんが、わかろうとする努力に落ち着きを与えるように思われました。

わからないからわかろうとする。そのことは人並みに努力しているつもりなのです。でも、わからない、ああ、駄目だ、とは思わなくなったということです。わからないことは、ふつう調べます。図書館に行って調べる、今はパソコンに当たってみます。生成AIはすべての図書館の本の知識を持ち、そのうえで新たな推論もできると言われます。でも数学や物理あるいは論理とはちがって、〈わからない〉ことには未経験のことが含まれます。死とは、どういうことか説明は出来ますが、死そのものは経験しなければわかりません。

岡真史という12歳の少年が自殺しました。このたび91歳で亡くなられた高史明のお子さんです。母親の岡百合子さんと遺稿詩集『ぼくは12歳』を出しました。その本を読むと、死とは何か体験しなければわからない、というような詩があります。〈死を体験した死者〉というようなフレーズが浮かんできます。今は生成AIが開発されて、どんな質問でも即座に答えてくれます。ただし人の身体的経験に基づく知識は欠落しています。

ダグラス・ラミスというアメリカの評論家がいます。海兵隊で1960年沖縄に駐留しました。除隊後は日本に住むようになりました。その著作の一つに『タコ社会の中から 英語で考え、日本語で考える』(晶文社 1985)があります。その中に、人工頭脳を備え、自然言語に近いプログラムを備えた第5世代コンピューターの話が出てきます。

「拝啓コンピューター様、おめでとう!それでは、自然言語のなかから、まず手はじめの単語の『木』という単語を教えてあげましょう。」と、子どものときから、経験してきた木の話がはじまります。そして「私たち人間にとって、『木』とはこうした経験すべてであり、さらにそれ以上のものなのです。あなたがこの単語を習得し終えてたら、2つ目の単語を教えてあげましょう。がんばってください!」と終わります。