丹波博紀 息継ぐことについて

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執筆者:丹波博紀(最首塾世話人)
寄稿日:2022年9月6日
形式:テキストデータ


「引き継ぐことについて」という文章を書こうと思い、歩きながら考えていたら「息継ぐことについて」と言い変わっていた。

最首先生に会ったのは19歳のとき、駿台予備校・お茶の水校でのことで、以来24年間のお付き合いとなっている。この最首塾の世話人を始めたのは、2005年10月・第46回定例会からだった。

こうして長くなった先生とのお付き合いなのだが、先生からのいただいたものはホントに、ホントに、ホントにたくさんある。挙げだすとキリがないのだけど、象徴的なことを挙げれば、水俣・沖縄・福島に連れて行ってくださったのは先生だった。このうち水俣は2004年にはじめて訪ね、以来ほそぼそとではあるが、訪ねることをつづけられている。

そうしたぼくなので、先生のお仕事を多少でもお手伝いしたいという気持ちはとても強いと思っている。最近はかならずしも十分ではないのだけど、それでもそういう気持ちに変化はない。そうしたことがあるので、先生のお考えを引き継ぐというか、先生のお考えになったことがどういうことなのか考えつづける必要があるとも思っている。

それで引き継ぐことについて考えるのだが、そもそも引き継ぐとは何だろうと思う。というのも、たとえば先生が2010年代後半から提起されてきた思想「二者性」を引き継ぐとはどういうことだろう。正直に言えば、この「二者性」がどういうことなのか、よくわからない。ただし、そこで話は終わらない。いろいろとやりようはある。

よくわからない場合の対応として、先生の「二者性」についての論考・発言を読み込み、解釈し、その意味を“研究として”形づけることがある。また、そうしなくても、「二者性」を含む最首先生の論考・発言をアーカイブにして、次へと継承することも可能だろう。この2つは一部魅力的に思えるし、とくに2つ目はそうした仕事をやりたいという気持ちがあり、最首先生にかかわる資料はひととおり集め、保管してきた。

ただ、それは果たして自分の望む「引き継ぐこと」なのだろうか、という気持ちがないわけではない。つまり、「引き継ぐ」という場合、“なにを”引き継ぐのかが大切になるが、自分は最首先生の“なにを”引き継ぎたいと願っているのだろう――。

以前はこのようなことを考えることもなく、「先生の仕事を大切にし、引き継ぐ」くらいに漠然と思い、納得していた。たとえば、以前ならば「二者性」についても、「すごいすごい」と言って一生懸命受けとめようとしていたと思う。だが、いつの頃からかそういう漠然とした思いを抱けなくなった。

その背景には知恵づき、小賢しくなったこともあると思う。ただ、それよりも強く思うのは次のようなことである。すなわち、最首先生とぼくの接してきた現実は当然ながら違う。最首先生が「二者性」という思想を発するのは、最首先生を触発しつづけてきた最首先生の現実があるからである。そして、「二者性」とは、そうした触発への応じ方の1つである。こうしたことを捨象し、直接的に最首先生の言わんとすることを解釈し、キレイにまとめても、それは「“思想を(!)”引き継いだこと」にはならない。

「“思想を(!)”引き継ぐ」には、“迂回路”を通らなければならない。その“迂回路”は自分の経験とも呼べるもので、最首先生がそうであるように、ぼく自身も経験のなかでさまざまなモノコトに触発され、そうしたなかで結果的に「二者性」というコトバにはならないかもしれないが、別のコトバを発し――コトバでなくても身体をなんらか造型し――、「これこそ最首先生のいう『二者性』なんだ!」と合点のいく時がくるかもしれない。その時にはじめて「引き継ぎ」は成立するのだろう。そして、それがいつのことかはわからない。ただ、そうした「引き継ぎ方」は確かにある。

最首先生はかつてこんなことを書いていた。

全共闘(体験)は断絶しながら繰り返されるだろう。〔…〕しかも直接の継承の痕跡なしに、その本質は再び三度繰り返されるだろう。そこにおいて全共闘世代の果たす役割はないと思う。

ここで最首先生が言われることは、じつは“思想(!)”に限らず、よくよく考えればどんな「継承」「引き継ぎ」にもついて回ることだろう。そして、もしぼくが「継承の痕跡なくして」「二者性」への合点がいく時がくるとすれば、それこそ最首先生の思想の一端が継承され、引き継がれたということなのだろう。

もちろん、これはぼくだけのことではない。最首先生の思想に触れ、引き継ぎたいと思う誰にとっても同様のことだと思う。

それで「息継ぐこと」について。息とはプネウマ・魂・精霊、いのち…。最首先生の“息”を継ぎたいと思う。ただ、水泳の息継ぎがそうであるように、息の継ぎ方は誰も教えてくれない。自分で、自分なりの息継ぎ方を、自分の身体で憶え、その形を造型するしかない。それはぼくがしていく“運動”でもあるのだと思う。