「萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」」―この宇宙のほんとうの有り様は、「わからない」ということで言い尽くせる。これは、藤村操という、17歳間近の青年の書いた遺書の一部です。操というと女の人かと思いますが、操作とか体操を思い浮かべると、物事をうまく操る、人を束ねてゆくなど、男の名前としてもおかしくないのです。
藤村操は今から120年前ほどの1903年に、日光の華厳の滝に投身自殺しました。冒頭に掲げた遺書は、滝の傍らの木の皮を削って記したものです。「巌頭之感」という出だしで始まります。藤村操は第一高等学校生で、英語の先生は夏目漱石でした。漱石は、自分の叱責も関係しているかと心配し、作品の中でも言及しています。今のノイローゼに当たる神経衰弱が知識人、青年に蔓延し、漱石もその一人だったのですが、藤村操の後、華厳の滝は投身自殺の名所といわれるほどになりました。
戦後が少年期の私にとっては、自殺の名所は熱海の錦ヶ浦でした。中学三年のとき、国語の先生から、「曰く不可解」のことを私的に教わりました。私は小学校に9年かかったので、そのとき19歳でした。それからずっと「曰く不可解」は頭にあり、新聞に書いたりしたのですが、だんだんと力点は遺書の最後に移ってきました。
遺書の最後は、「既に巖頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。」です。そう思ったのなら帰ってくればいいのに、と思ったりしたのですが、やがて、「不可解」と「楽観」がくっつくようになりました。〈わからない〉、だから〈ほっとする〉のだ、という思いです。
自分はわからないことをわかるようにしたい、と人並みに努力し、休み休みにしろ、続けている。でも宇宙は途方もない広さで、しかも今膨張し続けていて、これから先縮み始めるか、膨張と縮小を繰り返すかわからない。世界というとき、そこに宇宙が含まれるなら、〈わかる〉なんてとんでもないことだ。〈わからない〉のは当然だ。〈わからない〉と思うと気が楽になる。〈いのち〉もそうだ。日々の健康には、それなりに気を使うが、〈いのち〉となると、お手上げだ。
というようなことが、わかろうとすることの下地にあります。ある種の安心感というか、意地を張ることから抜け出るというか、脱力感にひたるというか、なんだか殻から抜け出たような気持ちです。学問や研究は、わかるはずだという信念に支えられていると言えます。でも、例えば卵の形を考えます。大雑把に言って、みな丸い形をしています。それで卵は丸いということは事実と見なされます。このような判断を帰納的科学における帰結といいます。でも、もしカドがある卵が見つかったら、今までの帰結はオシャカになります。そして科学は進歩したというのです。
科学にはもう一つ、演繹的科学があって、事実と見なされる事柄を前提として、その枠内で探求してゆきます。前提を公理と言います。〈平行線は交わらない〉は公理です。ところが球面上では平行線は交わってしまいます。交わらないのは平面上でのことなのです。科学にともなう技術の発達も著しく、早晩、人のする力仕事や事務作業は、ほとんど無くなりそうです。でも〈わからない〉ことがなくなることはありません。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教は一神教です。他にも一神教はありますが、三大宗教だけで信者数は44億人を越え、世界人口は80億人ですから、一神教の信者は世界で5割以上を占めていることになります。一神教の神は全能です。神に〈わからない〉ことはありません。日本にも一神教の信者はいます。でも大多数の人は信じる信じないは別にして、神は神々で、全能ではありません。そして「神も仏もあるものか」と言ったりします。神も仏も人間っぽいのです。
鶴見俊輔という日本有数の知識人がいて、「わたしには神にも知られない秘密がある」と書きました。ある時の講演の質疑応答で、「その秘密とは何ですか」と私は質問しました。当然にも会場の失笑を買いました。もちろん答えはありませんでした。万能の神への信仰は、一つには、人間には〈わからない〉ことがいっぱいあるということの自戒によると思うのですが、反面、何でもわかったら生きていけないだろうという怖さも含んでいるのだろうとも思います。
知ったかぶりは嫌われます。〈知は力なり〉は現代社会の第一の信条かもしれません。力があるかのようにふるまうのは罪が深いのです。〈わからない〉は、〈わかる〉とは何かという問いを含んでいるので、そんなには人にきらわれません。